135の民族がひしめきあうミャンマーですが、人口の約7割を占めるのはビルマ族。経済的に成功しているのはビルマ族が多く、自分で店を興したカチン族のドロシー・ボック・マイ・マルーさんは、とても珍しい存在。民族布のショップ「テキスタイルハウス」オーナーであり、最近では5つ星ホテルなどとも取引を始めた彼女にお話を伺いました。

■これまでのキャリアの変遷は?

ドロシー・ボック・マイ・マルーさん/ミャンマー・ヤンゴン在住/38歳/テキスタイルショップ経営

生まれたのは北部の街バモー。母が布地屋を営んでいた関係で、小さな頃からいつも身近にカチンの布がありました。マンダレー大学の英文科へ進んだのですが、おりしも民主化運動の真っただ中。1997年に大学が閉鎖され、勉強を続けられなくなりました。そこでヤンゴンへ出て、政府主宰のガイド専門学校へ通い、英語ガイドになりました。大学が再開されてからはヤンゴン大学へ籍を移し、ガイドをしながら卒業。その頃から、趣味で、添乗先で出会った少数民族の布をコレクションし始めました。

2006年に何かビジネスを始めようとした時、民族布のショップを思いたちました。当時、織り手がどんどん減り、技術が消滅しそうな村が少なくなかったんです。田舎を旅して布を集め、それを外国の人たちに紹介できれば、趣味と実益が兼ねられ、しかも技術の継承にも役立てるのではないかと考えました。

■現在のお給料は以前のお給料と比べてどうですか?

当初はとても食べていけず、ガイドのかたわらで趣味のようにやっていました。特に2007年のサフラン革命や2008年の大型台風ナルギスの襲来でミャンマーの観光業が壊滅状態になった時期は厳しく、店のスタッフの給料を捻出するため、ホテルから民族衣装風の制服を受注したりと工夫しました。店だけでやっていけるようになったのはここ3、4年のことです。

■今の仕事で気に入っているところ、満足を感じる瞬間は?

なんといっても好きな布収集を仕事でできること。布を織ることが現金収入につながることを知り、若い世代も織るようになったという話を聞くたびに、この仕事を始めてよかったと思います。若い人はみな、簡単にお金を稼げる方へと流れがちな中、手のかかる手織りの文化を残していくには、土産物の開発しかないと考えています。店のオーナーというより、一コレクターとして、この素晴らしい文化にはどうしても残ってほしいんです。

どの布も、自分の足で集めた思い出深いものばかり

■逆に今の仕事で大変なこと、嫌な点は?

高いクオリティを維持することでしょうか。手付金を払い、寸法や模様、色など細かく指定し、翌年受け取る方法をとっています。山岳民族の場合、よそ者に対する警戒心がとても強いのですが、カチン族であるということはその点で有利に働いています。山岳民族同士の連帯感のようなものがあるんですよ。

■ちなみに、今日のお昼ごはんは?

近所のカフェで「バモーモンティ」という麺を、2,200チャット(約240円)で食べました。この店はヤンゴンでは珍しく、私の出身地であるバモーの麺料理を出す上、味も故郷のものに近いのでお気に入りです。

ヤンゴンでは珍しい、カチン族居住地の麺料理「バモーモンティ」

■日本人のイメージは? あるいは、理解し難いところなどありますか?

文化が豊かな国というイメージです。政府派遣の研修旅行で岐阜に行ったことがありますが、手工芸品がどれも本当に素晴らしくて。精緻な作業をさせたら世界で右に出る国はないですね。

■最近TVやラジオ、新聞などで見た・聞いた日本のニュースは何ですか?

皇族の方が亡くなった記事です。医療が進んだ日本のような国のロイヤルファミリーでさえ、天寿をまっとうすることなく亡くなることがあるのだとお気の毒に思うとともに、人のさだめについて深く感じ入りました。

■休日の過ごし方を教えてください。

観光客の多い乾季は店に出ています。休みは週1回。雨季は地方を回ります。上手な人がいるという噂を聞いて山奥へ駆けつけたり、前年に発注した布を回収したり。忙しいですが趣味でもあるので、乾季は私にとって休暇といってもいいくらいです(笑)。

■将来の仕事や生活の展望は?

カチン族に昔から伝わる、蘭の繊維を使った織物の商品化に取り組んでいます。新しいミャンマーの特産品にできればと思っています。もっと大きな目標としては、ヤンゴン市内に各少数民族の人びとを集めた民族村を作ること。各民族の家屋を移築し、中で布の実演販売をするんです。まぁ、この地価の高騰の中では夢のまた夢ですけどね。

布はどれも、それを織った民族の歴史や民話など、様々な物語を秘めている