シトロエン CXプレステージュ|フランス大統領や実業家などVIPのための華麗なる一台

国を動かすトップたちの足となり、比類なき快適性を提供してきたCXプレステージュ。これは、史上最高のシトロエンなのだろうか?

「あと必要なのは、機動憲兵隊だな…」ビロード生地に覆われたシートクッションに身体をもうほんの少し深く沈めながら、私は、そうつぶやいた。ライトを点滅させながら併走するトリコロールのバイクに跨がる警備部隊。フランス共和国にとって重要な任務を負う彼らにふさわしい、金色の飾緒を付けた洒落た制服を着た憲兵たちだ。もしくは、ミラーサングラスをかけた運転手兼ボディガード。そして私が重大な責務について考えを巡らせながら、ビロードのように柔らかな静けさに身をゆだねる傍らで、私のスケジュールをてきぱきと管理する有能な秘書。

それは頂点に立つために生まれた
どちらのシナリオも、この車にはぴったりのシチュエーションだろう。シトロエンの愛好家の多くは、CXシリーズをシトロエンの頂点であり、エンジニアリングに対するチャレンジ精神と優れた技能の証であると考えている。この精神と技能は、その後、徐々に衰退し、ついにシトロエンの全ラインナップからハイドロニューマチック・サスペンションが姿を消すことになった。

CXプレステージュは実に勇気あるアイディアによって生まれた。実業家や文化人、そしてフランス政府最高位の要人たちの足となるだけでなく、フランス以外の政府関係者にも愛された。

機構的な面で言えば、1974年式CXはその先行モデルであるDSの発展型だ。すなわちセルフレベリング機構付きハイドロニューマチック・サスペンションとパワーアシストブレーキ、そして同じく高油圧システムを活用したパワーステアリングを備えるという、フルサイズの前輪駆動のDSベルリンをほぼ踏襲していると言っていい。DSではエンジンが縦置きだったが、CXでは横置きになっている。さらにCXは、名車SMの速度感応式パワーステアリング技術を引き継いだ。

かの有名なシトロエンのロベール・オプロンによってデザインされたボディワークは、風洞試験を通してさらに空力性能が向上され、その空気抵抗の少ないエアロダイナミックデザインから、抵抗係数を表す記号を用いて"CX"と名付けられた。

ベースモデルでさえも素晴らしく魅力的で、ゆったりとしたスペース、快適性、そして際立つ優美さを備えていた。デビューと同時にヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞すると、とりわけハイグレードのパラス仕様はエグゼクティブたちを魅了し、背丈の高い大統領たちの手にも渡った。しかし当初から、シトロエンには文字通り、もっと大きなプランがあった。1975年、シトロエンはル・マンの南西に拠点を置くコーチビルダー、ユーリエと契約し、国務のニーズにより適した車を製作するよう依頼した。これは、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領が、大統領専用車となった新型CXベルリンのキャビンが狭すぎるとの(やせ気味ではあったが、身長が190cm近くあった)、感想を述べたことがきっかけであるといわれている。



ユーリエは誰でも予想できる手法を用いた。つまりボディを中央で半分に切断し、10インチ(約25cm)ホイールベースを延長したのだ。このロングホイールベース・シャシーはCXブレーク、そしてユーリエが従来から扱っていた救急車と霊柩車のラインナップにも採用された。

もちろん、このラインナップの中で最も注目すべきはシトロエンが誇るスーパープレミアムカー、CXプレステージュだった。ロングホイールベース・シャシーに、シトロエンのカタログに掲載されている、あらゆるラグジュアリーオプションに加え、リアパワーウィンドウ、シガーライター、フットレストなども装備された。後部座席の足元は、従来型のどのベルリンよりも広いスペースが確保されている。

大統領は非常に満足したらしく(政治的な理由でプジョー604リムジンも使用していたが)、このプレステージュはすぐに彼のお気に入りの一台となった。最終的に、約4000台が内政や外交の職務用として購入された。また、身長が約190cmと大柄なジャック・シラク大統領が選挙の夜に行われた祝賀パレードで、自身が所有するCXプレステージュに乗ってパリを横断したことは有名である。彼はCXの生産が終了した1989年以降も、このエリゼ宮殿のために造られた車を長期にわたり愛用していた。

