――そして、次に出会ったのが『春を背負って』

木村監督『それで、新宿の本屋さんで何となく本を探していると、『春を背負って』という本があった。そのときは、映画化のための本を探していたわけではなく、ふらっと立ち寄って、棚を眺めていただけだったんだけど、タイトルが気になってね。『背負って』という言葉が好きなんですよ、昔から」

――キャメラを背負ってみたいなことですか

木村監督「それもあるけど、やっぱり人生は何かを背負って生きているもんだよ。俺なんかもう倒れそうだもん、重さで(笑)。それで、いいタイトルだなと思って読んでみると、たまたま山小屋の話だった。原作は奥秩父なんだけど、奥秩父は2,000m台だから、やっぱり3,000mのほうが画のスケールがすごい。だから原作者に会って、立山に変えたいと。それがダメだったら映画化はしないという話をしたら、ぜひ映画にしてくださいということだったので、原作者の了解をとって、話を進めていったわけです」

――偶然の出会いだったんですね

木村監督「今考えると、『春を背負って』は、大汝山の山小屋にたどり着けば、そこで生活しながら撮れるわけですよ。それに比べると、しんどさは『劒岳 点の記』のほうが上だよね。25箇所もあちこちの頂にいったわけだから。まあ、楽といえば……決して楽じゃないよ、楽じゃないけど、これだったら映画が撮れると思った。で、周りもそれに乗ってくれて、映画を作ったわけだけど、そういう映画の作り方は良くないなっていうのが、今の反省点だね」

――良くないというのは?

木村監督「『劔岳~』に比べて、あまりお客が来なかった(笑)。僕はね、普通の監督とは違うかもしれないけど、賞をとってもあまり嬉しいと思わない。やはり多くの人が観てくれたということのほうが嬉しい。それはキャメラマンをやっているときから同じで、その映画が賞を取ったり、自分が撮影賞を取ったりするよりも、いっぱいお客さんが観に来てくれたというほうが記憶に残っているし、嬉しいよね。そういうところがものすごく如実に出るもんで、あまり人が入ってないなっていう印象があったので、6月14日の封切りから今まで、ほとんど家から出ていない。家に篭って、歯医者に行ったり、読書をしたり……みたいな感じ(笑)」

――意外と監督にとってダメージが大きかったと

木村監督「あらためて思ったのは、映画作りというのは、多くの人が観に来てくれないと、相当にショックなんだなって。僕は二作目だけど、いろいろな監督が、当たったり、こけたりしながらも、監督生活を続けているのを見て、逆に感心した(笑)。もちろん、『春を背負って』は、こけたというわけではないんだけど、『劒岳 点の記』と比べると少ないよね。だから、監督には向いてないと思った」

――監督としての精神的な部分ですね

木村監督「一作目、二作目と、自分の思ったことをやったわけだけど、また違うものをと思っても、なかなか身体の中から出てこない。たとえば、黒澤明さんなんかは、次から次にアイデアが出てくる人だった。例えば『七人の侍』。あの作品も、きっかけは日本で西部劇をやってやろうということでしょ。それで、アメリカ映画の西部劇には雨がないから、最後を雨にした。そういうことで一千万以上の人が入っているわけですよ。それからいろいろあって、この辺で一発面白いものを作ってやるといって『用心棒』を作った。だから、そういう心境になりたいという気持ちがある。もし、次の映画を撮るんだったら、たくさんの人に観てほしいよね。でも、だからといって、今の流行にゴマをするような映画はやりたくない。作品名を出すといろいろ問題があるけど、今の世の中で受けている映画をやりたいとは思わない。自分がやりたいと思う作品をたくさんのお客様に観てもらいたいわけですよ」

――今はそれを探している途中ということですね

木村監督「やりたいものがまったくないわけじゃなくて、これまでにも2、3本あったんだけど、『どれくらいお金がかかりますか?』って言うから、金額を言ったら、それっきりだもん(笑)。製作費のかかる作品は、今の映画界では本当に難しい。やっぱり向こうは商売だから。現実的な予算感で、俺が出来るもの、やりたいものは何かと考えて、最近やっとまとまりだした感じだね。今日もちょっと偉い人と話したんだけど、まあ乗ってこない(笑)。そういうやりとりをしていく中でも、突然に思いつくこともあるので、今はそれを待っているところがある」

――ひらめきですか?

木村監督「そう。それをずっと待っている感じだね。これまでの2本もそうだったから。『劒岳 点の記』も『春を背負って』も突然に下りてきた。『劒岳 点の記』は、撮影旅行で能登半島に行った帰りに、一回、劒岳を拝んでみようと思って撮影したんだよ。それでこれを映画化したいと思って作ったんだから、本当は世の中にもっと出て行かないとダメなんだよな。今、月に2回くらい、地方で講演があるんだけど、そのときはいつも車で行くようにしている。そうすることで、何かが出てくる可能性があると思っているんだよ。あとは、DVDが売れてくれると、次の企画が言いやすい(笑)。だから、こうしてお願いしてるんだけど、この業界は、本当に損得勘定がすべて」