逆転、挫折、復活……レースに凝縮される悲喜こもごものドラマは、人の一生にも例えられる。だから人は馬に熱狂する。現役ジョッキー・藤田伸二が「名勝負」について語る(構成/柳川悠二)。

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 騎手が考える名勝負と、競馬ファンが考える名勝負は根本的に違うんじゃないかな。オレの場合、純粋にレベルの高い馬同士が接戦を演じ、首の上げ下げで勝負が決するようなレースが名勝負だと思う。たとえば、1996年の阪神大賞典。ナリタブライアン(武豊騎乗)とマヤノトップガン(田原成貴騎乗)が第4コーナーからたたき合いを演じたレースがそれに当たる。

 自分が騎乗して勝ったG1なら2009年のスプリンターズS(ローレルゲレイロ)かな。道中、後方を常に気にしながら逃げていたオレは、レース前の予測通りビービーガルダンが後方から迫ってきて、最後は鼻差の勝負になった。写真判定に12分もかかった末、わずか1センチの差で勝つことができた。名勝負とは、実力のある馬同士が実力通りのレースをしてこそ生まれ得るものだと思う。

 一方、競馬ファンはオグリキャップが復活を遂げた1990年の有馬記念や、圧倒的な強さを誇ったディープインパクトの走り、2年連続2着だったオルフェーヴルの凱旋門賞挑戦を名勝負として挙げるかもしれない。競馬を愛し、馬券に夢を乗せるファン心理からすれば、いずれも感動するレースではあるかもしれないけど、じゃあそれが名勝負かといったら違うと思う。

 一頭がぶっちぎったレースなんてその馬が強かっただけだし、オルフェーヴルが惜しくも敗れた去年の凱旋門賞にしても「クリーンに乗りこなす」ことを信条とするオレからしたら、最後の直線で内ラチにもたれたのが気になった。騎手はレース以外のサイドストーリーに感情移入することはない。

 結局、レースを走るのはあくまで馬であり、馬を操る騎手がいくらプランを練ったところで、その通りに馬が走ってくれることなんか10レースに一度あるかないか。騎手が名勝負を演出することはできず、あくまで偶発的に生まれるものだよね。

 ただし、以前に比べて名勝負と呼べるようなレースが少なくなっているとは言えるかもしれない。その要因のひとつとして考えられるのは、世代を代表するような有力馬が同一レースに揃わないことがあげられる。

 たとえば、「TTG」と呼ばれたテンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスや、クラシック三冠を分け合ったウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの三頭は、あらゆるレースでしのぎを削り合った。歴代のスターホースには必ずといっていいほど強力なライバルが二頭ぐらいいたんだ。 

 また、1990年代から2000年代前半にかけてサンデーサイレンス産駒が活躍していた頃は、とにかく高いレベルの競走馬が揃っていた。サンデーサイレンスの子は、繁殖牝馬の血統配合が多少悪くても、未勝利で引退していく馬は少なかった。たとえ調教時などに乗り味が良くなくても、レースともなれば抜群の末脚を発揮するような馬が多かったんだ。だから全体的なレベルは高かった。

 現在は「ディープインパクトの仔がよく走る」と言われるけれど、種付け料が高騰するあまり、それなりの繁殖牝馬しか付けられない現実がある。そりゃあ走るに決まっているよ。

 だけど、種付けの絶対数が少ないから、全体的なレベルを底上げするまでにはいたっていない。今年のダービーを勝ったディープの仔であるキズナ、菊花賞に勝ったエピファネイアに肉薄するような馬がもっと出てくれば、競馬界もいくらか面白くなっていくだろうね。

※週刊ポスト2013年12月6日号