筆者は、比較的Siriを利用しているほうだと感じる。

筆者が住む米国のアパートでは洗濯機や乾燥機が共用で、時間になると洗濯機から乾燥機へと洗濯物を入れ替えなければならない。だいたいどちらも40分。スイッチを入れてからApple Watchのデジタルクラウンを押し込んで、「40分のタイマーをセット」と指示を出す。風呂に湯を張る時にも、「13分のタイマーをセット」と言う。

これらは、日本で暮らしていると必要ない指示だろう。自宅にあった洗濯機はボタンを押せば乾燥まで済ませてくれるし、風呂も「自動」ボタンを押せばちょうど良い温度と量で沸かしてくれるからだ。

これは今後、触れようかと思うが、Appleが真剣に取り組み始めるであろうHomeKitも、日本では当面流行らないことが予測できる。

だって、すでに日本の家電は十分賢く、ネットやスマートフォンなんてなくても、ボタンひとつでちゃんと「いい感じ」にしてくれるからだ。しかし米国ではHomeKitのようなカンフル剤が必要なのだろう。終了時刻を把握するために他のデバイスに頼らなければならないわけで。

他にもSiriには、割り勘などの四則計算を訪ねたりする。電卓を起ち上げて数字をタップするより断然早い。これに似ているが、特に便利なのは単位換算だ。フィート、インチ、マイル、ガロン、ポンド、オンス、華氏……だいたいこれぐらい、というイメージはあるが、正確な数字はわからないからだ。

音声アシスタント「Siri」

Siriで最もメリットを感じている点は、デバイスを操作せずに目的を達成できる点だ。「目的」といっても、大したものではない。

Siriはアシスタントなので、面倒ごとを引き受けてくれればくれるほど「優秀」という評価をすべきなのかもしれない。では、この「面倒だと感じる操作」とはなんだろうか?

筆者の前述の例を見ると、その面倒ごとをの多くは、ちょっとしたことに集中している。タイマーや計算機のために、いちいちロック解除をして、アプリを起ち上げるのは、面倒だと思うようになっていた。つまり、本気で面倒なことの解決は初めからアテにしていないが、スマートフォンを操作する上で面倒だと感じることを、Siriに任せていることになる。

これもまた極端な例だが、怒り狂っている恋人や友人がいるとき、「なだめておいて」とSiriにお願いしても、「それはできません」「どうお答えしたらいいのかわかりません」と、返されるだけだ。そういう本当の面倒ごとには、首を突っ込まない主義なのだ。

また、我々がSiriのことをよく知らないために、お願いができないという問題点もある。例えば、「90年代のヒットソングが聴きたい」「ジャズを聴かせて」というと、Apple Musicから音楽を再生してくれる機能がある。しかしそのことを知らなければ、そもそもSiriにお願いしないだろう。

もう1つ、その作業が面倒かどうかがわからない場合も、自分でiPhoneを操作して、なんとかしようとし始めるはずだ。それはどこか、「無茶を言うのは悪い」「難しいことを言っても、多分良い結果が得られないだろう」という期待値の低さも手伝っているのかもしれない。