「100年以上続けられている実験がある」


そんな話を聞き、その壮大な実験を自分の目で確かめようと小樽にある「おたるみなと資料館」に行ってきました。
現地に到着し、見つけたのがこちら。

実験結果が貼られています。
海水の中で保管していたコンクリートの試験片(ブリケット)を引っ張って、十分な強度があるかどうかを確かめる「抗張力試験」の結果です。

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拡大すると......



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平成29年10月6日(金)と試験日の記載があります。
しかし、実験に用いたブリケットは90年前に作られたもの。
100年以上前に作られたものを用いているというわけではなさそうです。


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館内には試験に用いられた実験器具の展示もあり、その横には抗張力試験の結果報告に乗せられていた機械と同じようなブリケットが展示されています。

しかも、触ることができるものもあります!


よく見てみると、ブリケットが製作された時代にはバラツキがあるようです。

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(明治から大正まで、製造年月日はまちまち)

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(触れるブリケット。青い袋に入ったものは「M35(明治35年、1902年)製造」との記載がある)

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(ブリケットの近くには廣井博士の言葉も展示されています)



では、どうしてこの実験が「100年耐久試験」と呼ばれているのでしょうか。

そこには、近代土木工の礎を築き、港湾工学の父といわれる「廣井勇博士」(小樽築港事務所 初代所長)が深く関わっていました。



100年耐久試験が始まったのは明治29年(1896年)。

今も現役で小樽港を荒波からまもっている日本初の大規模な外洋防波堤「小樽港北防波堤」の建設が始まる(明治30年)少し前のことです。


当時の時代背景として、物流の増加がありました。

札幌から東南東に50kmほどのところにある幌内でとれた石炭を本州へ運ぶために、明治13年(1880年)に幌内から札幌、明治15年には札幌から小樽市手宮まで鉄道が敷かれました。

小樽港は、それまでの水産物などに加え、たくさんの石炭を本州に向けて積出しできるようになり、発展していきます。

しかし、小樽港は、荒波や暴風から船を守る対策がされないまま。船と人を守るため、防波堤を築く必要がありました。

政府もその必要性を認め、小樽港の調査、築港試験工事を経て、明治30年から10年かけて行う小樽港築港工事が始まります。


これよりわずか5年前の明治25年に、横浜港でコンクリートが崩壊する事故がありました。海中に設置した防波堤用コンクリート・ブロックの一部が崩壊したのです。ほかにもコンクリート・ブロックに亀裂がみつかる事例が国内外であり、海水にさらされた状態でのコンクリートの耐久性について疑問が生じていました。小樽港の築港計画はこうした状況での取り組みでした。

コンクリートの利用例は内外で知られていましたが、耐海水性コンクリートについては各国も研究を進めている最中であり、確立した製造方法もありません。


そんななかでの、挑戦だったのです。


廣井博士は関係する論文を読み、方法を分析し、試行錯誤を重ね、ドイツで報告のあった「火山灰を混ぜる」手法を用いて、耐海水性が高く、かつ費用も安く抑えたコンクリートを作ります。

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他国でも火山灰を混ぜたコンクリートの使用実績はありましたし、ドイツで実績のある手法を参考にした試行で成功していたとはいえ、実際のところコンクリートの耐海水性はどうなのでしょうか?
コンクリートの専門家でなくても気になるところです。



このコンクリートの耐海水性を調べるものが、のちに100年耐久試験と呼ばれるようになるコンクリートの抗張力試験です。



廣井博士は明治30年(1897年)から建設の始まった小樽港だけでなく、函館港の改良工事(明治29年~32年)も監督指揮していて、そこで実際に工事を始める前にもコンクリートのいろいろな試験を行っていました。

ブリケットを使った耐海水性の試験はその1つで、小樽港でも試験工事の1つとして同じ手法でコンクリートの耐海水性試験が始められました。

工事開始後にもブリケットの製造は続けられ、約6万個が作られました。そのうち現存しているのは約4000個。次の試験が行われるまで、空気、淡水、海水の中で保管されつづけています。


