東京大学 大気海洋研究所(AORI)と東北大学は1月16日、海洋研究開発機構(JAMSTEC)との共同研究により、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東北沖地震)の約1か月後に、震源域近くの海底で採取した海水中にマントル起源の「ヘリウム同位体異常」を発見したと共同でと発表した。

成果は、AORI 海洋化学部門の佐野有司 教授、東北大大学院 理学研究科 地震・噴火予知研究観測センターの長谷川昭 名誉教授らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、現地時間1月16日付けで英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。

地球上で起きるマグニチュード9を超える巨大地震の大部分は「プレート収束域」で観測される。プレート収束域とは、異なるプレートが接する領域の内で、プレート同士が近づいていく領域のことをいう。日本近海の海溝がこれにあたる形だ。

そしてマグニチュード9を超える巨大地震の発生には、上盤側の大陸プレートと下盤側の海洋プレートの境界面に存在する地下深くの「深部流体」(プレートが沈み込む時に脱水された水など)が重要な役割を果たしていると指摘されている。この深部流体はプレート境界の間隙流体圧を高め、結果としてすべり面と垂直の「法線応力」(プレート面とは垂直な方向にかかる力)を低下させて地震発生の引き金となる可能性があるという。

東北沖地震はオホーツクプレートと沈み込む太平洋プレートの境界で発生し、これまでその発生メカニズムを突き止めようとする研究がなされてきた。しかし、海水、間隙水や堆積物に含まれるガスの量を比較するなどして、プレート境界面における深部流体の地球化学的な性質を調べる研究はほとんど行われてこなかったのである。

東北沖地震で破壊された断層面は日本海溝から日本列島下のくさび型マントルまで広がった可能性があるという。また、この地震ではさまざまな地球物理学および地質学的研究により、地震によって破壊されたプレート境界面の破断面の「間隙流体圧」(プレート境界に存在する流体の圧力)の上昇が示唆されている。しかし、この深部流体の地球化学的性質はほとんど研究されていないのが現状だ。

ヘリウムの同位体比(質量3の3He/質量4の4He)は、一般にマントル物質で高く、地殻を構成する物質では低い。従ってヘリウム同位体比の変化を調べることによって、プレート境界の流体の起源を明らかにすることができる。震源域のある東北日本の「前弧」では、海底堆積物およびその間隙水で観測されるヘリウム同位体比は海水の値より低く、通常は地殻物質の値を示す。また、沈み込む太平洋プレートも年代効果による低下で、海水の値より低いと推定される。なお前弧とは、プレートの境界域に形成された列島(日本列島も含まれる)において海溝と火山フロントの間にある地域のことをいう。

そこで研究チームは今回、JAMSTECと共同で東北沖地震の震源域近くの地球化学的状態を調べるため、地震の約1か月後の2011年4月に画像1にある4地点(N1、N2、N3、R)において深度1779mから5699mの底層海水が採取された。また、同年の6月にも同様に6地点(2、3、5、7、8、DT99)で海水試料が採取され、8月には海底堆積物と間隙水の採取も実施されたのである。

画像1。海洋底層水の採取地点

海水試料や間隙水についてはそれらに含まれるヘリウムとネオンのガスが抽出され、そして精製。ヘリウム/ネオン比とヘリウム同位体比が「希ガス用質量分析計」を用いて測定された。希ガス用質量分析計とは、ヘリウムなどの希ガスの同位体が測定できる分析装置のことで、分析誤差はおのおの0.4%と3%である。また堆積物試料については、まず堆積物は真空で加熱されてガスが精製された後に、同じく希ガス用質量分析計を用いてヘリウム/ネオン比とヘリウム同位体比が測定された。

ヘリウム同位体比の分析結果を大気の値(1.4×10-6)で規格化した過剰3Heとしてパーセントで示したのが画像2と3の5つのグラフである。画像2は地震前の海面から海底までの平均的な過剰3Heの値を黒丸で、地震後の値を赤丸で表したものだ。地震前の値は、2007年5月から2010年6月までに行われたAORIとJAMSTECが協力して運行を行っている白鳳丸と淡青丸(2013年1月31日に退役)の研究航海で採取・分析された69個のデータに基づいたものである。

過剰3Heは海面から深くなるにつれ増加し、約2000mの深さで最大となり、海底に向かって減少する典型的な北西太平洋の分布を呈しているのがわかるはずだ。一方、地震後のデータはわずかであるが過剰3Heが増加している。画像3(a)~(d)は試料が採取された各地点での過剰3He分布の拡大図だ。図中の灰色の影は地震前の平均値の誤差で、すべての地点で過剰3Heは地震前と等しいか、あるいは増加しており、特に海底に向かって増大する傾向が見られる。これらの結果は、地震後にマントル起源のヘリウムが海底から海水に供給されたことを示唆するという。

北西太平洋の海水における過剰3Heの深度プロファイル。画像2(左)が全体図。画像3の(a)~(d)は、試料を採取した4地点R、N1、N2、N3における深度プロファイル

これまでの研究によると、非火山性の東北日本前弧では、ヘリウム同位体比は海水の値より低い地殻起源の値を持つとされている。分析された震源域の海底堆積物の間隙水は地殻起源の値を示しており、1980年代の分析値と一致したという。また、堆積物自体も海水より低い値を示している。従って、堆積物や間隙水からの3Heの付加はヘリウム同位体比の上昇の原因として説明することはできないとした。

また、地震後の津波による海水の上下混合は、2000m以下の海水では下層部の上昇をもたらすが、画像3(a)~(d)のように3He分布の逆転を起こす理由としては考えにくいという。従って、ヘリウム同位体比の上昇はプレート境界面を迅速に通過した高圧の深部流体によりマントルからもたらされた可能性が高いという結論がなされた(画像4と画像5)。つまり、地震に伴って深部の高圧流体がマントルから海溝域の海底までプレート境界の「破断面」を一気に移動したことを示唆するという。

画像4(左):東北沖地震に伴う深部流体の移動。画像5(右):東北沖地震に伴う深部流体の移動経路と試料採取点の詳細図

日本列島下のくさび型マントルから日本海溝までの距離は約150kmである。研究チームが底層水のヘリウム異常を地震発生から35日後に発見したことと合わせて、流体の移動速度は1日に約4kmと推定された。この速度は通常の地下流体移動としては非常に大きく、これまでに最も速かった2000年の三宅島噴火で観測されたマグマ性流体の移動速度や東北沖地震の前震の移動速度と一致した。

このように流体が迅速に移動した原因として、プレート境界の「間隙流体圧」が地震の発生と関連して異常に上昇したためと推察された。別のいい方をすれば、異常に高圧になった深部流体が地震により作られた透水性の高い破断面を迅速に通過した結果と示唆されるという。この異常に高圧な深部流体が、プレート境界面の強度を低下させ、東北沖地震発生の原因となった可能性が高いとする。

今回の成果は大陸プレートと海洋プレートの境界面が流体移動の通路となった最初の観測例であり、海溝域の低層水や冷湧水の定期的なヘリウム観測は、甚大な被害をもたらす巨大地震発生のメカニズムを解明するのに役立つと期待されるとした。