TBSで27日、超一流アスリートが競技人生の中で遭遇し衝撃を受けた"天才"の第二の人生をのぞき見るスポーツバラエティ特番『消えた天才~一流アスリートが勝てなかった人を大追跡SP~』(18:30~20:54)が放送される。

東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)時代の飯島秀雄さん

その"天才"の一人として、53年前に100m10秒1をマークし、“世界初の9秒台”に迫った日本人スプリンター・飯島秀雄さんが登場する。1964年6月、当時早稲田大学競走部に在籍する弱冠二十歳の飯島は、自己ベストを大幅に更新し10秒1の日本新記録、その年の世界最高記録をマーク。“世界初の9秒台なるか”と世界中のマスコミが色めきたった。その4カ月後、自国開催となった東京五輪の100m一次予選では、全組を通じて何とトップ通過。これは後にも先にも日本オリンピック史に残る快挙だ。

しかし、続く二次予選で飯島さんにアクシデントが襲う。フィニッシュ直後に前のめりに大きく転倒し全身を強打。その怪我の影響から準決勝で敗退してしまう。自国開催の期待を一身に背負った東京五輪での活躍は果たせなかったものの、誰もがその天才スプリンターの出現に「世界の表彰台」と「夢の9秒台」を期待。そんな中、飯島さんは競技人生のピークを迎えつつあった24歳で突如引退を表明し、衝撃の転身を遂げた。

東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)入団会見の模様

陸上の次に彼が選んだセカンドキャリアは、なんと"プロ野球"の世界。東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)にドラフト9位で指名され入団。世界初「代走専門選手」としての活躍を期待されてのドラフト指名だった。トップアスリートが、全く別のスポーツのプロの世界に飛び込むというのは当時でもかなり異例なこと。そんな飯島さんと対戦経験のある"ノムさん"こと野村克也氏は、当時のことをよく覚えているそうで、「恥をかかされてるんだ、俺」と語る。

プロ野球入団1年目の1969年4月、ロッテvs南海戦。9回裏ノーアウト1塁の場面で、ピンチランナーとして飯島さんは初出場、プロ野球デビューを飾る。しかし、野球は素人同然だった飯島は投手が投球動作に入ってもスタートする気配はない・・・。ところが、ピッチャーが投げたボールが野村のキャッチャーミットに収まったそのタイミングで、飯島は突如スタート。普通のランナーであれば確実にアウトになるタイミングだが、飯島の驚異的なスピードに野村は焦り二塁へ大暴投。飯島はプロ野球界で記念すべき初出場初盗塁を、あの野村克也から決めたのだった。

野村克也氏

華々しくセカンドキャリアのスタートを切った飯島さんだったが、厳しいプロの世界で思うような活躍はできず、わずか3年で戦力外通告。"稀代の天才スプリンター"飯島秀雄が表舞台から姿を消した。あれから45年たった今を追うと、これまで語られることのなかった衝撃の事実が明らかに。一体、なぜ24歳という若さで陸上を引退してしまったのか? そして、なぜ突然プロ野球選手に転身することになったのか? また、“サードキャリア”として、自身の知恵と経験を生かしてある大役を務め、陸上界に多大なる恩返しをしていることも判明。今、73歳の飯島秀雄が自身2度目となるであろう東京五輪2020へ持つ夢とは?

MCのバナナマンとスタジオゲストたち

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