実験では、長期間それぞれの条件で保管されていたブリケットを使って引っ張り試験を行い、空気、淡水、海水、それぞれの環境がコンクリートの強度にどのような影響を与えるのか調べます。
その試験は米国土木学会誌に「On Long-Time Tests of Portland Cement」(大正2年、1913年)として報告されていて、この中では50年を目処としていたとの記述があります。

いつから100年耐久試験と呼ばれるようになったかはわかりませんが、すでに開始から100年以上にわたる長期試験になっています。

そして、今もその実験は続いていて、抗張力試験で当時作ったコンクリートの海水耐久性に問題がなく、別の調査でもコンクリートの強度に問題がないことは、紛れもない事実です。


今回、100年耐久試験を見るために「おたるみなと資料館」を訪ね、土木学会選奨土木遺産にもなっている小樽北防波堤について知ることができました。

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(土木遺産カード。おたるみなと資料館で「ほしいです」と伝えいただきました。公益財団法人土木学会北海道支部)


展示を通して、多くのことを知りました。


小樽港北防波堤をつくるために、廣井博士は防波堤にかかる波の力を推定しようと、廣井公式と呼ばれる波圧計算式を編み出し、自分で波力計を設計。実際に作って設置する場所を決めたこと。

スリランカのコロンボ港を視察し、当時最先端のコンクリート・ブロックを斜めに重ねていくことで波力を分散させるスローピング・ブロック・システムを採用したこと。

さらには、廣井博士の歩んできた道や、嵐がきた時に作りかけの防波堤に何かあったら自らすべての責任を負う覚悟で挑んでいたこと。また、小樽港北防波堤の竣工式に現場の作業員が呼ばれなかったため、彼らを招いて自費で会を開くなど、ともに働く人たちのことをとても大切にしていたこと。

そして、廣井博士だけでなく、廣井博士のもとで働きその後を継ぎ第3代目 小樽築港事務所 所長となった伊藤長右衛門氏も、世界的にも独創的だった斜路を用いたケーソン進水を採用したことなど、多くの人たちが未来を見据え、高い志をもち、港湾事業などに取り組まれたこと。


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(廣井式波圧計に関連する展示)



もうすぐ新しい元号にかわります。


私たちはこれからどのような未来を築いていくのでしょうか。
後世の人たちにどのように振り返ってもらえるのでしょうか。

平成30年は明治元年から150年目の節目にあたります。さまざまな場所で明治時代を振り返るイベントや展示が行われているので、この機会にぜひ、いろいろなところを訪れてみてください。


そして、その後は「今」という場所から「未来」を考えるために未来館へ。
50年後の子孫から手紙が届くという設定の展示「未来逆算思考」、1000年後の未来館に久しぶりに訪ねてきた人間になって空間情報科学とは何かを体験できる展示「アナグラのうた」があります。
それ以外にも、今の私たちが何に価値を見出し、何を大切にし、何を選び、どんな社会を作っていきたいのか、考えるきっかけがたくさんあります。
そして、みなさんの考えを是非、科学コミュニケーターにお知らせください。


最後に、100年耐久試験をご紹介くださった岸利治先生(東京大学生産技術研究所 教授)、急な訪問にも関わらずご対応いただいた「おたるみなと資料館」の方に御礼申し上げます。


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訪問場所
おたるみなと資料館

参考文献
北海道開発土木研究所月報 特別寄稿
シリーズ 港湾技術の創生期に学ぶ~廣井勇に学ぶ OTARU ゼミナールの活動より

海洋開発論文集 第21巻(2005年7月)
廣井ブリケットについて



Author
執筆: 三ツ橋 知沙(日本科学未来館 科学コミュニケーター)
専門は植物分子生物学(修士)。実験三昧の日々を送るが、さらにおもしろい仕事を求めて研究所から未来館へ。 専門外の科学のおもしろさを知り、日々の生活もより楽しくなった。一般社会に伝わる方法を模索中。