がんの罹患数は年々増加傾向にあり、いまや2人に1人が何らかのがんに一度は罹患すると言われるような状況にある。さらに、世界に先駆けて進む高齢化に伴う医療費用や介護費用といった社会保障費の増大に対して財源をどのように確保するのか、といった問題が喫緊の課題となっており、健康寿命やアクティブ寿命の増進に向けた取り組みなどが進められようとしている。

そんな日本を取り巻く状況下において、ヤフーは9月6日、九州大学病院別府病院(九大別府病院)と大分県別府市医師会と連携して、病気発症リスクや体質が調べられる一般向け遺伝子多型検査のがん治療における有用性の実証に向けた共同研究を開始することを発表した。

これまでに別府市では、「市の医師会が中心となって、九大別府病院のような基幹病院と、個人開業医のクリニック、いわゆるかかりつけ医で医療情報をやり取りすることを可能とするネットワーク「ゆけむり医療ネット」の構築を進めてきた」(別府市医師会の矢田公裕 会長)というような、ITを活用した医療の最適化向けた取り組みを行ってきており、今回の共同研究の舞台となれる下地は育ちつつあったといえる。

別府市医師会が中心となって構築が進められてきた「ゆけむり医療ネット」の概要

今回の共同研究の目標は、「遺伝子診断技術を活用して、がん患者の術後の長期的管理医療ネットワークの構築を目指す」(九大別府病院 外科 診療科長の三森功士 教授)となっているほか、別府市内における医師会関連病院間における情報網とヤフーの持つセキュリティを含むさまざまな技術を組み合わせることで、「全国の温泉保養都市に先駆けて健康増進を目指す」というものとなっている。

具体的には、どのような研究がなされるのかというと、九大別府病院のがん患者50名を対象に、外科手術で摘出したがん組織(がん原発巣)のゲノム解析を実施するほか、生涯変化しない遺伝子を構成しているDNAの配列のうち、個人差が現れる配列部位である遺伝子多型情報(SNP情報)を患者のだ液から分析を行うというもの。がん組織のゲノム解析からは、再発に関する遺伝子変異や、その患者に遺伝子レベルで有効性が示唆される抗がん剤候補の提示などが可能となる一方、だ液からは将来の健康リスクや周術期の健康リスクの予測などができるようになる可能性があるという。

がん患者の場合、死亡するまでに再発の可能性のほか、治療時の合併症の発症やまったく別の疾患が生じる可能性なども考えられ、そうしたリスクをがん組織のゲノム解析と、だ液による遺伝子多型検査から得ることで、がん患者のQOLの向上などにつなげることが今回の研究の目的の1つとなっている

ヤフーは2014年より、病気や薬、健康にかかわる情報を提供する「Yahoo!ヘルスケア」が取り組むプロジェクト「HealthData Lab」を提供してきており、2mlのだ液から、その人の約100項目の健康リスクと約200項目の体質傾向を提供するサービスを展開してきた。今回の共同研究では、同社のこの取り組みを踏まえ、個人情報の取り扱いなどに同意をしてもらった患者に対し、ヤフーより送られてくる遺伝子多型情報の採集キットを使って、遺伝子多型情報を取得するほか、がん組織のシーケンス解析を東京大学大学院 新領域創成科学研究科に九大別府病院から委託する形で行ってもらうことで、体細胞の変異情報などを取得。こうして取得された2つのデータを含めた個人情報はヤフーが管理を行いつつ、研究に参加する医師間で閲覧を可能とする場をヤフーが提供するほか、医療者向けには遺伝子多型データベース「GwasCatalog」に収載されている約5万遺伝子多型情報への閲覧機能も提供する(データベースの情報は随時アップデートされていく予定)。

今回の共同研究のフレームワーク

実際のデータ取得に至るまでの事前準備の手順(左)と今回の研究における2つの分析に対するアプローチの方向性(右)

また、患者本人もHealthData Labから通常のサービスと同様の情報閲覧は可能となっているほか、「健康関連データは患者自身のためにも使える」というコンセプトの元、この医師には情報を開示しない、といった取捨選択を患者が行うことも可能としている。

さらに、プロジェクト参加医師間の間で、がん組織由来の解析情報をヤフーのクラウド上に保存することが可能なシステムも提供されるという。

ヤフー側でこの研究の指揮をとる別所直哉 執行役員(インテリジェンス管掌)は、「ヤフーでのデータ解析と、そのデータが医師の情報として記載されることを患者一人ひとりから理解を得ていくなど、情報の取り扱いを慎重に行っていく」と、患者ありきを強調するほか、クラウド活用で懸念されるセキュリティについても「いろいろな病院からアクセスできるようにすることを考えいるため、かなり厳格な体制を採用していく。外からのアクセスについては2段階認証を採用するほか、アクセスコントロールについても、内部での管理をしっかりと行っていく」と、念には念を入れる姿勢を見せる。

セキュリティは、今回の共同研究における最大の課題とも言えるため、相当に厳重な体制を構築したとする

共同研究の契約期間は平成34年までとしているが、まずは最初の2年間を第1フェーズならびに第2フェーズと位置づけ、枠組み作りを進めていく計画。具体的には、2017年中を第1フェーズとしており、九大別府病院との間で、ヤフーが保持するすべての遺伝子多型情報を医療従事者に開示することで、薬剤の応答性や予後リスクを加味した次世代の精密医療のモデルケースを目指す。そして2018年を第2フェーズとし、九大別府病院から市内の別のクリニックなどに情報閲覧機能を提供。ヤフーが解析した遺伝子多型情報と患者の情報をクラウド上で管理することで、別府市のクリニックも九大別府病院と同様の医療情報の閲覧を可能とし、個別化医療・地域医療連携へと応用していくことを目指すとしている。

共同研究のスケジュール。第2フェーズの終了までが、ひとまずの目標という形となっている

すでに4例ほどの患者が先行研究として協力しているとのことで、得られた情報から、がんの原因遺伝子は何であるのか、最適な薬剤は何か、術後の不全について遺伝子多型で予測が可能か、再発時の化学療法に伴って生じた高血圧などは、薬剤の副作用なのか、抗がん剤の有効性を事前に予測できたか、遺伝子多型で示されたリスクを事前に予測できたのかどうか、といった解析の目標も見えてきたとしており、三森氏は「開業医と基幹病院が、健康リスクや身体の特徴、血液成分などを一緒にチェックできるようになることが目標」とし、新たな地域における医療連携の在り方の模索につながることも期待されるとする。

直腸がんの治療と、それに対するがん組織分析と遺伝子多型検査で得られるデータから期待される解析目標の例(左)と、がん組織のDNA解析から得られる成果の例(右)。がん遺伝子の変異を調べることで、対応する薬剤を見つけやすくなり、抗がん剤が合わなかった、といったことも起こりにくくなることが期待される

なお、三森氏によると、「今回の研究は、ゲノム解析をがん治療に活用していくための第一歩」としており、今後は、今回の取り組みの成果次第ではあるものの、研究対象とするがんの種別を拡大したり、対象患者数の拡大などを検討して行くことで、がん患者のQOLの向上につなげることができれば、とするほか、ヤフーの別所氏も、「今回の取り組みがヤフーのビジネスにそのままなるわけではない」と、あくまでもビジネスとしての取り組みではないことを強調。先駆的な患者に対する研究を行っていき、その結果として、よりよい成果を得ることで、それを個別化医療の進展や医療費の削減などの社会的な取り組みにつながることができればとした。