東北大学は4月15日、慶應義塾大学、産業技術総合研究所(産総研)との共同研究により、2つの異なる性質を持つ磁石をナノメートルの厚さで積層化することで、磁石の中に磁気モーメントの波(スピン波)を生成し、そのスピン波を利用して従来の1/10という小さな磁場で磁化をスイッチングさせることに成功したと発表した。

同成果は、東北大学 金属材料研究所 高梨弘毅教授、関剛斎助教、慶應義塾大学 理工学部 能崎幸雄准教授、産業技術総合研究所 ナノスピントロニクス研究センター 今村裕志研究チーム長らによるもの。詳細は英国科学雑誌「Nature Communications」にてオンライン公開された。

高度情報化社会に不可欠な電子情報機器において、その根幹を成す記憶素子の低消費電力化を進めることは、豊かな持続性社会を実現するための最重要課題の1つと言える。また、低消費電力化と同時に、電子機器の小型化・大容量化・高速化が望まれており、磁石(磁性体)を用いた高性能な磁気記憶デバイスの開発が重要視されている。磁性体を用いる最大の利点は、情報の不揮発性にある。HDDやMRAM、あるいはスピンランダムアクセスメモリ(Spin-RAM)といったスピントロニクス素子は、磁石の向き(磁化の方向)により情報を記録するため、電力をOFFにしても情報が消えない。このため、情報保持に電力を必要とする半導体ベースの記憶デバイスと比較して、待機中の消費電力を大幅にカットできる利点がある。その反面、磁気記憶デバイスは、記録ビットへ情報を書き込むために必要なエネルギーが大きいという深刻な課題がある。

例えば現行のHDDでは、記録ビットを構成する磁石に磁場を印加し、磁化の方向をスイッチさせることにより情報を書き込む。図1に示すように、HDDの記録ビットを高密度化するためには、情報を記録する磁石1つひとつをナノメートルの領域まで小さくする必要がある。しかし、ナノメートルサイズの磁石では、熱エネルギーにより磁化が揺らいでしまい記録した情報の保持が困難になるという問題が発生する。この磁化の熱揺らぎ問題を回避するためには、熱エネルギーに打ち勝って磁化を一方向に保つためのエネルギー(磁気異方性エネルギー)を大きくすることが不可欠となる。大きな磁気異方性エネルギーをもつ磁石は、記録情報の安定性という観点では好ましいが、一方で、磁化をスイッチさせるための磁場(スイッチング磁場)を増大させてしまい、結果として情報書き込み時の消費電力が増大してしまう。

したがって、磁気記憶デバイスの大容量化・高密度化と低消費電力化を同時に実現するためには、「大きな磁気異方性エネルギー(スイッチング磁場)を持つ磁石」を「情報書き込み時にだけ小さなエネルギー(外部磁場)により磁化スイッチングさせる」という課題を解決しなくてはならない。

図1 HDDの記録ビットの模式図。磁石1つひとつが記録ビットとなっており、磁石の方向(磁束の漏れ方)で情報の「1」、「0」を記録している。構成する磁石を(a)から(b)のように小さくすることで、記録密度を高めることができる

研究グループは、鉄白金(FePt)規則合金とパーマロイ合金(Ni-Fe合金、図中ではPy)というスイッチング磁場の異なる2つの磁石(磁性材料)をナノメートルの厚さで積層化させた薄膜を作製し、その積層膜中に励起される磁気モーメントの運動を利用して、スイッチング磁場を低減することを考案した。FePt規則合金は、希土類永久磁石材料に匹敵する大きな磁気異方性エネルギーを持つ合金であり、大きなスイッチング磁場を示すハード磁性材料である。現在、次世代の超高密度磁気記録媒体の候補材料として盛んに研究が行われている。一方、パーマロイは小さなスイッチング磁場を示すソフト磁性材料の代表格と言われている。

