1987年に映画「私をスキーに連れてって」が公開されて以降、爆発的なブームを迎えたスキー。関越自動車道、東北自動車道、中央自動車道沿いには毎年のようにスキー場がオープンし、既存のスキー場もトリプルリフト、クアッドリフト、ゴンドラを開通させるなど、輸送力を急激に強化していった。それでも人気コースにかかるリフトやゴンドラの乗り口にはスキー客があふれ、週末ともなれば1時間待ちということもザラだった。

ところがこのスキーブームは一気に衰退していく。

最盛期は1,800万人もスキー人口は800万人以下に

今シーズンもいよいよ始まる(写真提供:PIXTA)

国土交通省・観光庁が今年初頭に発表した資料によると、スキー人口は1993年に1,770万人とピークを迎えそれ以降は減少していく。1998年に普及したスノーボード客により、ウィンタースポーツ客全体としては1,800万人のピークとなるが、あとは減少の一途。2013年には770万人にまで落ち込んでしまった(レジャー白書の数値を観光庁が引用)。

これほどスキー人口が減少してしまった理由を老舗のスキー雑誌「月刊スキージャーナル」編集長、井上淳氏は「バブル崩壊による経済の衰退がすべての主因といえるでしょう」と断定する。

また井上氏は、一度落ち込んだスキー需要を取り返せなかった理由を2点挙げた。ひとつはバブル期にスキーを楽しんだ世代が落とす莫大な経済効果を受け容れてきたスキー産業が、“殿様商売”から抜けられなかったこと。もうひとつが、経済衰退により若者層が減収しライフスタイルが変化、携帯電話などの情報端末やゲーム機に消費が向かったことだ。 特に前者については、「スキー場がホテルやプールなどと複合施設化し、“滑る”というスキー本来の魅力を希薄化させてしまいました。スキー場ではなくレジャー施設に変化したのです。となるとTDLのような移動時間が少なくて済む首都圏のレジャー施設との競争となります。当時話題になった“スキーよりもミッキー”というCMキャッチが象徴的です(笑)」と補足した。

つまり、殿様商売によりかつてスキーを楽しんでいた層の呼び戻しに失敗し、若者層のライフスタイルの変化により将来の優良顧客を取り込み損ねたということになる。

アメアスポーツジャパン株式会社でサロモンブランドを担当するサロモン ウィンタースポーツ SKI プロダクトマーケティング マネージャーの田口龍児氏は、携帯電話などの情報機器の普及がスキー産業に影響したと認め、さらにユニークな見解を示した。

「以前は、テレビや新聞で天気予報を得られても、それがリアルタイムな情報ではなかったため、とりあえずスキー場に行ってみようという雰囲気がありました。ですが情報端末が発展してからは、現地の天候が悪いと知れば容易にあきらめられます。また、携帯電話やSNSで不参加を伝えやすくなっており、それによるスキー行きそのものが消滅する事例も増えています」。

では、このままスキーは衰退の一途をたどるのか?