12月10日にノーベル賞授賞式があるので「ノーベル賞をあげるとしたら誰か」というテーマでコラムを書けと言われた。

他に聞くやつはいないのかと思ったが、おそらく聞いたけど無視されたのだろう。私でさえ一ヶ月以上シカトしたのだから、他の忙しい人間が答えるはずはない。

ノーベル賞をあげるとしたら?

ノーベル賞に別段興味はないが、毎年日本人も選ばれたり選ばれなかったりしているのは知っている。だが、そういう報道を見ると大体、受賞者の嫁との関係が放送され、最終的に「ノーベル賞を獲るには、家事や子育てを丸投げしてもブチ切れない嫁が必要」という結論になってしまう。

もちろんその家庭のことだし受賞者が悪いわけではないし、メディアは内助の功と言いたいのだろうが、「受賞者の嫁のファッションセンスはわかったが、そいつが何を発明して何で受賞したかわからん」、という報道の仕方は問題である。

そんなTHE鬼女っぽい感想は置いておいて、ノーベル賞をあげるとしたらだが、そんなもの、この私に決まっている。何故かというと欲しいからだ。ふさわしいかという問題じゃない。

何故欲しいかというと、作家である以前に今までの人生、賞というものにはほぼ縁がなかったからだ。それに私は権威主義である。肩書きがすごければ偉い人だと思うし、今流行りのスイーツだと言われれば馬糞だって食う。

なので、自らも権威を示すためにノーベル賞が欲しい。多分、持ってたら親戚とかに相当自慢できるはずだ。

お前ごときがもらえるわけないだろう、と思うかもしれないが、何せノーベル文学賞をミュージシャンのボブ・ディランが受賞したのだ。この件で、ノーベル賞と言うやつは相当フリースタイルだということが判明した。

ボブ・ディランは確かに作詞などもしているが、文学という観点からしたら、このように歌詞よりも長い文章を書いている私のほうが文学に近い気がする。もう量で勝負だ。

それに、そのボブ・ディランがノーベル賞受賞にダブルピースで喜んでいたかというと、一時期ニュースのネタにされまくっていたので知っている人も多いと思うが、そんなことはない。ぶっちゃけ「乗り気でない」雰囲気がビンビンに伝わってくる。また実際、ノーベル賞を受賞しながら辞退した者も過去には存在するようだ。

だったら、欲しい奴にあげた方がいいだろう。「別にどうでもいいけど、くれるならもらうよ」と片手で受け取られるよりは、「あざーっす!」と両手で受け取られた方が、故・ノーベルだって気分がいいはずである。

私だったら大喜びで受け取るし、何だったら授賞式に「ノーベルのコスプレ」で駆けつけてもいい。ノーベルコスがどんなものか見当もつかないが「俺が考えた最強のノーベル」の姿ではせ参じるつもりなので、それを披露するためにも、来年は一つ、よろしくお願いする次第である。