東京・丸の内の東京ステーションギャラリーは、3人の版画家による、日本の版画史に足跡を残した雑誌の紹介を中心とした展覧会「『月映(つくはえ)』田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎」を開催している。会期は11月3日まで(月曜休館、ただし11月2日は開館)。開館時間は10:00~18:00(金曜は20:00まで)。入館料は一般900円、高校・大学生700円、中学生以下無料。

田中恭吉《冬虫夏草》1914年 愛知県美術館

藤森静雄《永遠》1914年 和歌山県立近代美術館

恩地孝四郎《望と怖》1914年頃 個人

同展は、公刊「月映」(洛陽堂)の紹介に中心をおきながら、創刊者である田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎ら3人の画家の出会い、公刊「月映」の準備期間に制作した限定の私家版「月映」、田中恭吉の死後発刊された萩原朔太郎の初めての詩集「月に吠える」(田中恭吉ペン画11点と恩地の木版画3点を収録)に関連する作品や資料など、約300点を展示するもの。

1914年に生まれた作品集「月映」は、20代前半の美術学生、田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎らによる木版画や詩をまとめた雑誌で、田中恭吉の死を迎えた頃に1年ほどで終刊となったものの、日本の版画史に足跡を残した。当時の画家たちにとって、木版画による表現手段は主流ではなかったが、3人はそれを跳ね返すように、自画・自刻・機械刷りによる木版詩画集づくりに熱中したという。田中恭吉は結核を患い、命を削りながら、内面の葛藤を表出するような物悲しい木版画と詩を生み出し、藤森静雄は木版画の特徴を生かした内省的な作品を残し、そして、恩地孝四郎は「月映」創刊号の編集を一人でこなし、また、日本で最初期の抽象表現に到達した。

■田中恭吉(たなかきょうきち)

1892年に和歌山県和歌山市に生まれる。1910年、白馬会原町洋画研究所に入所し、1911年に東京美術学校予備科日本画科志望に入学。萩原朔太郎の詩集の装幀を頼まれるが、結核のため衰弱、1915年に郷里で亡くなる。遺作が恩地の手により萩原の詩集「月に吠える」に用いられた。

■藤森静雄(ふじもりしずお)

1891年に福岡県久留米市に生まれる。1910年、白馬会原町洋画研究所に入り、1911年に東京美術学校予備科西洋画科志望に入学、1916年に東京美術学校を卒業。帰郷し中学校の教師となるが、再び上京し、日本創作版画協会や日本版画協会の創立に参加、春陽会にも出品した。1943年没。

■恩地孝四郎(おんちこうしろう)

1891年に東京に生まれる。1910年、東京美術学校予備科西洋画科志望に入学、1911年、予備科彫刻科塑造部志望に入学。1918年に日本創作版画協会の、1931年には日本版画協会の創立に尽力。のち国画会会員となる。創作版画の推進者として活躍し、装幀や油彩画も手がけた。1955年没。