静岡県を流れる大井川。南アルプスから、連なる茶畑とともに駿河湾へ続くこの川は、その美しさと、そして日本有数のダムの名所としても有名である。

この大井川に沿って走る大井川鐵道では、冬季限定でおもしろい列車が走っている。その名も「星空列車」。

大井川鐵道が走る静岡県の川根本町は、環境省によって「澄んだ星空 全国第2位」に選ばれたことがあるほどの星空の名所。星空列車はそんな夜空のもとを走り、湖の上に浮かぶ秘境駅「奥大井湖上駅」へと赴く。車ではたどり着けない、周囲に灯りの一切ない駅から眺める星空は、極上の美しさを放つ。

満天の星空を眺めるべく、この星空列車に乗ってきた。

  • 星空列車

    大井川鐵道の奥大井湖上駅から眺める星空。この満天の星空を眺めるべく、「星空列車』と名付けられたおもしろい列車に乗ってきた (C) 大井川で逢いましょう

星空……を前に大井川本線乗りつぶしの旅

大井川鐵道は、静岡県島田市にある金谷駅から、静岡市葵区にある井川駅までを、大井川に沿って走る路線である。ちなみに鐵の字は旧字体を使う。

もともとは大井川上流部からの森林資源の輸送と、ダムによる電源開発を目的に建設され、まず1931年に、金谷駅から途中の千頭駅までの「大井川本線」が開通。それまでこの地域には、イカダや船、馬、徒歩以外に交通手段がなかったが、鉄道の開通によって生活が一変したという。

そして1959年には、千頭駅からさらに山奥に入って井川駅まで続く「井川線」も開通した。

星空列車が走るのは井川線なので、これに乗るためにはまず、大井川本線に乗って、終点の千頭駅まで行く必要がある。

大井川本線の起点、そして今回の旅の起点ともなる金谷駅は、JR東海道本線の金谷駅に隣接している。関東から訪れるには、東海道新幹線の「こだま」か一部の 「ひかり」で静岡駅で降り、東海道本線に乗って金谷駅へ。関西からは東海道新幹線の「こだま」で掛川駅で降り、東海道本線で金谷駅で降りるのが近い。

この大井川本線では、かつて全国の私鉄を走っていた車両を購入・譲り受け、整備した上で運行されている。子どものころに見たり乗ったりした電車が、ほぼそのままの状態で走っていることから、日本中から鉄道ファンが集まる。

  • 金谷駅

    大井川鐵道の起点となる金谷駅。JRの金谷駅と隣接している

  • ズームカー

    この日筆者が乗ったのは、かつて南海電鉄を走っていた21000系、通称「ズームカー」。高野山へ続く急勾配を、まるでカメラのズームレンズで拡大するようにぐいぐい登れる性能をもつことから、この名前がついた

金谷駅を発車した電車は、大井川に沿って上流に向けて走っていく。最初こそ民家や道路が賑やかだが、次第に、静岡といえばおなじみの茶畑をはじめとする、風光明媚な景色へと変わっていく。途中の駅もほとんどが無人駅。それでも、ホームや待合室などはきれいに手入れされており、寂しい感じはしない。

電車に揺られること1時間と少しで、電車は千頭駅に着いた。1時間というと結構な時間だが、景色に見とれていたためか、不思議と長くは感じなかった。

電車を降りると、隣のホームには蒸気機関車(SL)が停まっていた。じつは大井川鐵道は、ほぼ毎日、SLが定期運行されていることでも知られる。レトロな駅舎も相まって、まるで昔にタイムスリップした感覚を味わえる。

駅を出ると、すぐ近くにはSL資料館もあり、少し歩けば大井川にも下りられる。また、周囲にはお土産屋さんや食事どころがいくつかある。地元で採れた山菜を使った山菜そばから、カツ丼などのがっつりしたもの、そしてこの辺りの名産である川根茶、さらには川根茶ソフトクリームなどのスイーツもあり、目もお腹も満たされる。

  • SL

    千頭駅にはSLが停車していた。大井川鐵道は、ほぼ毎日、SLが定期運行されている

  • 千頭駅の構内

    千頭駅の構内。古き良きという言葉がぴったりの、趣きのある駅舎である

なぜ星空列車を走らせようと思ったのか?

今回の本命である星空列車は、この千頭駅を起点に、終点の井川駅まで、大井川をさらに上流に向けて登る井川線、愛称「南アルプスあぷとライン」を走る。

この井川線はもともと、中部電力が水力発電用のダムを建設するために敷いた路線で、その役割を終えた線路を大井川鐵道が引き継ぎ、1959年から旅客運行を開始したという歴史をもつ。

また、井川線は線路の幅も大井川本線より狭く、車体も小さかった。いまでは線路の幅は同じになったものの、トンネルなどは当時のままなので、車体は小さく造られている。大人だとかがんで乗らなければならず、座席も狭いなど、かわいらしい列車である。

星空列車は、そんな井川線を走る車両を貸し切りにし、千頭駅から、途中の奥大井湖上駅まで走る。乗客はそこで降り、駅で約1時間、星空を楽しんだあと、ふたたび星空列車に乗って千頭駅まで帰ってくる。

奥大井湖上駅は、大井川にあるダムのひとつ「長島ダム」のダム湖「接岨湖」に突き出た、陸地の突端に位置する。さらに、駅のホームの一部がその陸地からはみ出しており、真下に水面が見えるという、文字どおりの"湖上"駅である。このような立地から、周囲に民家などは一切なく、車で直接訪れるのも難しい。

そして、駅に設置されたわずかな照明を除けば、光るものはなにもない。まさに漆黒の闇の中で、星空を観ることができるのである。

星空列車に乗る前に、大井川鐵道・南アルプスアプトセンター所長の坂下肇さんに、星空列車を走らせることになった経緯や見どころなどのお話を伺った。

「この川根本町は、環境省によって『澄んだ星空 全国第2位』に選ばれたことがあるなど、星空がきれいな町として評判です。そして、奥大井湖上駅はまわりに灯りがないので、その星空が一段と綺麗に観られます。ただ、車で直接は行けず、井川線を使わなければ行けません。そこで、夜にこの駅まで行ける列車を走らせようと思いつきました」。

その後、2016年に募集型のツアーとしてはじめたところ、評判は上々。ただ、ツアー形式だと、悪天候などで星空が観られないときにキャンセルしにくいことなどから、2018年からは「お客さまの自由判断で乗れるように」と、通常の列車のように、自由参加で乗れる形態で運行を始めたのだという。

これにより、もし悪天候なら、星空列車に乗らず、その代わりに温泉でゆっくりしたり、食べ歩きをしたり、別の楽しみ方ができるようになった。

もっとも、実際には天気が悪くても乗車率はいいとのこと。坂下さんは「星空だけでなく、夜の闇の中を走る"夜汽車"の旅を味わえるところや、夜の奥大井湖上駅に行けることにも魅力を感じていただいているようです」と、反応を語る。また、「次は星空が観られるよう、また来ます」といった声もよく聞かれ、リピーターになってくれる方も多いという。

  • 井川線

    千頭駅の井川線ホームに停まる星空列車。井川線を走る車両は、トンネルなどの限界から、小さな車体をしている

  • 車内の様子

    車内の様子。車体が小さいので、椅子も狭い