「恋」という言葉を国語辞典で引くと面白い。一緒にいられない人に強くひかれて切なく思うことだとシンプルに説明してあったり、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほど心が高揚する一方で、破局を恐れて不安に駆られる心的状況なのだと、微に入った納得の説明がされていたりする。では、この恋の炎が燃え上がりやすいのは、どういう社会で暮らしているときなのか。北海道大学博士課程学生の山田順子(やまだ じゅんこ)さん、結城雅樹(ゆうき まさき)教授らの研究によると、それは、恋人選びの自由度が高くて競争が激しい社会なのだそうだ。

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山田さんらは、いま特定のパートナー(夫婦を含む)がいる日本と米国のそれぞれ51人、107人に対し、2014年12月から2015年1月にかけてインターネット調査を行った。その結果、「相手に対する情熱」と「恋愛関係の流動性」の間に関係が見つかった。

「相手に対する情熱」は、いま一緒にいるステディーな相手に対する、その人個人の思い。「他の誰よりも(相手の名)さんと一緒にいたい」「(相手の名)のことで頭がいっぱいになって、何も考えられなくなることがある」といった15項目の質問に、それぞれ「強くそう思う」から「まったくそう思わない」までの6段階で答えてもらった。

その結果、米国人のほうが日本人より情熱のスコアが高く、つまり熱い思いを持っていることが分かった。この点については、従来の研究でも、北米の人たちは東アジアの日本人や中国人より情熱的だと指摘されており、とくに目新しいものではないという。面白いのは、恋愛に関する社会の流動性との関係だ。

「恋愛関係の流動性」の質問は、「周りの人たちには、これから恋人になるかもしれない異性と知り合いになる機会がたくさんある」「周りの人たちは、恋人として付き合う異性を自由に選べないことがある」などの6項目。やはり、それぞれを6段階で評価してもらった。自分自身ではなく周りの人の状況について質問することで、恋愛関係におけるその社会の流動性、つまり、どれくらい簡単に相手を乗り換えらえる社会なのかを聞いた。

この「流動性」についても、米国と日本で差が出た。米国人のほうが日本人より、自分の暮らす社会は恋愛関係の流動性が高いと認識していた。さらに「情熱」との関係を調べると、「流動性」が高いと認識している人ほど「情熱」が高い傾向が見られた。結果として、恋愛関係の流動性が高い米国社会では、恋愛への情熱も強いということになる。今回の分析は、「流動性」の高さが強い「情熱」の原因になっているという因果関係を示すものではないが、山田さんは、「社会は個人より先にあり、個人は社会に影響されるはずだ。恋愛関係の流動性が高い米国の社会構造のもとでは、恋人に捨てられる不安が生じやすく、強い情熱を保ち続けることに意味があると解釈することができる」と説明する。

今回の調査では、情熱の強さと「情熱を示す行動」に関係があるかどうかも調べている。「(相手の名)さんと頻繁に話したり、メールしたり、電話したりする」「他の異性と二人で出かけることは避ける」「みんなと一緒にいるときでも、(相手の名)とだけ話すように努める」といった6項目について質問し、「恋人以外の異性との関わりを断つ行動」「恋人との心理的・身体的な距離を近づける行動」「恋人を特別扱いする行動」の3グループに分けて整理した。その結果、いずれのグループについても、情熱の強い人ほどその行動をとりがちだった。熱い気持ちは行動に表れていたのだ。

まとめると、恋人を自由に選べる流動性の高い社会ほど、人々の恋愛は情熱を増し、相手に対してより献身的な行動が見られるようになる。もちろん、ロミオとジュリエットのように、家が二人を隔てる流動性の低い社会で燃え上がる恋もあれば、人目を忍ぶ熱い恋などというものも世間にはあるらしいが、山田さんらの研究は、あくまでも米国人という「集団」、日本人という「集団」を対象にして全体的な傾向を明らかにしたもので、個々の恋愛に立ち入ったものではない。念のため。