高エネルギー加速器研究機構(KEK)と物質・材料研究機構(NIMS)の2者は2月26日、カナダ・国立素粒子原子核物理研究所(TRIUMF)との共同研究により、「ミュオン・スピン回転法」という分析方法を用いて、レアメタルの1種であり、原子番号が大きな遷移金属である「イリジウム(原子番号77:Ir)」の化合物の1つ、「Cu1-xZnxIr2S4」(Cu:銅、Zn:亜鉛、S:硫黄)の新たな磁気的な性質を発見したと発表した。

成果は、KEK 物質構造科学研究所 ミュオン科学研究系の小嶋健児(こじま・けんじ)准教授、銅・門野良典(かどの・りょうすけ)教授、NIMS 先端的共通技術部門 量子ビームユニットの鈴木博之主幹研究員、銅・北澤英明ユニットリーダーらの共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、2月25日付けで「Physical Review Letters」オンライン版に掲載された。

周期表で第3族から第12族を占めている遷移金属元素は、第1、2族に属する単純金属にはない多彩な性質を示すことが知られている。レアメタルが含まれるのは、その中で第5・第6周期に属する元素群で、今回の研究対象となった化合物の主成分であるイリジウムもその1つだ(画像1)。近年の研究により、イリジウム化合物が示す特異な性質とその起源が明らかになりつつある。

遷移金属が示す多彩な性質を担っているのは、原子の一番外側の軌道を巡る電子だ。この電子は、「軌道角運動量(L)」もしくは「方位量子数」が2である「d軌道」を取っている(画像2)。d軌道上の電子は物質内で狭い空間に閉じ込められるためにお互いに強く反発し合う傾向があり、この電子同士の相互作用=「電子相関」こそが、高温超伝導などの特異な性質のカギを握ると考えられているというわけだ。

画像1(左):周期表で見るイリジウムの属性。イリジウムは第6周期、第9族の元素で、コバルト(Co)やロジウム(Rh)の仲間。画像2(右):周期表で第4周期より下側に属する元素の原子では、最外殻の電子は方位量子数(軌道角運動量とも呼ばれる)が2という値を取ることができ、その場合に電子が採る軌道をd軌道と呼び、5つの異なる軌道がある。より正確な表現としては、d軌道にある電子の「確率密度分布」だ(スピン・軌道相互作用が無視できる場合に相当)

また、電子は一般に「スピン角運動量(S)」というもう1つの磁石のような性質の物理量を持っているが、d軌道上にある遷移金属元素の電子は、このスピン角運動量と軌道角運動量が相互作用(=スピン・軌道相互作用)をすることが知られており、この相互作用が大きい場合には物質の性質にも影響が及ぶ可能性がある。近年、イリジウム化合物「Sr2IrO4」(Sr:ストロンチウム、O:酸素)が金属から絶縁体へ「相転移」(水が氷になるなど、物質の状態が大きく変化すること)を起こす原因として、この「スピン・軌道相互作用」が重要な役割を果たしていることが明らかになり、遷移金属化合物の性質を左右する新たなプレーヤーとして注目されているところだ。

今回研究チームが調査したイリジウム化合物CuIr2S4は、室温で金属性を示し、「スピネル構造」という結晶構造を採っている。スピネルとは鉱物の1種で、八面体の(尖った)結晶として産出される「尖晶石(MgAl2O4)」を指し、これと同じ結晶構造のことをスピネル構造(スピネル型結晶構造)という。物質の主要な性質を担っているイリジウムイオンだけに注目すると、正四面体の頂点に置かれたイリジウムが3次元的なネットワークを形成している具合だ(画像3)。画像3はCuIr2S4におけるイリジウムイオンの骨格構造で、星形は4価のイリジウムイオンで、d軌道の1つdxy軌道状態を模式的に示したものだ。

画像3。CuIr2S4におけるイリジウムイオンの骨格構造

なお、この物質の温度を下げていくと、230K以下では画像3のように4価のイリジウムイオン八量体が形成され、さらに3種類あるイリジウム間の結合(緑、青、赤)の内の1種類の距離が数%も縮んで、金属性から絶縁体になる。これまでの構造解析の研究により、この絶縁体化ではイリジウムが4価(d軌道の電子スピンがS=1/2の状態)と3価(d軌道の電子スピンがS=0の状態)の2種類のイオンに分かれることがわかっていた。

それぞれが8個ずつで1つのまとまり(八量体)を形成していること、さらにイリジウムが4価の八量体中ではイリジウム間の結合(画像3では緑、青、赤の線で示されている)のどれか1種類の距離が縮み、その両端2個ずつで4つの独立な対を作っていることが報告されている。今回、NIMSの研究チームにより合成された試料についても、KEKの放射光科学研究施設「フォトンファクトリー」の放射光X線による構造解析からこのような構造変化が起きていることが確認された。

