1994年10月にデジタルコンテンツのクリエイターを育成する目的で設立されたデジタルハリウッドは、2014年10月に設立20周年を迎える。この20年の間に、日本各地や海外で専門スクールを開校するとともに、大学院や大学、オンラインスクールなども設立し、今や日本を代表するクリエイター育成機関に成長した。ここまでの歩みの中で、同校にはどのような変化や出来事があったのだろうか。学長の杉山知之氏に話を聞いてみた。

デジタルハリウッド創立者の杉山知之学校長

デジタルハリウッド開校の目的と経緯

デジタルハリウッド開校は、一般的な学校が新学期を迎える1995年4月を予定していた。それが半年も前倒しとなる1994年10月になったのは、デジタル技術に転機が訪れることを杉山氏が予見していたからだ。

当時は、アーケードゲームの世界に、セガが3DCGを使った格闘ゲーム「バーチャファイター」を、ナムコが3Dレーシングゲーム「リッジレーサー」をリリースして大ヒットしていた。杉山氏は、これらの3D技術が家庭用のゲーム機などにも爆発的に流れ込み、3DCGを扱えるクリエイターの需要が一気に高まると考えていた。杉山氏自身もCG制作のベンチャー企業を手掛けており、3DCGを扱えるクリエイターの数が少なく、集めることが難しいと実感していた。

一方で、3DCGは当時パソコンでは荷が重く、ワークステーションを使って制作されていた。その頃のワークステーションには「モザイク」というWebブラウザが出現しており、世界中の研究機関などがWebサイトを立ち上げ始めた時期でもあった。杉山氏は、このインターネットもパソコンにまで普及すると予想した。

3DCGとインターネットの普及がさらに進めば、クリエイターの数が足りないと多くの人が実感するだろう。そうなる前に、専門の育成校を立ち上げる必要性を感じ、予定を半年も前倒しして、デジタルハリウッド開校に踏み切ったのだ。そして、開校直後の1994年の年末商戦にはプレイステーションが、1995年夏にはWindows95がリリースされ、杉山氏の予想は実際のものとなっていく。

ITバブル時代のデジタルハリウッド

デジタルハリウッドが開校した当初は、他の専門学校経営をしている人から、「あの学校はひどい」と批判を受けたこともあった。なぜなら、大手の専門学校とは異なり、立ち上げたばかりのデジタルハリウッドはクリエイターを育てることに専念しており、就職の斡旋をしていなかったからだ。

しかし、その当時はCD-ROMの普及に伴ってマルチメディア作品がブームとなったり、3DCGを使っていればどんなゲームでも売れた時期だ。MacintoshやPhotoshopが使えるというだけで、すべての授業を受講し終える前に就職が決まったり、3DCGの制作技術を身に付けた学生は、すぐにゲーム会社へと就職していったため、就職を斡旋する必要はなかったという。

1999年頃には、後に「ITバブル」と呼ばれる時代が到来。IT関連のベンチャー企業が集まった渋谷は、渋い(Bitter)・谷(Valley)にデジタルデータの単位(bit)をかけて、「ビットバレー」と呼ばれるようになった。デジタルハリウッドも、その波に乗って渋谷校を開校。24時間オープンをコンセプトとして、午前0時から授業が始まるクラスも用意された。「渋谷で夜まで働いている人が、飲んで朝帰りするくらいなら勉強しに来て欲しい」と考えての開校だったが、実際には時間を持て余した人ではなく、やる気のある人が数多く集まったそうだ。

全国展開と大学院大学の設立

クリエイター向けの専門スクールとして始まったデジタルハリウッドは、専門スクールを全国へ広げていく方向と、より若い世代や世界に通じるクリエイターを育成するための大学院大学や大学を設立する方向に進んでいった。

全国展開に関する興味深い話は、どこの地域で開校しても、デジタルハリウッドに入学してくるのは同じタイプの人達だということ。一度は社会に出たけれども、今の仕事は自分がやりたかったこととは違うと思い至って、デジタルハリウッドの門を叩く。他の専門学校は若い人ばかりなので、社会人の多いデジタルハリウッドは学歴や年齢も関係なく入りやすかった、という理由もあるのだという。その傾向は現在も変わらず、デジタルハリウッド専門スクールの学生は、社会人がキャリアチェンジのためにデジタル技術を学ぶ場として活用されている。

2004年4月に設立した大学院大学は、デジタルハリウッド開校当時からの目標であったが、小さなベンチャー企業にはハードルが高く、なかなか手をつけることができなかった。ところが、ちょうど良いタイミングで小泉政権が構造改革特区を作り、教育機関の申請が多かったことから、デジタルハリウッドでも大学院大学を申請することにしたそうだ。ただし、研究よりも、社会の役に立つ人材育成がメインであることがなかなか理解されず、交渉に1年を費やした。国際化に向けた英語の必要性と一般教養も教えられる4年生大学の設立には、大学院大学の実績が認められ、翌年の2005年に実現した。

今後の展開と『20周年大同窓会』

社会人向けの専門スクール、大学を卒業した人向けの大学院、高校を卒業した人向けの大学と、設立する順番が一般とは逆になってしまったが、これで一通りの世代に向けた教育機関となったデジタルハリウッド。今後の展開を尋ねたところ、「この20年間やってきたことは、他の国でも役立てると思っているので、要請があれば海外でもデジタルハリウッドと同じような教育を展開していきたい」とのことだ。すでに、海外からの視察や問い合わせなどは月に1カ国は来ており、教育機関立ち上げの手伝いなどにも着手している。

そして、設立20周年を迎える10月には『20周年大同窓会』を開催する。デジタルハリウッドの卒業生や運営等に携わった人達を集めた同窓会とのことだが、杉山氏は「専門的な仕事に従事していると、その世界しか見えなくなることがある。そこで、様々な世代との交流によって視野を広げ、デジタルハリウッドに入学した当時の、デジタル技術に感じた可能性を再発見してほしい」と語ってくれた。