東京大学(東大)は、受精直後の転写産物の大規模解析を行い、誰でも参照/検索可能なデータベースを構築。それを用いて卵子と精子それぞれが発生を開始するための転写プログラムに果たす役割を示し、精子がこのプログラムを開始するためのコーディネーターとして働くことを明らかにしたと発表した。

同成果は、同大医科学研究所附属ヒトゲノム解析センターの朴聖俊 特任研究員、同大分子細胞生物学研究所附属エピゲノム疾患研究センターの白髭克彦 教授らによるもの。詳細は分子生物学、遺伝学、発生生物学などに関する学術誌「Genes & Development」に掲載された。

哺乳類では受精直後に卵子と精子のゲノムがそれぞれ再構築され"発生"を開始するための転写プログラムが起動する。この過程は個体形成においてきわめて重要ながら、これまで大量の高品質な卵子を採取して、調整することが難しかったため、初期発生過程の転写産物の網羅的、包括的な転写解析は困難であった。

今回、研究グループは、高品質なマウス卵子を大量に採取する方法を確立し、同大大学院総合文化研究科の大杉美穂准教授の協力の下、14万個以上の高品質なマウス卵を採取し、受精-発生初期の全転写産物の解析を行い、データベースを整備した。

14万個の卵を用いた大規模転写解析の概要。赤および紫で示した細胞をそれぞれ2万個ずつ採取し(合計14万個)、実験に用いた

このデータベース作製のために、研究グループでは、マウスの卵管から手作業で卵子を採取、体外受精による受精、受精-発生の転写プログラム開始直後の各時期における全転写産物を次世代シーケンサを用いて解析したほか、同様に卵子を人為的に刺激して得た単為発生卵についても2つの時期について転写産物の解析を行い、正常な受精により発生した場合の転写プログラムと比較を行った。

データベースから、新たに5364個の新規転写産物を同定するなど、従来に比べ高い網羅性で遺伝子発現プロファイルを構築できたことを確認したほか、正常な発生においてはタンパク質を作らない非コードRNAが大量に転写されているという特徴も発見し、発生を開始するための転写プログラムの開始には非コードRNAによる転写の抑制が寄与している可能性が示された。

また、精子の遺伝子発現プロファイル、プロテオーム解析データなどの既存データも活用することで、817個の遺伝子が、単為発生では発現せず精子と卵子が出会って初めて発現する転写産物をコードする遺伝子であることを発見。スーパーコンピュータを利用した計算モデルによる推定から、これらの遺伝子の転写には108個の転写因子が必要であり、そのうち、5個(Nkx2-5、Myod1、Sox18、Foxd1、Runx1)の遺伝子が受精時にのみ発現し、この発現は精子が鍵を握っていることが示されたという。

受精直後の転写の変遷(上の図)。受精直後に起きることはまず卵子の抱えている転写産物の分解(黄色の部分)で、その後、受精により新たな転写が起こる(青の部分)。この受精により誘導される転写は2段階で起こるが、今回の研究から最初の小さな転写の波(図で丸で囲んだ部分)の誘導に精子が必要であることが判明した。受精による転写に引き続いてさらに着床前転写と呼ばれる転写の波が誘導され(紫の部分)、この際に誘導される遺伝子のうち817個は精子がその転写に必要であることも判明した(下の図)。下の図に示されている5個の遺伝子はいずれもその発現に精子を必要とする

これらの結果は、従来の発生開始段階の転写プログラムは卵子があくまで主役であり、卵子が転写制御ネットワークを巧みに操り発生を促進する能力を備えており、精子は単なる雄のゲノムの運び屋であるという考えを覆し、精子が正常な発生のための転写プログラムに必須の役割(コーディネーター)を担っていることを示すものであり、これにより初期胚発生は卵子と精子それぞれが必須の役割を演じる、いわばバレエの男女主役による「Pas de deux (パ・ド・ドゥ)」であることが示されたと研究グループではコメントしている。

なお、今回の研究の一環として得られた解析データは、東大医科学研究所附属ヒトゲノム解析センターのスーパーコンピュータ上でデータベースとして整備され、すでに世界中の研究者に向けて公開されている