さらに約4倍の数のプレステージュが、企業のCEOやセレブリティー、海外のさまざまな政治家たちの手に渡ったが、中には製品イメージにとってあまり好ましくない人物もいた。1971年からベルリンの壁崩壊まで、東ドイツの最高指揮者であったエーリッヒ・ホーネーカーもそのひとりである。彼はCXの熱狂的なファンであり、2台のプレステージュを含め複数のバリエーションを所有していた。フランソワ・ミッテランの訪独に敬意を表そうと、プレステージュをさらに無理やり引き延ばしたが、悲しいかな、その実現を待たずしてベルリンの壁の崩壊と同時に失脚した。また、ルーマニア社会主義共和国の最高指導者であったニコラエ・チャウシェスクの妻、エレナも革命軍の手によって銃殺刑となるその日まで、プレステージュを愛車としていた。

元フランスの政府専用車
筋金入りのシトロエニスト、マイケル・クインランがプレステージュを手に入れたのは、さほど劇的でもないごく平凡なきっかけである。「5年前、パリで行われたオークションで落札しました。ありえないほど安かったので、下見もしないで購入したくらいですよ」実際、彼が口にしたのは、状態の良い中古のルノー・クリオの価格にも満たない数字だった。

「とりたてて多くの歴史が詰まっているわけではありませんが、典型的な落ち着きのあるブラックの塗装と淡黄褐色のインテリアを見れば、フランスの政府公用車であったことは間違いありません。そして彼らが好んだ布のシートもね。レザーでは会議へ向かう途中でズボンにテカリがでてしまいますから」

「これはごく初期のシリーズ1で、キャブレターとクロムバンパー、突起していないルーフラインが特徴です。シトロエンは、約9カ月後にリアシートの頭上をさらに高くしました(これもジスカール・デスタン大統領によるリクエストだった)。走行距離はわずか3万kmでしたから、きれいに再塗装し、ちょっとしたテストを行い、車体をカット&シャットによる溶接の継ぎ目を隠すためにユーリエが使用したビニールルーフを補修するだけで、あとはなにも必要ありませんでした」



セントラルロンドンの洒落た雰囲気は、プレステージュのホームタウンであるパリに匹敵すると言っていいだろう。ロイヤル・アルバート・ホール周辺の広く静かな大通りで、私は運転を替わった。優れたブレーキとゴーカートのように正確で応答性の高いステアリングを備えるクラシック・シトロエン。そして、信じがたいことに、ロングホイールベースは路面に空いた大きな穴による衝撃も吸収し、その伝説的な乗り心地を一層高めている。

常にクラシック・シトロエンの問題であった貧弱な4気筒エンジンの馬力を考えれば、低速域での加速も驚くほどすばらしい。しかしマイケルによると、このパワーはローギアリングによるところが大きく、時速80〜85マイルも出ればいいところらしい。心理的な影響もあるのだろう。広々としたインテリアは、この美しく大きな車体を、あたかも超高速で運転しているような錯覚に陥らせるが、実際はSMよりもわずか10インチ長いにすぎない。

まぁ、そんなことは気にすることもないが。縦に取り付けられたラジオ、特徴的なボビン式スピードメーターとレヴカウンター、インストルメントクラスターに散らばる17種類の警告灯など、すべてはエンターテイメントの一部なのだ。くしゃみが出ないことを除けば、まるで羽毛のマットレスのようなシート。当時販売されていた同等の"支配階級用"大型メルセデスでも、フロント、リアのいずれにもこれに相当するシートは採用されていなかった。

だがシトロエン愛好家はある意味正しい。このエンターテインメントは、プレステージュが発売される前に終わっていたのだ。シトロエンは軽率なパートナーシップを組み、悩みの種であったアンダーパワーを解決できたかもしれないロータリーエンジンの開発に失敗して大金を失い、1973年に勃発した第一次石油危機に途方もなく苦しみ、そしてついに、CXが生産を開始した矢先の1974年、やむを得ずライバルであるプジョーの傘下に入ることとなった。

シトロエンはその後も、革新的でスマートな車を開発した。しかしなぜかDSやCXが人々を魅了した重要な要素は、C6の生産が完全に終了する2012年までにかけて消滅の一途をたどった。C6は、有識者のためにデザインされた、存在感と高性能を誇るエレガントなシトロエンの最後の一台となった。新しいシトロエンはどれも、他の車とは違うという魅力が薄れていったのはとても残念なことである。

1976年製シトロエン CXプレステージュ
エンジン:2347cc、4気筒、OHC、ウェバー製34DMTRキャブレター
最高出力:115bhp/5500rpm 最大トルク:17.9kgm/3500rpm
変速機:4段MT、前輪駆動 ステアリング:ラック・ピニオン、パワーステアリング
サスペンション:前後ともセルフレベリング機構付き
ハイドロニューマチック・スプリング/ダンパーユニット、
前/ロアウィッシュボーン、後/トレーリングアーム
ブレーキ:ディスク、油圧式 最高速度:112mph(公表値)0-100km/h 12秒