国立情報学研究所(NII)は5月28日、量子コンピュータ研究における「いかに回路を小さくするか」という喫緊の課題を、そのままコンピュータ・ゲームにした「meQuanics(メカニクス)」(画像1)の体験版(Webゲーム)を、正式公開を開始したことを発表した。

開発は、NII 量子情報科学(理論)グループの根本香絵教授、同・サイモン・デヴィッド助教、同・コンテンツ科学研究系のヘルムト・プレンディンガー教授、クラウス・バーグマン(プログラミング)、エダン・グレイ(デザイン)らによるプロジェクトが担当している。体験版の動作は、ゲームエンジン「UNITY」が動作するOSのWebブラウザだ(Windows 7のIE9で動作を確認、MacOS X上でもUNITYは動作する)。

画像1。meQuanics体験版の画面。プレイにはUNITYのインストール(無料)が必要

クラウドソーシングを科学的な研究分野に活用し、多くの科学に興味の一般の人々=「市民科学者(citizen scientists)」に参加してもらうことで、開発のスピードアップを図る「オープンサイエンス」の手法が、現在、世界的に注目を集めており、また成功を収めはじめている。

オープンサイエンスとして有名なところといえば、地球外知的生命体からの信号を解析するのに参加できる「SETI@home」があるし、最近では重力レンズ効果を無数の天体写真の中から探していく(コンピュータの画像解析の能力ではまだ人におよばない)「Space Warpsプロジェクト」もスタートした。

中にはさらに1歩進んで、とりわけ誰もが気軽に参加できるようにと、科学の課題をゲームに組み込んでいるものもある。特に生物・医療の分野で先駆的な取り組みが多く、ワシントン大学によるタンパク質の分子構造を組み込んだ「foldit -Solve Puzzles for Science」、がん異変部位の早期発見を目的とした(Space Warpsプロジェクトと同じ理由で画像認識能力はまだ人の方が上のため)Google、Amazon、Facebook、Cancer Research UKが進めている「GeneRun(開発名)」などがそれだ。

日本発にして日本初のmeQuanicsもゲーム形式を採用しているのは冒頭で述べた通りで、扱う題材は「量子コンピュータ」だ。量子コンピュータは、その名の通りに量子力学的な「重ね合わせ」(コンピュータは0と1ですべてを表現するが、重ねあわせは、確認するまでは0でもあり1でもあるということ)を利用して並列性を実現することで、例えば暗号解読などの分野では既存のコンピュータとは比較にならないほどの高速性を発揮できる次世代のコンピュータである。まだ理論レベルのものであり、ハードウェアレベルでの実現には至っていない。その実現化を早めるためのカギとなるのが、量子コンピュータを構成する回路のサイズを小さくすることだとされている。

meQuanicsは、これまでの科学的なゲームにはない、いくつかの特徴を持つ。まず、科学の中でもわかりにくい量子論の世界、つまり量子性を量子回路で表現する(3次元の格子で表現される)ことにより、科学的な予備知識がなくても誰でもプレイできるようにしてあるという点だ(画像2)。つまり、量子コンピュータという言葉を知らない人でも、マウスを操作できれば遊べてしまうのである。

画像2。meQuanicsは電子回路というよりは、そういうルールとビジュアルが特徴のパズルという感じが強く、難解な分野という雰囲気はない

そして量子的な振る舞いを視覚的に表現し、量子の「奇妙な」世界をゲームの、特にルールの中にそのまま再現しているので、研究者はもちろん、パズル好きのゲーマー、さらにはちょっとヒマつぶしをしたい一般人などなど、老若男女を問わない幅広い人たちが、「量子情報を自分の手で操る」ことを体験できる内容となっている点も特徴の1つだ。

実際のゲームの設定は、未来の量子コンピュータを搭載した船を操縦するというもので、画面には量子コンピュータのコアを表したカラフルな立体(3D)の格子構造のパズルが登場する。このパズル全体の3次元的にサイズを小さくすればするほど、船がどんどん加速していくというものだ。3次元なので、視点を動かしたり拡大縮小をしたりして、どこを操作したいか、どこのピースの種類を変えたいかなどの操作をしていく。しかも、制限時間などはないため、じっくりと考えて進められ、ゲーム色が強すぎないようになっている。

ちなみにこれらのパズル(3次元格子)は、ゲームとして作られた架空のものではない。量子情報科学の研究者が、厳格に科学的な原理に基づいて開発しており、量子回路として動作するよう設計されている。つまり、量子力学のルールが支配する量子の世界を正確に再現しているというわけだ。より正確にいうと、大規模量子情報処理の実現に向けて現在最も有力視されているエラー訂正手法の「トポロジカル誤り訂正」を忠実に再現しているのである。

トポロジカル誤り訂正について少しだけ掘り下げると、デジタル信号で0または1という値を持つ情報処理の単位は「ビット」だが、「エラー訂正」とは基本的にこの1つのビット情報をたくさんのビットによって守ろうというものだ。量子コンピュータの場合、基本となる単位は「量子ビット(キュービット)」だが、やはり同様に、たくさんの量子ビットによって1つの量子ビット情報を守る仕組みである(それがそのままmeQuanicsのパズルとして表現されている)。

キュービットからは、ビットと同様に0または1の値を読み出すことができるが、読み出すまでは0であると同時に1であるという量子特有の「重ね合わせ状態」として存在している。奇妙な量子力学的現象の代表例であり、またこれこそが量子コンピュータのパワーの源であり、逆にエラー訂正が必要な理由でもあるというわけだ。

要は、ゲーム画面内に表示される3次元の格子状のパズルが量子回路と量子情報を表現しているのである。ピースは接続されて組み合わさることによって、一定のアルゴリズムを実現するというわけだ。そして、これらのパズルを理屈も理論も関係なく、ゲームなので小さくできればできるほど、実際に将来に量子コンピュータが作られた際にその回路の処理時間が短くなり、動作速度を上げることができるのである。

格子状のパズルは、「ブロック」、「インジェクター」、「キャップ」の3種類(画像3)。基本、それらをどう短くしていくか(長くすることもできる)を考えて実行していく形だ。また、アドバンス・ツールとして「インジェクターの操作」、「カッターツール」、「テレポーテーション・ツール」、「ブリッジ・ツール」、「スイッチ・ツール」があり、より複雑な回路にすることもできる。参加する人が増えれば増えるほど、より小さくできるアイディアが出てくる可能性が増えるわけで、量子コンピュータの実現がより近づくというわけである。

画像3。基本のピース3種類。左からブロック、インジェクター、キャップ

しかしその一方でmeQuanicsは、まだ進化の途上にあるゲームだ。根本教授らは、量子情報処理の領域への分野横断的な参加をより活発化させ、広く科学者・研究者の意見を取り入れたいと考えているという。その後、いよいよクラウドソーシングの機能をさらに統合・発展させた、より多くの人にとって身近なゲームとなるよう、現在動作しているWindowsとMacOS Xだけでなく、iOS、Android、Linuxといったさまざまなプラットフォーム対応版を発表していく予定とした。

なお、体験版の操作方法については、説明文は英語ではあるがチュートリアルが用意されており(それほど難しくはない)、それで練習ができるし、ゲームの様子を収めた動画も視聴可能だ。公式サイトには日本語ページもあって(画像4)、すべて日本語で説明されているので、「英語は苦手…」など心配する必要はない。自分で作った回路が将来、実際に量子コンピュータ実現の暁には利用されるかも知れないので、それを目標に、日々、時間がある時にちょっとだけプレイしてみてはいかがだろうか。

画像4。公式サイトトップページ