浅野温子(52才)が、10年前から何よりも大切にしているライフワークがある。それは全国の神社を回り、現代語に脚色した『古事記』をひとりで読み語る『浅野温子 よみ語り』という舞台だ。だが最近、この『よみ語り』を巡って、浅野へ逆風が吹いているという。

 これまでに、伊勢神宮(三重県)や出雲大社(島根県)、熱田神宮(愛知県)など、全国の有名神社で行われてきた『よみ語り』。その“功績”から、浅野は2008年4月には国学院大学の客員教授に就任。

 同年12月には、天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典で、当時の総理大臣・麻生太郎氏(72才)らを前に、『よみ語り』を披露しているほどだ。そして、今年3月には『わたしの古事記』(PHP刊)を出版するなど、浅野はこの活動によって、新境地を開拓したといわれている。

 そんな彼女を長年にわたって支えた50代の女性がいる。元所属事務所社長・A子さんだ。浅野は1998年、A子さんの事務所の所属タレントになった。当時の彼女はトレンディー女優として一時代を築いたときほどの勢いはなく、ドラマなどへの出演も以前に比べて減っていた。そんな彼女が、再び脚光を浴びたきっかけが、2003年から始めた『よみ語り』だった。

 地道な活動を4~5年続け、『よみ語り』が世間で認知され始めると、浅野はこの舞台をひとりで考え、広めてきたといった発言をするようになる。最近のインタビューでも、こう語っている。

<私の女優人生で初めて自分発信で企画した舞台ですが、いざ始めてみたら、まぁタイヘン(中略)この舞台では何でも自分の手でやらなくちゃいけない>

 だが、実際に『よみ語り』を“企画”したのは、A子さんをはじめとする事務所側だったという。

「A子さんが全国の神社を回り、頼み込んで、何年もかけて地盤を整えて『よみ語り』を実現させたんです。浅野さんは舞台に立って演じているだけだったんです。もちろん、それが認知されていったのには彼女の力も大きいと思います。でも、『よみ語り』にのめり込んでいった浅野さんが、いつしか、自分の力だけでやっていると言うようになっていって…。あれでは、彼女を支えてきたスタッフがかわいそうですよ」(神社関係者)

 2010年1月、A子さんは乳がんを患ってしまう。手術をしたものの、その後も半年間の放射線治療を要し、一時は生命の危険もあったという。そんな恩人のピンチにもかかわらず、浅野はA子さんと距離を置くようになり、態度も一変する。

「浅野さんはA子さんの入院中、一度もお見舞いに行かなかったそうです。それどころか、周囲に“あの人は重い病気だから、もう現場に戻れないのでは”なんて言って、彼女と距離を置き始めたんです」(A子さんの知人)

 そして、A子さんが闘病中の2010年春、浅野は仕事の取引先やお世話になっている神社に、自らの独立を知らせる手紙を送ったという。2010年4月の舞台を最後に、浅野は事務所を移籍。だが、そこでも一悶着あったようで、すぐに、現在の事務所に再移籍している。ただ移籍を繰り返そうとも、A子さんたちが“企画”した『よみ語り』はそのまま継続した。

 実は、『よみ語り』は、浅野が移籍する前までは『語り舞台』というタイトルだった。それを名称変更したのは、こんな背景があったからだ。

「実は『語り舞台』はA子さんの事務所が2007年に商標登録しているんです。だから浅野さんは、その名称を使えないので、内容は同じまま、『よみ語り』としたんです」(前出・A子さんの知人)

 だが、浅野の現在の所属事務所のホームページにあるプロフィール覧には、移籍以降の舞台も『語り舞台』として紹介されている。

「A子さんの事務所は、このホームページの“詐称”に、近々抗議を考えているようです。こういった浅野さんのデリカシーのなさにも、怒っている神社は多いんです」(前出・神社関係者)

 浅野の現所属事務所は、今回の騒動について、こうコメントする。

「縁あって、弊社に所属しました浅野温子ですが、女優業及び古事記の『よみ語り』の活動も一歩一歩着実に進んでおります。今後の浅野温子の活動を温かく見守っていただければ幸いです」

 一方のA子さんに直撃すると、「何も話せません…」と言うだけだった。現在、A子さんは病気を克服し、浅野の代わりに水野真紀(43才)を演者にして『語り舞台』を続けている。

※女性セブン2013年4月25日号