京都大学は9月11日、酵素のATP(アデノシン三リン酸)特異性の獲得メカニズムを発見したと発表した。

成果は、京大 農学研究科の河井重幸助教、同・博士後期課程学生の中道優介氏、同・修士課程学生の吉岡彩氏、摂南大理工学部の村田幸作教授(京都大学名誉教授)らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、9月11日付けで英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。

「ポリリン酸」(画像1)はリン酸分子が直鎖状あるいは環状に結合した高エネルギー化合物で、ATPは生物の体内の「エネルギーの通貨」ともいわれる、生物の普遍的なエネルギー担体だ。

画像1。ATPとポリリン酸の構造

また「NADP(Nicotinamide Adenine Dinucleotide Phosphate:ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸)合成酵素(NADキナーゼ:NADK)」は、ATPまたはポリリン酸を用いて「NAD(Nicotinamide Adenine Dinucleotide:ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)」をリン酸化し、NADPを合成する反応を触媒する。ポリリン酸/ATP-NADKはATPとポリリン酸の両方をリン酸供与体として用い、ATP-NADKはポリリン酸を利用せずATPに特異的な性質を有するのだ(よりATPを好む)。

そして、細菌は「グラム陽性細菌」から「グラム陰性細菌」へと、さらにグラム陰性細菌の中では「γ-プロテオバクテリア」へと進化した。各種大腸菌や、サルモネラ菌、赤痢菌、コレラ菌などなどの病原菌は、γ-プロテオバクテリアの中でもさらに最も進化した細菌群と考えられている(画像2)。画像2はγ-プロテオバクテリアの進化系統樹で、これを見ても最も進化した大腸菌、赤痢菌、サルモネラ菌、コレラ菌などの細菌群でが「GGDGN配列」を有するATP-NADKを保持しているのがわかるというわけだ。

進化的に古い細菌(古細菌やグラム陽性細菌)はポリリン酸/ATP-NADKを有する一方で、より進化したグラム陰性細菌や真核生物はATP-NADKを有する。このことから、ポリリン酸/ATP-NADKからATP-NADKへ進化したと想定されるが、なぜ、どのようにしてポリリン酸利用能を喪失し、ATPへの特異性を獲得するという進化が起きたのか、そのメカニズムは不明だった。

画像2。γ-プロテオバクテリアの進化系統樹

少し古いタイプの細菌が持つポリリン酸/ATP-NADKはGGDGT保存配列を有するが、より進化した細菌が持つATP-NADKのGGDGN保存配列の「アスパラギン残基(N)」を「スレオニン残基(T)」に置換すると、実はATP-NADKはポリリン酸利用能を獲得し、ポリリン酸/ATP-NADKへ「先祖返り」することが発見された。

例えば、大腸菌のATP-NADKのATP依存NADK活性に対するポリリン酸依存NADK活性の比は、わずか2.8%程度に過ぎないが、NからTへの置換により、43%へと跳ね上がり、十分なポリリン酸依存NADK活性を示すようになる。すなわち、ポリリン酸/ATP-NADKのGGDGT保存配列におけるTからへNへの変化により、ポリリン酸利用能を喪失し、ATPへの特異性を獲得したことがわかったというわけだ。

さらに、GGDGN保存配列を持つATP-NADKは、最も進化した細菌群に集中している(画像2)。注目すべきことに、ヒトATP-NADKはポリリン酸依存NADK活性を示さないにも関わらず、「GGSGT保存配列」を持っていた。すなわち、細菌とヒトでは、ATP特異性の獲得機序(ATPへの特異性を決める構造要因)は明らかに違っており、画像3に示す「GGSDT」→「GGDGS」→GGDGNと進化する進化過程が想定されたのである。

しかし、今回のNADKの活性は大腸菌NADKのATP依存活性よりも低い。今回、「先祖返り」(画像3)させた大腸菌NADKは、結核菌NADKよりも強力なポリリン酸依存活性とより強力なNADP生産能を示した

画像3。細菌NADKの推定進化過程

今回の成果により、細菌ATP-NADKとヒトATP-NADKの「違い」に着目した新薬(病原性細菌のATP-NADKのみに作用して細菌を殺す薬)の開発、「先祖返り」させたNADKとポリリン酸を用いたNADP生産法の開発が期待されるとする。また、ポリリン酸そのものを利用する仕組みの解明にもつながるとしていう。その仕組みが分かれば、ほかの多くのATP依存酵素にポリリン酸利用能を与えて「先祖返り」させ、ポリリン酸を用いた多くの有用物質の生産も可能になる。今回の成果はまた、生化学エネルギー担体のポリリン酸からATPへの化学進化がなぜ起きたのか、その進化の生理的意義(病原性など各細菌の特性との関連)という問題に関しても解決の糸口を与えるとした。