京都大学(京大)は8月23日、末梢神経系の発生研究から、ハンセン病を含むさまざまな難病の原因究明へとつながる最先端の研究成果についての総説を発表した。

成果は、京大 理学研究科の高橋淑子教授らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、米国東海岸時間8月22日付けで米科学誌「Science」電子版に掲載された。

末梢神経系とは、脳・脊髄以外の全神経系のことをいう。痛い、痒い、冷たいなどの感覚に加え、恒常性を司る自律神経系や腸を調節する神経も末梢神経系だ。卵から発生が進む過程では、末梢神経は「神経堤細胞」と呼ばれる特殊な細胞群から作られるのである。

その神経堤細胞は、できたばかりの脊髄から遊走を始め、その後、胚内を広く移動しながら少しずつ分化していく。移動中、近くの細胞や組織からさまざまなシグナルを受け取ると同時に、神経堤細胞もシグナルを送り返す。つまり神経系と非神経系との間には、これまで考えられたよりもはるかに複雑な相互作用が働いているというわけだ。

また神経堤細胞は末梢神経(神経細胞とグリア細胞)に加えて、体表の色素細胞にも分化する幹細胞だ。「神経堤細胞が関与しない器官形成は存在しない」といわれるほど重要だが、実際に胚内を動いている時の様子は謎だった。しかし高橋教授らの研究を含む最新の成果によって、移動中の神経堤細胞を詳しく解析することで、原因不明の難病解決への道筋が見えてきたという。

まず、神経堤細胞の移動と分化には、血管が重要な働きをすることが示された。血管が神経堤細胞の移動をコントロールすると共に、血管近くに辿り着いた神経堤細胞のその後の分化も、血管からのシグナルが決定する。このことは、循環器系の異常が末梢神経系の疾患を引き起こす可能性を示す(神経系疾患の原因を探る際、神経系ばかりを見ていてはいけないということになる)。

ほかの研究チームからは、神経堤細胞が組織と組織の間を「ジャンプ」するというまったく新しい現象も報告されているという。細長い腸の上を移動する神経堤細胞の内一部の細胞群は、曲がりくねった腸の間を「近道」するというのだ。このことは、高頻度に見られる先天性小児疾患である「ヒルシュスプルング病」の理解に大きく貢献したとしている。

幹細胞である神経堤細胞が、未分化→分化と分化→未分化を繰り返す様子も見えてきたという。例えば、グリア細胞が神経にまとわりつく時、その力が弱いと神経から離脱する。そして離脱したものは、その後未分化状態に戻った後、色素細胞へと転換することがわかった。つまり手術の時などのある条件下では、体の奥深くに潜んでいたグリア細胞が色素細胞へと変化して体表に現れるというわけである。表皮のみを対象としてきた色素細胞の研究に対し、1つの革命をもたらしたといっていい成果だ。

さらに特筆すべきは、ハンセン病の発症機構が、神経堤細胞の研究によって明らかになったことである。ハンセン病の原因となる細菌の「ライ菌」は、末梢神経系をターゲットにしていることは以前より知られていた。しかし、それがどのような仕組みで筋肉や結合組織にまで伝播されるのかは謎だった。

ところが最近の研究から、グリア細胞がライ菌に感染すると、その後グリア細胞がリプログラミングを起こし、ライ菌を持ったまま筋肉系の細胞へとその姿を変えることが示されたのである。神経堤細胞が本来備えている多分化能が、ライ菌によって「ハイジャック」されてしまうというわけだ。

差別の歴史を持つハンセン病の発症機構が、科学的に解明されたことの社会的意義は非常に大きいだろう。神経堤細胞に特有の多分化能が、有効活用される場合と悪用される場合があるという「二面性」の発見は、今後の難病原因の究明に大きく道を開くことになるとした。

また、血管あるいは腸組織(どちらも中胚葉系)によって神経堤細胞のふるまいがダイナミックに制御されるという発見は、末梢神経系の異常として認識される病気であっても、その原因は中胚葉系の組織にあるというケースが少なくない可能性を意味する。要は生命の仕組みは想像以上に複雑で、常識にとらわれずに広く見渡すことが重要だということだろう。

神経堤細胞は、正常胚において働く「組織幹細胞」として発見され、現在の幹細胞研究の素地を築いてきた存在だ。このように、神経堤細胞の研究から得られる発見は、そのままiPS細胞研究や再生医療にも応用されうるものである。

異なる組織間に働く相互作用を深く知るためには、生きた胚/生体をまるごと扱い、かつ異なる組織を区別して検証するなど、より総合的なアプローチが求められるという。今回の総説は、基礎研究と応用研究を結ぶための新たな方向付けが示されているとした。

また今回の論文では、さまざまな疾患が神経堤細胞の視点から明らかにするテーマで論じられているが、神経系と免疫系、血管と各臓器など、ほかの組織における同様の研究にも当てはまるとする。多臓器の間に見られる連関を視野にいれた、統合的研究の重要性が増すだろうとした。

画像1。神経堤細胞は、その発生過程で多種多様の組織と関わるため、それら相互作用の破綻は多くの先天性異常を引き起こすと考えられる