逆転、挫折、復活……レースに凝縮される悲喜こもごものドラマは、人の一生にも例えられる。だから人は馬に熱狂する。競馬界に語り継がれる「至高の名勝負」から、1993年の有馬記念について、亀和田武氏(コラムニスト)が綴る。

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 競馬の世界から、いまは追放された騎手のことを記したい。田原成貴。昭和53年(1978年)の騎手デビューを、あっさり初騎乗、初勝利で飾る。新人ながら一気に関西のトップジョッキーに昇りつめ、多くのG1レースも制した。関東も含めて全国リーディングの首位にも輝いた。
 
 身長1メートル69。その端正な容貌から、武豊ブームが起きるまでは“関西の玉三郎”と呼ばれるほどの人気だった。
 
 空前の競馬ブームが到来しようとしていた。昭和63年に地方の笠松競馬から移籍した“芦毛の怪物”オグリキャップがブームの立役者だった。天才騎手、武豊の活躍もブームを加速させた。
 
 平成の初期におきた一大競馬ブームは、オグリキャップと武豊によって作られた。田原成貴の居場所はなかった。二度の落馬負傷で、左の腎臓を摘出して田原の騎乗数が減ったのと、武豊の華々しいデビューが、ほぼ同時だった。
 
 スポットを浴びる機会のなくなった田原にワンチャンスが巡ってきた。平成5年の有馬記念。騎乗馬はトウカイテイオーだった。3歳時は皐月賞、日本ダービーを制し、4歳ではジャパンカップも勝った。しかしジャパンCをはさんだ秋の天皇賞は7着、有馬記念は田原が騎乗したものの11着と惨敗している。たび重なる故障で、有馬はぶっつけ本番となった。
 
 テイオーにとっては364日ぶりのレースだ。順調でありさえすれば、テイオーが現役最強馬であることは、誰もが認めていた。おまけに聡明そうな目と額の美しい流星は、多くの競馬ファンの心をつかんだ。競馬史に残るグッドルッキングホースのNo.1だ。
 
 強さと美しさをあわせ持つテイオーにグランプリ有馬記念を勝たせたい。競馬ファンみんなが、それを望んでいた。なのに「だけど1年ぶりだからなあ……」の呟きがファンの口からは洩れる。1年間の空白を克服して、G1を制した馬はいなかった。
 
 強豪馬も揃っていた。出走14頭中、8頭がG1馬だ。ファン投票首位の菊花賞馬、芦毛のビワハヤヒデが一番人気だ。
 
 スタートが切られた。先頭に立ったのはメジロパーマーだ。好位にレガシーワールド、ホワイトストーン、ビワハヤヒデ、ウイニングチケットなど人気馬が付ける。スタートのよかったテイオーは中団まで下げた。
 
 3コーナーでビワハヤヒデが加速し、直線入り口でメジロパーマーをかわした。鞍上は岡部幸雄。自信と勢いに満ちた騎乗だ。ウイニングチケットもレガシーワールドも脚色が一気に鈍る。愛嬌のある大きな頭をした芦毛馬の勝利は動かないと誰もが思った。
 
 そのとき、外から1頭の馬が凄い脚色でビワハヤヒデに並びかけてきた。トウカイテイオーだ。他の馬はいない。二頭だけ。マッチレースとなったが、直線坂上でビワハヤヒデを抜くと、残り100メートルをゴール前まで走りきった。着差は1/2馬身。しかし着差以上の圧倒的な勝利だった。

 
 表彰式のとき、馬上で田原成貴は泣いていた。そんな姿が絵になる男なんだ。今年話題になった藤田伸二『騎手の一分』には、この時の逸話が紹介されている。レース後に、田原は藤田に言った。
 
「どやった? ファンは酔うてたやろ」「感動するやろ、あの方が」。
 
“策士”田原のウソ泣きだったという説だ。私には、ええ格好しいの田原らしい強がりにも思えるのだけど、そんなふうに騎手の心まで覗いてみたくなるような魅力が田原にはあった。
 
 テイオーとの有馬制覇によって、一気に田原に運が向いてきた。平成7年には伏兵馬マヤノトップガンで菊花賞を勝つと、その勢いで有馬記念まで制した。桜花賞も平成7年、8年と連覇した。天皇賞の前哨戦に過ぎないG2阪神大賞典(3000メートル)で、ナリタブライアン相手にトップガンをぴたり並走させ、他の馬を置き去りにして、ゴールまで800メートル激走したレースは、強い印象を残した。
 
 藤田によれば、田原は「俺ら騎手はアーティストだぞ。競馬は自分の作品にしなくちゃいけない」と語っていた。菊花賞でゴールした直後に、十字を切って投げキスしたパフォーマンスに、観客は度肝を抜かれた。いまでは見慣れた光景だが「田原さんはクリスチャンですか?」と真顔で訊くファンも多かったという。
 
「投げキスは、いろんな女に、アレはオマエにやったんだ」って言えるから。そう茶化す姿は、まるで歌舞伎の色悪のようだった。
 
 覚えておいてくれよ。あの競馬黄金時代は武豊ひとりが作ったんじゃない。武豊が太陽なら、田原成貴は月だった。その田原が、あっと驚く騎乗で、人気の武豊にG1レースで幾度となく苦杯をなめさせた。そんなドラマがあったから、空前のブームが生まれた。
 
 たび重なる刑事事件で、競馬界から追われた田原を惜しむ気持ちはある。しかしそんなラフプレーをしでかして、ファンの記憶にいまも棲みついている。ひょっとして田原の思惑通りになったのかもしれないと思ったりもする。

※週刊ポスト2013年12月6日号