左からナイツの塙宣之、土屋伸之、ゆでたまごの嶋田隆司、中井義則、ホリ。

ゆでたまご「キン肉マン」の40周年、および同作をテーマにしたスマートフォン向けゲーム「キン肉マン マッスルショット」の4周年を記念したイベント「炎のMUSCLE SPRING FESTIVAL2019」が、去る3月29日にヒューリックホール東京にて開催。ゆでたまごの原作担当・嶋田隆司、作画担当・中井義則のほか、ゲストとして串田アキラ、キン肉マンファンである芸人のナイツ、ホリが出演した。

平成最後の“キン肉マンの日”となるこの日のイベントでは、まず串田が「キン肉マン旋風(センセーション)」「テキサスブロンコ(テリーマンのテーマ)」「炎のキン肉マン」を歌い会場を盛り上げる。続いてはゆでたまご、ホリ、ナイツの5人によるトークコーナーへ。ホリ司会のもと、「キン肉マン」誕生秘話として、嶋田が小学4年生の休み時間に作品を生み出したこと、最初はガリガリの浮浪者が変身する設定だったこと、4年生当時は「筋」の漢字がわからなかったことから「キン」がカタカナになったことなどが語られていく。ホリから「連載が36巻で1度終わってますが、王位争奪編の次に(連載終了しなかった場合の)構想はあったんですか?」と質問が飛ぶと、嶋田からは「キン肉マンたちが未来で戦う未来超人編っていうのをやろうとしてた。でも王位争奪編でキリがいいなと思ったのでやめた」と秘話が明かされた。

続いてはホリとナイツの塙宣之、土屋伸之の3人が、それぞれ事前に答えた「キン肉マン」に関するアンケートの答えを見ながら話すコーナーへ。「お気に入りの超人は?」「最も好きな必殺技は?」「最強のタッグチームは?」といった話題で盛り上がった。「最弱だと思う超人は?」の項目ではホリがカニベース、塙がキン肉マンビッグボディ、土屋がレオパルドンを挙げ、それぞれ「カニベースは(超人強度が)2パワーしかねえから。2パワーって何?」「ビッグボディは65巻で実は強かったことはわかったんですけど、王位争奪戦のビッグボディは許せませんでしたよ! マッスルリベンジャーをかけられながら『強力の神にそそのかされただけなんだ』みたいな。しょうもない犯罪者じゃないんだから(笑)」「そのビッグボディについてきたのがレオパルドン(笑)」とそれぞれの意見を出し合う。しかし「水曜日のダウンタウン」や「アメトーーク!」などでもその弱さをいじられたレオパルドンについては嶋田から「緊張してたんですよ。こいつはスパーリングではめちゃくちゃ強いんです」とのフォローも飛び出した。

芸人3人がオリジナル超人をプレゼンするコーナーでは、ホリはゴールドマンとシルバーマンの弟である「ブロンズマン」、塙は相手を笑わせて倒すという「Mr.センターマイク」を披露。馬の絵が得意なことで知られる土屋は「サラブレッドマン」という超人の絵を見せながら「僕は馬の絵を描くのは筋肉を描きたいから。このサラブレッドマンも筋骨隆々で、ほかの設定とかは考えてないです。筋肉が描きたかっただけ」とコメントし、嶋田は「これはいいですよ」、中井も「太ももの内側広筋と外側広筋っていうのがあるんですけど、それをきっちり描き分けられているので大したもんです」と絶賛。相方の塙は「これを先に知ってたら『サラ・ブライトマン』ってかぶせてたのに」とボヤいた。

休憩を挟んだ後半は、ライブペインティングのコーナーからスタート。中井が描く前にまず、ホリがロビンマスク、塙はブロッケンJr.、土屋がウォーズマンのイラストを披露し、客席から拍手を浴びる。続く中井はキン肉マン、ウォーズマン、ロビンマスクを次々と描き、プロの腕を見た芸人たちは「さすが筆がブレない」「そこから描くんですね」といった声をあげていた。

ライブペインティングの次は、ナイツによる「キン肉マン漫才」が披露された。塙の「今日はちょっと『キン肉マン』についてね、インターネットのヤホーで調べてみました」という定番フレーズからスタートした漫才は、「ゆでたまご先生って2人組なんですね。黄身先生と白身先生」「僕が好きだった超人はね、シビンマスク」「彼が発掘したのがウォークマン」と、ナイツらしい小ボケを連発しながら、約5分のネタを終えた。

そして迎えたエンディングでは嶋田が「この1年、まだまだイベントが詰まってますので楽しみにしていてください。『キン肉マン』は僕らのどちらかが亡くなるまで続けると思います」と挨拶。また恒例となった人気投票企画「超人総選挙」が今年も行われること、このイベント終了時から投票の受け付けを開始したことが告知された。さらにエンディングライブでは串田が「肉・2×9・Rock'n Roll」「キン肉マン Go Fight!」の2曲を歌ってイベントが終了した。

イベント終了後には、ゆでたまご、ホリ、ナイツが囲み取材に応じた。マスコミから「40年で一番つらかったことは」と質問が飛ぶと、嶋田は「集英社で10年ぐらいお世話になったあと、フリーになった時ですね。いろんな媒体で描いたんですけど思うようにいかなくて、また集英社に戻ることになったんですけど、僕らは集英社が合ってた。その一番苦しい時代に思ったのは相棒(中井)がいて良かったなと。相棒がいなかったらもしかしたら辞めてたかもしれないし、相棒には家族がいるからなんとかしないとっていうのもあったし。つらい時も毎週ご飯を食べに行く日を決めてたんですよ。それでずっと気持ちが折れなかったのかもしれないですね。まさに友情パワー」と振り返る。中井も「一番楽しかったのは最初の3年ぐらいで、『キン肉マン』が人気出てからは、大きな荷物を持ってしまった感じ。そのプレッシャーとの戦いで、自分にとっては厳しかったですね。ペンを持てない時期が数年あったんですけどその頃が一番つらかったです。だけどその間も2人で会って食事したり話したりして。今思うと『嶋田と一緒ならどんな困難も乗り越えられるな』という安心感はありました」と目を細めていた。