東邦大学と理化学研究所(理研)、分子科学研究所(IMS)などで構成される研究グループは、ゼロギャップ伝導体として、多層構造を有する分子性伝導体α-(BEDT-TTF)2I3へのキャリア注入に成功し、特徴的な量子輸送現象を低温で実現したと発表した。

同成果は、東邦大学 理学部の田嶋尚也准教授(理化学研究所 加藤分子物性研究室 客員主幹研究員)、理化学研究所の川椙義高研究員、加藤礼三主任研究員、IMSの須田理行助教、山本浩史教授らによるもの。詳細は、9月1日に米国の科学雑誌「Physical Review B」に掲載される。

英マンチェスター大学のガイム氏らは2005年に、運動量空間で伝導帯と価電子帯との間のエネルギーギャップがゼロ、つまり点(ディラック点)で接しているゼロギャップ伝導体が層状構造をしているグラファイトを1層だけにしたグラフェンを実現し、2010年にノーベル物理学賞を受賞した。

この実現の要因として、ディラック点付近の特殊なバンド構造が挙げられる。ゼロギャップ伝導体ではバンド構造の特殊性によって、光と同様、質量ゼロの電子が固体の中で振る舞い、電気伝導の主役を演じることを、ガイムらは通常の金属や半導体では見られない特殊な電気伝導特性や新奇の量子効果によって示した。また、応用の面でも、高速駆動の電子デバイス展開が期待されている。

研究グループはこれまでの研究から、グラフェンの発見とほぼ同時期に高圧下にある分子性導体α-(BEDT-TTF)2I3が、世界で唯一のバルクな(多層状)ゼロギャップ伝導体であることを発見。図2左のように、ディラック点近傍では2つの円錐型バンドが上下から角突き合わせたゼロギャップ構造をしている。このエネルギー構造の特殊性により、質量ゼロの電子が実現し、その後方散乱が抑制されることを実験的に実証してきたほか、キャリア移動度は低温で約106cm2/V.sと高いことを明らかにしており、同物質がエネルギー散逸のない高速駆動と、低コストで環境に優しい性能を兼ね備えた次世代電子デバイスに応用できるものと期待されてきた。

しかし、デバイス化するには、電子や正孔を注入したときに電気的性質が大きく変化することが求められるが、キャリア注入方法が確立されていなかったことから、Si基板などを利用した通常の電界効果トランジスタ(FET)の作製による、同物質へのキャリア注入が試みられてきたが、基板と試料の圧力や熱による歪み(収縮・膨張率)の違いが問題となり、キャリア注入は成功していなかった。また、通常の電界キャリア注入は界面でのみ起こるため、電気伝導性が高い単結晶であることがキャリア注入効果を弱めてしまうなどの問題があり、分子性ゼロギャップ伝導体によるデバイスは実現困難と考えられていた。

図1 有機導体α-(BEDT-TTF)2I3の結晶構造とプラスチックPENデバイス。負に帯電したPEN基板上に試料を固定することで、正孔を注入することに成功した。このキャリア注入方法を接触帯電法という

図2 高圧下におけるα-(BEDT-TTF)2I3のゼロギャップ構造(左)とランダウ準位(右)

今回、研究グループはα-(BEDT-TTF)2I3のFET駆動を目指したキャリア注入法として、低温で、1層あたりのキャリア濃度は108cm-2と低く、ヘリウム液面上の電子濃度に匹敵する値となっていることに注目。わずかに負に帯電した基板に試料を固定しただけで、接触帯電法による正孔注入の効果を電気伝導性に検出されることが期待できることから、界面のみで起こる通常の電界キャリア注入の効果検出のために約100nmの厚みの薄片結晶を用い、その薄片結晶を基板上に固定。ただし、基板と試料の圧力や熱による歪み(収縮・膨張率)の違いが問題となることから、歪効果が有機導体とかけ離れていないプラスチックPEN基板に試料を固定した。

さらに、プラスチック基板上に固定した試料でも高圧力下でゼロギャップ電子系が実現するかどうかの実証に向けた実験を行ったところ、ゼロギャップ電子系に特徴的な量子輸送現象を観測することに成功したとのことで、この結果、分子性ゼロギャップ電子系α-(BEDT-TTF)2I3への正孔注入が実現され、磁気抵抗効果とホール効果などから、同デバイスの評価が行われた。

通常、磁場をかけると固体中の電子のエネルギーはとびとびの値しかとれなくなる(ランダウ準位)が、ゼロギャップ伝導体では、図2右のように、通常の導体とは異なるランダウ準位構造をとることが知られているほか、ゼロモードと呼ばれる特別なランダウ準位がディラック点の位置に常に現れることも知られている。

今回の研究では、ゼロギャップ電子系特有のランダウ準位構造に起因した量子磁気抵抗振動(シュブニコフ・ド・ハース振動:SdH振動)と量子ホール効果(QHE)が、分子性ゼロギャップ電子系として初めて観測されたという。これは、ゼロギャップ電子系では、キャリアを注入しなければフェルミエネルギーは常にディラック点に位置しているため、SdH振動やQHEを観測することはできないため、この観測結果がキャリア注入に成功したことを意味するものであると研究グループは説明する。

実際に同デバイスを評価した結果、キャリア注入効果(キャリア濃度分布)はSdH振動解析から評価できたが、フーリエ解析から2種類の振動成分があることが判明した。また、SdH振動の位相を調べることで、SdH振動起源のキャリアが通常の電子か質量ゼロの電子かを知ることができる点を用いて調べたところ、2つの振動の起源は両方とも質量ゼロの電子であり、接触帯電法によるキャリア注入が成功したことを示唆するものとなったという。また、キャリア濃度分布の解析から、界面から2層目まで正孔が注入されたと推察される結論を得たとのことで、第1層目と第2層目の正孔濃度は、それぞれ3.5×1013cm-2および0.5×1013cm-2と見積られたとする。

一方、磁気抵抗振動が極小を示すところでホール抵抗がプラトーを示すのがQHEの特徴であり、解析の結果、ゼロギャップ電子系に特徴的な量子ステップを持つことが明らかになった。QHEはキャリア易動度が高くないと観測できないことから、この結果は、同デバイスが良質であることを示すものだという。

図3 0.5Kにおける電気抵抗Rxxとホール抵抗Rxyの磁場依存性。Rxxに見られる振動はシュブニコフ・ド・ハース振動。Rxxが極小になるところでRxyのプラトー(3.5Tと5.5T近傍)が見られるが、これが量子ホール効果の特徴となっている

図4 PENデバイスのキャリア濃度分布とエネルギーダイアグラムの略図。図1に示したBEDT-TTF分子層とI3-アニオン層のペアを1組の層として、キャリア濃度はPEN基板からの層数に対してプロットしてある。エネルギーダイアグラムは、キャリア濃度分布を基にそれぞれの層に関するエネルギースペクトル(ディラックコーン)が描かれている

分子性物質は、構成分子が常温で自己組織的に集合して合成されるため、高温で作られるグラフェンよりも、さらに低エネルギーかつマイルドな条件でデバイスを作ることができ、今回の成果から、分子性ゼロギャップ伝導体のFET駆動には基板と試料の圧力や熱による歪み(収縮・膨張率)の違いを小さくすることが最も重要であることが明らかになったと研究グループでは説明しており、今回の成果を活用することで、今後、分子性ゼロギャップ伝導体を用いた散逸のないグリーンなFETデバイスへの展開が期待されるようになるとコメントしている。