「Appleはワールドクラスのハードウェアと、ワールドクラスのソフトウェアを作ってきました。そして様々なサービスを手がけています。今日は全てサービスについてお話します」とTim Cook氏が述べて3月25日のスペシャルイベントは始まった。

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サービスとは何か? Cook氏は「誰かを助ける行動、または誰かのために働くこと」という辞書の定義を紹介した。Appleは、同社の製品を通じて人々の暮らしや生活がより豊かになるようにサービスを提供している。だから、サービスにフォーカスしたShow Timeイベントのキーノートは、100%ユーザーに向けた内容になる……と思われた。

ところが、そうはならなかった。イベントが終わった後、Apple株は投資家がとまどっているような値動きを見せ、Goldman Sachsのアナリストは「予想とずいぶん異なる内容だった」とコメントしていた。

何が予想と違ったのか。Appleがサービスを新たな事業の柱とする戦略を明確に打ち出したこの日のキーノートは、WWDCのキーノートを思わせる内容になった。WWDCとはAppleが5~6月頃に開催する開発者カンファレンスである。そのキーノートは一般のAppleユーザーからも注目され、製品発表も行われるが、基本的にエンドユーザーではなく開発者に向けた内容になる。25日のShow Timeイベントも製品発表を軸にしながら、ユーザーだけではなく、ジャーナリスト、ゲーム開発者、映画監督や番組プロデューサーなどクリエイターを意識した内容になった。だから、アナリストが戸惑ったのだろう。でも、そこにAppleのサービス戦略の本質がよく現れている。

例えば、この日の発表の1つであるゲームのサブスクリプション型サービス「Apple Arcade」を紹介する映像の中で、同サービス向けの新作を手がける坂口博信氏が「(たくさんの人達に)僕たちの作品を手に取ってもらえるというのは奇跡的にうれしいです」とコメントしている。

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Appleの「誰かを助ける行動、誰かのために働くこと」の"誰か"にはユーザーだけではなく、クリエイターも含まれる。クリエイターが素晴らしい作品を生み出すのをサポートし、そうした作品に触れるチャンスを人々にもたらすことで、人々の暮らしがより豊かになり、クリエイターがさらに新しい作品を生み出す機会が広がる。そんなプラス循環を生み出すのがAppleのサービスプラットフォームである。

その軸となるのが「サブスクリプション」だ。「Apple News+」「Apple Card」「Apple Arcade」「Apple TV+」、今回の4つの発表の内の3つはサブスクリプション型のサービスだった。

サブスクリプションは「定額制」と訳され、「読み放題」や「聴き放題」のサービスとしてよく紹介されているが、「○○放題のお得なサービス」というだけでは、人気のないコンテンツや古いコンテンツなど売れないコンテンツを寄せ集めたサービスになってしまう。契約してみたけど、大量のコンテンツの中に見たい作品、読みたい作品が少ないという経験をした人もいるかと思う。

これからの大きな可能性として期待されるサブスクリプションはその逆で、優れたコンテンツを生み出し、たくさんの人達がそれらを消費するチャンスをもたらすサービスだ。今日デジタルコンテンツには、有料と広告やアプリ内課金に支えられる無料のものがある。有料のヒット作品も数多いが、出費せずに簡単に楽しめる無料コンテンツとの競争は厳しく、ユーザー数では無料コンテンツに適わない。そして高額なコンテンツになるほど敬遠され、クリエイターが時間をかけてこだわった作品を作りにくく、カジュアルなコンテンツに偏る傾向が見られる。また無料コンテンツの競争が激化し、それがフェイクニュースや詐欺的なアプリ内課金といった問題を生み出した。

サブスクリプションはユーザーが数多くの有料コンテンツをコストを気にせず楽しめ、それがクリエイターの製作活動のサポートになる第3の収益モデルになり得る。そのためには、サブスクリプションを売れないコンテンツの吹きだまりにしてはならない。これまで広告に頼らざるを得なかったクリエイター、低価格に設定せざるを得ない状況に不満を抱いていたクリエイターに、人々が消費したいと思う優れた作品をサブスクリプションで提供することに挑戦してもらう必要がある。それがプラス循環のきっかけになる。

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この日発表された4つのサービスの内、すぐに利用できるようになったのは「Apple News+」のみ、しかも米国とカナダのみである。

  • Apple News+: 米国とカナダで25日に開始、今後半にオーストラリアと英国に拡大
  • Apple Card: 夏に米国で提供開始
  • Apple Arcade: 秋に150カ国以上でスタート
  • Apple TV+: 秋に100カ国以上で提供開始

今すぐ体験できないサービス製品の発表、価格など詳細に言及しない発表に「失望した」という声も見られる。だが、今回はクリエイターの参加を促すためのWWDCのようなイベントであると考えたら、Appleの狙いが見えてくる。エンドユーザーのための本当の製品発表は夏~秋。その前にプラス循環を生み出すための公表が必要だった。

それを踏まえて、改めて4つの発表を順にふり返っていこう。