今年以降、京急大師線で大きなイベントが相次ぐ。1月21日には、大師線が京急電鉄の創業路線であることから、「京急電鉄 開業120周年記念式典」が京急川崎駅の大師線ホームで執り行われた。3月3日には東門前~小島新田間が地下化される。2020年3月には、同社の他の駅とともに産業道路駅の駅名が変更され、「大師橋駅」となる。

  • 今年は話題に上ることが多い京急大師線(写真提供 : 京急電鉄)

    今年は話題に上ることが多い京急大師線

しかし、これだけ話題に上るものの、通勤・通学利用者や沿線に住む人を除けば、京急大師線を全線乗り通す機会は少ないのではないか。また、終点の小島新田駅の先に広がる臨海部には何があるのかなど、意外と知られていないことがたくさんあるように思う。

今回は京急大師線の歴史に触れつつ、小島新田駅から臨海部を歩き、多摩川を渡った先にある京急空港線・東京モノレールの天空橋駅まで探索してみることにした。

■京急大師線は現在より長い路線だった

京急大師線は京急川崎駅を起点に小島新田駅までを結ぶ約4.5kmの路線だが、かつて、いまより長い路線だった時期があるという。

  • 3月3日に地下化される産業道路の踏切を通過する京急大師線の電車。この風景も間もなく見られなくなる

大師線が六郷橋~大師間の営業距離約2kmで開業したのは1899(明治32)年1月21日であり、開業から3年後の1902(明治35)年には、官鉄(現・JR)の川崎駅近くまで延伸された。

その後、明治の終わりから大正の初め頃、当時の京浜電鉄は大森山谷(現・大森町駅)から鶴見の總持寺を結ぶ「生見尾(うみお : 生麦、鶴見、東寺尾が合併してできた村名)支線」を敷設しようと計画したが、「同支線敷設に伴う既設線への悪影響を理由」(『京浜急行八十年史』京急電鉄編) に却下された。そこで方針を変え、東京府内の路線建設を断念し、海岸電気軌道という子会社を設立。1925(大正14)年、当時の大師線の終点である大師~生見尾(總持寺)間に軌道を開通させている。

  • 1932(昭和7)年の地形図。「大師線」「鶴見臨港軌道」という路線名が読み取れる(川崎市中原図書館所蔵)

この路線を現在の地理で説明すると、川崎大師駅を出た後、産業道路駅の手前でカーブを描きながら南下。産業道路を走り、弁天町のあたりで産業道路と分かれて北西に進み、鶴見川を渡って総持寺駅(京急鶴見駅と花月園前駅の間にあった)に至っていた。

しかし、海岸電気軌道は昭和恐慌のあおりを受けるなどして経営難に陥り、鶴見臨港鉄道(後の鶴見線)に合併されるなど、紆余曲折をたどる。そして産業道路の拡幅整備を機に、1937(昭和12)年に廃止された。産業道路駅南側の出来野交番裏手のカーブした道や、總持寺駅のあった場所という鶴見区の本山前桜公園が、わずかに残る海岸電気軌道の名残りといえる。

  • 海岸電気軌道の「總持寺」駅があったとされる鶴見区の本山前桜公園

  • 桜川公園の川崎市電702型車両の保存場所には、塩浜駅で大師線と川崎市電が接続する、昭和30年代頃の路線図が掲示されている

その後、大師線が再び延伸されるのは、1944(昭和19)年から翌年にかけてだ。戦時中の陸上交通事業調整法による、いわゆる「大東急」体制の下、軍需生産で活況を呈する臨海部の工場地帯への工員輸送をおもな目的として、川崎大師駅から桜本駅まで開業した。

戦後、1948(昭和23)年に京浜急行電鉄として独立した後、1952(昭和27)年、川崎市電を運行する川崎市に塩浜~桜本間を譲渡。1964(昭和39)年、国鉄塩浜操作場駅(現・川崎貨物駅)建設のために小島新田~塩浜間が休止となり、1970(昭和45)年に正式に廃止された。こうして現在の京急川崎~小島新田間の路線が確定した。

■近未来的な風景や斬新なデザインのホテルも

京急大師線の終点、小島新田駅の改札を出て左手から貨物線の線路を渡る跨線橋の階段を上ると、川崎貨物駅を一望できる。跨線橋を渡ったら、その先の「小島新田児童公園前」交差点を左手(北)に向かって歩いて行こう。

  • 小島新田駅は1964(昭和39)年の小島新田~塩浜間休止時に京急川崎寄りへ300mほど移動した

  • 広大な川崎貨物駅

  • 川崎大師の創建にまつわる物語が記されている「夜光町の由来の記」

やや距離があるので今回は省略するが、この交差点を右手(南)に20分ほど行くと、「夜光町」交差点の近くに川崎大師の創建にまつわる物語が記された「夜光町の由来の記」の説明板があることもお伝えしておきたい。

さて、多摩川の土手をめざして北に歩を進め、首都高の下をくぐると、その先にはライフサイエンス・環境分野を中心とした研究施設などが集まる「殿町国際戦略拠点 キングスカイフロント」の近未来的な風景が広がる。このエリアの一角に、昨年6月1日にオープンした「川崎キングスカイフロント東急REIホテル」という特徴的なホテルがあるので、立ち寄ってみた。

同ホテルは「倉庫」を意味する「The WAREHOUSE」をコンセプトに、まるで京浜工業地帯に昔からあった倉庫が生まれ変わったような、ありのままの素材感が「味」となる斬新なデザイン空間が特徴となっている。

  • 「The WAREHOUSE」をコンセプトにしたインテリア(写真:東急ホテルズ)

また、ただ泊まるだけのホテルではなく、サイクリングやランニングといったリバーサイドアクティビティと気分転換のエクササイズ、多摩川を眺める大浴場でのリフレッシュ、羽田空港の夜景を一望するレストランテラスや客室など、「ライフスタイルに合わせた滞在が楽しめる機能」を備えているという。

さらに、川崎市周辺で回収された使用済みプラスチックを原料に作られた低炭素水素を工場からホテルにパイプラインで送り、純水素燃料電池により、ホテル全体の約3割の電気や熱などをまかなっている。これはホテルとして世界初の試みだ。

  • 川崎キングスカイフロント東急REIホテルから見た羽田空港の夜景(写真:東急ホテルズ)

羽田空港へのアクセスは現在、車で10分ほどかかる。しかし、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて工事が進められている「羽田連絡道路」(川崎区殿町三丁目~大田区羽田空港二丁目)が完成すれば、徒歩約15分または車で5分で空港にアクセスできるようになるという。今後は羽田の早朝便・深夜便利用時などにありがたい存在となりそうだ。