さて、一連の課題解決を実践してみてどうなったのか。

ある程度整理して情報を溜めるようになったために、Evernoteが放り込んだものの巣窟ではなく、興味を寄せたもののアーカイブになりつつある。入っている情報量は同じであっても、混沌とした中に踏み込むのと体系的に並んだものを眺めることでは、作業に取りかかる心理的ハードルの高さが全く異なる。Pocketに集めた記事の消化は多少ホネだが、目を通せば発見もあるし、脊髄反射的にクリップした一発芸のような記事を溜め込むことを防げる。

しばらく運用するうちに、さらにiPhoneアプリの情報と料理レシピが多く溜まっていることにも気付いた。これは頻繁に見る機会があり、もっと活用したいものでもあるので、属性を横断して内容で溜めるためのノートブックを作り移動した。これだ、これがEvernoteを"活用できた"という状態ではないだろうか。

整理が進むノートブック。ある程度文脈があれば見返そうという気にもなる

結局、新聞・雑誌のスクラップブックだって、切り抜きもしないまま積み上げてあれば古紙の山に過ぎない。いや、Evernoteはそれでいいのだ。ひたすら放り込んでこそ、後で発見される価値があるのだ、と仰る向きもあるだろう。私もそう思っていましたよ、これをやるまでは。

もちろん、数を溜めることで自分用の検索エンジンにすることも可能だし、いろいろな機能を駆使して丸ごとライフログに活用している上級者も多いだろう。そうした使い方が合う人もいるはずだ。だが、大学ノートだって使い方は人によって驚くほど違うもの。これもひとつの事例に過ぎない。自分に必要な使い方を試行錯誤していくことが、Evernoteをツールとして使いこなす第一歩だ。