"無人島"と聞いて、どのようなイメージが思い浮かぶだろうか? おそらく、陸から遠く離れた孤島のイメージが思い浮かぶのではないだろうか。もし、それが東京湾の中にあったら……。

実は、本当にあるのだ。東京からわずか電車で1時間ほどの横須賀市の沖合、わずか1.7kmほどの海上に浮かぶ「猿島」は約5万6,000平方メートル、横浜スタジアムのグランドのおよそ4倍の広さをもつ無人島だ。猿島は、江戸時代末に異国船を打ち払うための「台場」が設置され、明治時代から太平洋戦争期にかけては、軍の要塞が築かれたという歴史を持つ。

アニメ『天空の城ラピュタ』の廃墟を髣髴(ほうふつ)させる猿島の要塞跡

最近は、島内に残された明治時代のレンガ造りの要塞跡が、スタジオジブリのアニメ『天空の城ラピュタ』の廃墟に似ているため、"リアル・ラピュタ"の島として人気を集めているという。どんな場所なのか、早速、出掛けてみよう。

猿島ガイドとともに乗船! いざ、無人島へ

神奈川県の三浦半島に位置する横須賀市は、軍港としての歴史を歩んできた街だ。横須賀には今もアメリカ海軍の基地や海上自衛隊の司令部があり、海を見渡せば、多くの潜水艦やイージス艦などの艦船が浮かんでいる。

三笠公園に保存されている記念艦「三笠」

猿島航路の船は、日露戦争時に活躍した「戦艦 三笠」が記念艦として保存されている「三笠公園」に隣接する「三笠桟橋」から発着している。今回の旅を案内してくれる猿島公園専門ガイド協会の請地盛雄さんと合流し、いざ、無人島へと旅立つ。島までは、10分ほどの船旅だ。

猿島公園専門ガイド協会の請地盛雄さん

船からは次第に近づいてくる猿島がはっきり見える

いよいよ、遺跡の探検開始

船の到着する猿島桟橋の付近には砂浜が広がっており、夏期は海水浴場になるほか、事前に予約すれば手ぶらBBQも楽しむことができる。砂浜の先にトイレや売店などの施設があるので、ここで飲み物を買うなど探検の準備をしておこう。トイレや飲み物の自動販売機があるのは島内でこの場所のみとなる。

島の入口に建つトイレ、売店、管理棟などが入った建物

さて、それでは出発しよう。まず見えてくるのは、明治時代に建てられたという石炭発電所の建物。所々表面のモルタルが剥げ落ち、中のレンガがむき出しになっている煙突が、時の流れを物語っているように思える。

明治時代に建てられた石炭(蒸気機関)発電所。発電した電気は探照灯に使われた

ここから鬱蒼(うっそう)とした木々に覆われた石畳の坂道を登っていく。坂を登り切った辺りで、ガイドの請地さんが指さす場所を見てみると、石積みの壁に無数の穴ができているのが見える。

これは太平洋戦争終結時に、猿島に上陸した連合軍の兵士が、潜伏する日本兵がいるのではないかと思い威嚇(いかく)射撃をした跡だという。戦後70年以上が経過した今なお残る、時空を超えた生々しい戦争の傷跡だ。

通路左側の石積には威嚇射撃の跡が残る

要塞の中へ! 精密な設計に驚く

ここからが猿島探検のメインとなる、明治時代のレンガ造りの要塞エリアだ。要塞の主な施設は、「砲台」と「兵舎」と「弾薬庫」から成る。

猿島の砲台は東京湾口の守備のために、明治14年(1881)から17年(1884)にかけて整備され、24cm加農砲(カノン砲)4門、27cm加農砲2門が据えられた。2015年3月には、同じく横須賀市内の「千代ヶ崎砲台跡」とともに、国防のために建設された施設としては全国で初めて、国史跡に指定された。

通路を進むと、右側のレンガ造りの建物に扉があるが、これは高台に据えられた砲台の下部の岩肌に横穴を掘って造られた兵舎と弾薬庫の入り口で、ガイドと一緒であれば内部を見学できる。鍵を開けてもらい兵舎の中に入ると、蒲鉾(かまぼこ)型の奥行きの深い部屋になっている。ガイドの話で興味深かったのは、太平洋戦争時、守備兵たちはここにベッドではなく畳を敷いて、寝泊まりしていたということだ。

猿島兵舎内部。白塗りの壁は少ない照明で明るさを確保するための工夫

次は弾薬庫の中ものぞいてみよう。こちらは兵舎よりも部屋の内部の構造がより複雑で面白い。通路や、弾薬を上部の砲台へ引き上げるための縦穴(揚弾井)や滑車の仕組みなどが、精密に設計されていることに驚くだろう。

ちなみに、明治時代に、この要塞は実戦で使われることはなかった。その後、太平洋戦争時に猿島は再び要塞化されるものの、その時はすでに航空機全盛の時代になっており、対航空機の高角砲は別の場所に設置された。このような事情から、味わい深い廃墟が今に残ったのだ。

この先のトンネルは「愛のトンネル」と呼ばれ、トンネルを抜けた先には、あの名作アニメ『天空の城ラピュタ』の廃墟を思わせる世界が目の前に広がっている。