これら2種類の磁性材料を積層化させた薄膜に外部磁場を加えると、パーマロイ層から徐々にスイッチングが始まるが、FePt層はスイッチング磁場が大きいためスイッチングが起きず、薄膜内に磁気モーメントが空間的にねじれた構造が出現する(図2)。この状態において薄膜に高周波の磁場を印加して磁気モーメントの運動を調べたところ、図3に示す磁気共鳴の現象が観測された。図中のピークは、その周波数において磁気モーメントの運動が高周波磁場と共鳴して、大きく運動していることを意味している。実験結果は計算機シミュレーションでも良く再現されており、詳細な運動を調べたところ、磁気モーメントの回転(歳差)運動が空間的にずれて(位相がずれて)伝搬するスピン波が励起されていることが明らかになった。図4は、スピン波の運動の一例を模式的に示している。スピン波は、主にパーマロイ層内に生成される。薄膜に高周波磁場を印加することで外部からこのスピン波をパーマロイ層内に強制励起すると、パーマロイ層とFePt層の界面を介して、FePt層の磁気モーメントの運動に影響を与えることができる。

図2 FePtとパーマロイ(Py)を積層化させた薄膜試料における磁気モーメントの模式図。(a)磁場を加えてすべての磁気モーメントが一方向に揃った状態、および(b)逆方向に磁場を加えることで磁気モーメントが空間的にねじれた状態

図3 実験および数値計算より得られた磁気共鳴のスペクトル。赤、青、緑色の▼で示したスペクトル中のピークは、その周波数の高周波磁場を印加すると、磁気モーメントの運動が高周波磁場と共鳴して、運動が大きくなることを意味している。3つのピークは、それぞれスピン波の形状が異なっている

図4 磁気モーメントの集団的な運動の一例を示した模式図。矢印は磁気モーメントの向きを表している。(a)空間的に均一な磁気モーメントの歳差運動。(b)空間的に不均一な磁気モーメントの歳差運動でありスピン波と呼ばれる。スピン波では、磁気モーメントの歳差運動の位相がずれている

図5は、周波数の異なる高周波磁場を印加した際のFePt層のスイッチング磁場を示した結果。10GHzの高周波磁場を印加することにより、スイッチング磁場が大きく低下していることがわかる。この周波数はパーマロイ層内に励起されるスピン波の周波数と一致しており、パーマロイ層内のスピン波を強制励起することによって、FePt層のスイッチング磁場を大きく低減できた。さらに、様々な条件でFePt層のスイッチング磁場を評価したところ、スピン波の励起によりスイッチング磁場をおよそ1/10まで低減することに成功した。これは、情報の書き込みに必要な磁場を1桁低減できたことを意味する。

このスピン波を利用した磁化スイッチングと類似の手法に、マイクロ波アシスト磁化反転(Microwave-Assisted Magnetization Reversal:MAMR)がある。MAMRでは、本研究と同様に高周波磁場を印加するが、ハード磁性材料中の磁気モーメントの均一な歳差運動を利用する点で異なる。磁気異方性エネルギーの高いハード磁性材料では、均一な歳差運動を励起するのに必要な周波数が高く(数10GHz以上の周波数領域)、実用化における問題だった。一方、今回着目したスピン波は、ソフト磁性材料中に励起されるため、励起に必要な周波数はハード磁性材料の特性に依存せず、励起周波数を数GHz程度に抑えられる利点がある。さらに、スイッチング磁場の低減率をMAMRと比較したところ、スピン波を利用することで効率をおよそ2倍向上できることがわかった。

図5 FePt層のスイッチング磁場の高周波磁場周波数依存性。10GHz近傍の高周波磁場を印加することにより、スイッチング磁場が低下している。この周波数は、スピン波の励起に必要な周波数に一致している

材料や層厚を最適化することにより、実用デバイスに求められる薄膜構造においてスイッチング磁場を大幅に低減させることが今後の課題となる。今回実証したスピン波を利用した磁化スイッチングは、HDDの書き込み技術として応用が可能な手法となる。さらに、次々世代の磁気記録媒体の有力候補であるパターンドメディアに対しても今回の手法は有効であり、HDDの性能向上に大きく寄与できると考えられる。また、MRAMやSpin-RAMといったスピントロニクス素子の省電力書き込み技術としても利用でき、磁気記憶デバイス全般に対する幅広い応用展開が期待されるとコメントしている。