週刊野球太郎
    

 相手投手を見据えるその鋭い視線、古武士を思わせるその佇まい。

 バットを体の前に大きく掲げるその構え。

 そして、体が捻れるほどのフルスイング……。

 日本ハム、巨人、中日と3球団を渡り歩いたバットマン・小笠原道大はまさに「侍」を彷彿させる選手だった。無名の選手から球界を代表する打者へと駆け上がった「ガッツ」こと小笠原の19年のプロ野球生活を振り返る。


◎【躍動期】「バントをしない2番打者」で一気に才能開花

 小笠原はNTT関東(現NTT東日本)から、1996年ドラフト3位で日本ハムに入団。今でこそ一塁や三塁を守るイメージが強いが、元々は捕手だったことを知る読者も多いだろう。

 脚力もあり内外野も守れることもあって、ユーティリティープレーヤーとして期待された小笠原。かつては阪急(現オリックス)黄金時代の中心打者として活躍した加藤英司コーチとの出会いが、小笠原の打撃を変える。

「強く振り抜け」とフルスイングすることを教わり、徹底的にバットを振り込んだ小笠原は、加藤コーチがチームを去った後の1998年、代打を中心に71試合に出場。規定打席不足ながらも打率.302をマークする。これが翌年のブレークの予兆となった。

 プロ3年目の1999年、小笠原は開幕から「2番・一塁手」で起用される。その名を印象づけたのは、4月7日の西武戦だ。8回、この試合がプロ初登板となる松坂大輔(現ソフトバンク)のストレートをバックスクリーンに叩き込む2ランを放ち、松坂にプロの洗礼を浴びせた。

 この年から自慢のフルスイングが代名詞となり、「バントをしない2番打者」として注目を集める。135試合フル出場、打率.285、25本塁打と好成績を残し、翌2000年には打率.329、31本塁打、102打点、24盗塁と進化を遂げ、182安打で初のタイトルとなる最多安打を獲得。日本ハムはもちろん、パ・リーグを代表する選手へと成長した。


◎【黄金期】史上2人目の両リーグMVP獲得

 以降、小笠原のバッティングはさらに凄みを増していく。

 2002年には阪神へFA移籍した片岡篤史に代わって3番に座り、打率.340で初の首位打者を獲得。年俸は3億円に到達した。翌2003年には打率.360で2年連続の首位打者。さらに出塁率.473で最高出塁率のタイトルを手にした。

 2006年シーズンは32本塁打、100打点でリーグ二冠王。北海道移転後のリーグ優勝に大きく貢献し、初のリーグMVPを受賞。44年ぶりの日本一を置き土産にFA宣言して巨人へと移籍する。

 トレードマークだったひげを剃り落として巨人へ旅だった小笠原。かつて広澤克己、清原和博ら、他球団からのFA移籍選手はその重圧に苦しんだ。しかし、小笠原はそれを跳ねのけて大活躍。終わってみれば打率.313、31本塁打、88打点の好成績を残して、江夏豊(元阪神ほか)以来となる、両リーグMVPを獲得した。

 巨人時代の小笠原は、2008年にはヤクルトから移籍してきたアレックス・ラミレス(現DeNA監督)と「オガラミコンビ」を形成。同年のリーグ連覇、翌2009年のリーグ3連覇と7年ぶりの日本一奪回と、原ジャイアンツの屋台骨としてチームを支え続けた。


◎【衰退期】ケガが相次ぎ成績がダウン

 2011年5月5日の東京ドームでの阪神戦。小笠原はついに節目の記録を迎えた。8回の第4打席で、小林宏之からセンター前ヒットを放ち、通算2000本安打を達成。1736試合での達成は、川上哲治、長嶋茂雄(ともに巨人)、張本勲(元東映ほか)に続く歴代4位のスピード記録だった。

 しかしこの年を境に、小笠原のバッティングから快音が聞こえなくなってくる。この年から導入された統一球と、相次ぐケガの影響で83試合の出場に終わり、打率.242、5本塁打とどん底に。

 さらに2012年も打撃不振は続き、プロ1年目以来となる本塁打ゼロに終わった。背水の陣で迎えた2013年もわずか22試合の出場に終わり、小笠原は2度目のFA権を行使。中日に入団する。

 自身41歳のシーズンとなった2014年。小笠原は背番号36を身にまとい代打の切り札として奮起。代打6打数連続安打を記録するなど、81試合の出場で打率.301と健在ぶりをアピール。そして今年、1軍復帰した9月12日のヤクルト戦では代打で登場し、勝ち越し打を放つ活躍を見せた。

 記録だけでなく、そのフルスイングで我々プロ野球ファンを魅了し続けた小笠原道大。正式に引退を表明したのは、9月17日だった。古巣・巨人との試合となった21日の試合が、事実上の引退試合となり、「5番・一塁手」でスタメン出場。4回には通算2120本目となる内野安打を放った。

 そして7回、レフトフライに倒れた最終打席後には、来季から巨人の監督となる高橋由伸と、2人の愛娘から花束を受け取り、現役生活に別れを告げた。

 小笠原は現役引退と同時に、中日の2軍監督に就任。10月のみやざきフェニックス・リーグから指揮を執っている。愚直なまでにフルスイングにこだわった自身のバッティングを受け継ぐ「第2の小笠原」を育成し、その選手が1軍の舞台で活躍する姿を、多くのプロ野球ファンは待っている。



文=武山智史(たけやま・さとし)


次回12月15日(火)は『プロ野球引退物語2015』関本賢太郎編と東出輝裕編を公開予定(*本文中の年俸は全て推定)