このイリジウムが4価のCuIr2S4の八量体では、画像3に示されている通り、イリジウムイオンは硫黄イオンを頂点に持つ八面体の中心にあり、間にある硫黄イオンの電子軌道を介して相互作用する。スピン・軌道相互作用が無視できるほど小さい場合、イリジウムイオン上の電子スピン(S)は相互に逆向き(反平行)に結合した状態を取る方がエネルギー的に安定することから、そのような状態(「スピン一重項状態」と呼ばれる)を形成しやすいことが予想されるという。

また、原子同士の距離が縮むことで起きる「格子歪みエネルギー」に損失があっても、それによってスピン一重項を形成することによるエネルギーが安定する場合、結晶全体でそのような対形成による構造変化が起き得ることから、この物質でもそのようなスピン一重項状態になっていると考えられていた。

そこで研究チームは今回、大強度陽子加速器施設「J-PARC」およびTRIUMFにおいてミュオン・スピン回転法を用いた、イリジウム化合物CuIr2S4の磁気的性質の調査を実施したのである。ミュオンとはミュー粒子のことで、それを超高感度の磁気プローブとして用い、物質を構成する原子の隙間に注入することで電子の状態を観測することが可能だ。試料内部の磁場の強さをミクロなスケールで直接測定できることが特徴である。

この調査の結果、約100K以下の低温でイリジウムの磁気モーメントによると思われる内部磁場の誘起が観測された(画像4)。前述のスピン一重項状態ならば、イリジウムの磁気モーメントが消失しているはずだが、そうではないことが示された形だ。さらに、ミュオン・スピン回転の向きと大きさの信号が、振動せずに指数関数的に単調に減衰していくことから、ミュオンが感じている内部磁場分布が一様ではなく大きな乱れを伴っていることも明らかになったのである。

このような乱れを伴う磁性を示す典型的な例として、「スピングラス」と呼ばれる磁性体が考えられる。これは、2つの電子のスピンが互いに「反平行」(線としては平行だが、向きは180度逆の状態)になろうとする相互作用があると、第3のスピンは向きが決まらない、「フラストレーション」を持つ状態となり(画像5)、結果として大きな乱れを伴う磁性を示す状態だ。

CuIr2S4の場合には、正四面体が低温で一方向に歪むことで電子スピンが2個ずつ対を作り、スピン一重項状態となってフラストレーションを解消していると考えられていたが、今回の結果はそれを否定するものだという。これは、電子スピンの条件だけではエネルギー最小の状態は決まらない、つまりスピン・軌道相互作用の効果が小さくないことを意味しているとした。

画像4(左):CuIr2S4中に注入されたミュオンが示すスピン偏極度の時間変化。100K以下で急速に減衰する成分が発達し、大きく乱れた内部磁場が発現していることがわかる。画像5(右):幾何学的フラストレーションの例。正四面体の頂点上に置かれたスピン同士が互いに反平行になろうとすると、第3のスピンの向きが定まらず、「フラストレーション」が起きる

今回の成果は、原子番号が大きな遷移金属であるイリジウム・スピネル化合物の磁性を理解する上でスピン・軌道相互作用が無視できないほど大きい、という前提から出発する必要があることを強く示唆しているという。また、観測に使用した結晶内のミュオンの位置を考慮すると、イリジウムの磁気モーメントが八量体の「耳」にあたる部分(画像6の黄色三角形の部分、Ir(3)、またはIr(4)の位置)に遍在していることを示唆しているとする。

画像6は、新たな描像に基づくCuIr2S4中のイリジウムrイオンの電子状態(赤丸はミュオンの停止位置)を表したもの。絶縁体状態で3種類の結合の1つが縮んでイリジウムが対を形成しても、スピン・軌道相互作用によりスピンのみの一重項状態を取ることができない。さらに、3種類の結合は隣同士で異なる向きにスピンを揃えようとするのでフラストレーションが残ると予想される。

画像6。新たな描像に基づくCuIr2S4中のイリジウムrイオンの電子状態(赤丸はミュオンの停止位置)

また今回の実験では、銅を亜鉛で置換した化合物(Cu1-xZnxIr2S4)では、xが0.01(1%)程度でイリジウムの磁性が急激に失われることも発見された。ただし、この物質ではx~0.25以上で超伝導状態が出現することも知られており、今回見つかった磁性と超伝導との関係解明の研究に発展する可能性があるなど、CuIr2S4は遷移金属におけるスピン・軌道相互作用の効果の研究に新たな舞台が提供されるものと期待されるとしている。