東京大学(東大)は、浮腫(病的なむくみ)を防ぐ一方で、がん細胞の転移の経路ともなるリンパ管の形成が骨形成因子(BMP)ファミリーに属する因子「BMP-9」によって阻害されること、ならびにBMP-9が、正常なマウスにおけるリンパ管形成のみならずがんを患ったマウスにおけるリンパ管の新生を抑制することを見出したと発表した。

同成果は、同大学大学院医学系研究科 分子病理学分野の吉松康裕 特任研究員、同 渡部徹郎 准教授(研究当時。現 東京薬科大学生命科学部 教授)、同 宮園浩平 教授らによるもの。詳細は「米国アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences:PNAS)」に掲載された。

リンパ管の形成メカニズムに関する研究は、同じように全身に張り巡らされている血管の研究とは異なり遅れており、近年の研究から、複数のリンパ管形成を調節する因子が明らかになりつつあるが、そのほとんどがリンパ管形成を誘導する因子であり、詳細な分子メカニズムまで踏み込んだ研究は少なかった。

今回、研究グループでは、シグナルを担っている受容体で遺伝性の血管の病気の原因遺伝子であることで知られる「ALK-1」と、その受容体にみに結合し、末梢血中に高い濃度で存在することからその生理的な意義に注目が集まりつつある液性因子「BMP-9」のリンパ管形成に対する作用の解明に挑んだ。

具体的には、ALK-1とBMP-9それぞれの遺伝子を欠損させた遺伝子改変マウス(ノックアウトマウス)を用いて、胎児発生から新生児期のリンパ管の形成を観察。その結果、ALK-1のノックアウトマウスではリンパ管の拡張が見られたほか、BMP-9のノックアウトマウスでもリンパ管の拡張が見られ、リンパ管形成に関わるリンパ管内皮の細胞数が増えていることが確認された。

これらの結果は、BMP-9がALK-1に結合して、それにより生じるシグナル(BMP-9/ALK-1シグナル)がリンパ管形成を抑制するように働くことを示唆するものであることから、さらに、この分子メカニズムの解明を目指し、リンパ管内皮細胞をシャーレで培養する実験を実施したところ、培養したリンパ管内皮細胞にBMP-9を、1ng/mL(BMP-9が1ml中に1ng)添加しただけでリンパ管内皮細胞の細胞死を引き起こし、細胞数が低下することを確認したほか、リンパ管内皮細胞でのALK-1の発現を低下させたところ、このBMP-9の作用は血管の場合と同様にALK-1を介していることが判明したという。

そこで、BMP-9を添加した時の遺伝子発現の変化量を網羅的に調査したところ、リンパ管形成を担う司令塔である転写因子「Prox1」の発現が低下していることを発見。Prox1の発現を強制的に低下させたところ、同様にリンパ管内皮細胞の細胞数が低下したことが確認されたことから、BMP-9の添加による細胞数の低下はProx1の発現低下が主な原因だと示唆されたほか、Prox1が複数のサイクリン(細胞周期を制御するタンパク質)の発現を制御していることも確認したとのことで、これらがリンパ管内皮細胞の数を減少させている原因であることを突き止めたとする。

これまでの先行研究から、リンパ管は静脈血管から分化されるが、その過程でProx1の発現によって血管内皮細胞からリンパ管内皮細胞へと分化を促すために細胞内の遺伝子プログラムが切り替わることが知られていることから、そういった先行研究で規定(定義)された、100以上の遺伝子からなる遺伝子群(血管内皮細胞で高い発現が見られる遺伝子群(血管内皮細胞の特異的遺伝子群)と、リンパ管内皮細胞で高い発現が見られる遺伝子群(リンパ管内皮細胞の特異的遺伝子群))について解析を行ったところ、BMP-9はリンパ管内皮細胞の特異的遺伝子のほとんどの発現を低下させ、血管内皮細胞の特異的遺伝子の多くの発現を上昇させることが明らかとなり、BMP-9は一度血管からリンパ管へと分化したはずの細胞がもう一度血管へと戻るような遺伝子発現の変化を引き起こしていることが見出されたという。

また、BMP-9の成体(成熟したマウス)におけるリンパ管新生への効果を検討したところ、人為的に炎症や腫瘍を起こさせたマウスにBMP-9を投与すると、炎症性リンパ管新生および腫瘍リンパ管新生の両方でリンパ管の形成が抑制されることが確認され、BMP-9/ALK-1シグナルがリンパ管の形成に対して抑制的に働くことが示された。

リンパ管は病的な機能不全や形成不全により浮腫を引き起こすことから、リンパ管の再生治療を目指した研究の進展が望まれている一方、リンパ節に入り込んだがんが遠隔臓器へと転移するための経路であり、炎症や悪性腫瘍における新生リンパ管の制御という観点からはリンパ管形成を阻害する治療戦略も必要になるとされていることから研究グループでは今後、研究を継続し、リンパ管形成の詳細なメカニズムを明らかにしていくことで、リンパ管を標的とした治療戦略に役立てていく方針としている。

リンパ管はむくみを防いでいるが、リンパ管形成の抑制因子であるBMP-9シグナルを阻害するとリンパ管が太くなることが判明した(上の図)。また、がんにおいてBMP-9シグナルを活性化するとリンパ管がなくなったことから、がんの転移を防げるようにもなる可能性があるという(下の図)