"頭"では理解しているが"実践"が伴わない現状

いま大学では、ICT(Information and Communication Technology : 情報通信技術)教育の見直しが急務となっている。大学生のICTスキルにバラつきが多く、全体の平均レベルも年々低下傾向にあるというのだ。

勘違いを招く恐れがあるので最初に説明しておくと、ここで挙げるICTスキルの低下とは、いわゆるアプリケーションの操作に関するものではない。むしろ今の学生は、高校を卒業するまでの間にWordやExcel、PowerPointにメールといった各種アプリケーションの使い方を一通り学んできているため、その辺りの知識は問題ないといえるだろう。

聖心女子大学 教授 永野和男氏

では、一体何が問題なのか。それには彼らが育ってきた時代背景および、世代により"常識"として捉えるレベルの意識差が大きく関係している。

たとえば、今の大学生にネットワーク環境や各種アプリケーションがすべて整っているパソコンを与えた場合、それなりに使いこなせるはずである。しかし、いざネットワーク環境の構築から始めてもらうと、意外にギブアップしてしまうケースが多い。これは、アプリケーション操作よりもベーシックな部分のICTスキルが不足しているために起こる問題だ。

ICT教育の最前線で活躍する聖心女子大学 教授の永野和男氏は「いまの学生たちはICTの知識について、高校までの"情報"の授業により"頭"では理解していますが、残念なことに"実践"が伴っていません。そこで、大学におけるICT教育で求められるのが"知識と実践の融合"です」と語る。

便利な世の中が引き起こしたICTスキルの低下という弊害

情報化社会が進む現代において、知識と実践の乖離はなぜ起こったのか。それは彼らが生まれた時代背景と大きな関係がある。今年大学に入学する学生たちが生まれたのは1995年頃だ。1995年といえば、GUIの大幅な刷新で注目を浴びたWindows 95が発売開始。検索エンジン「Yahoo!」も登場するなど、ダイヤルアップ接続ながら個人でのインターネット利用が加速し始めた時期である。

そして彼らが5歳の頃、2000年になるとWindows Meが登場。米Inktomiと米NEC Research Instituteにより、インターネット上のWebページが10億ページを超えたという発表も行われた。

日本の「ブロードバンド元年」と呼ばれる2001年には、Windows XPが発売されるとともにADSL業者の市場競争が激化。現在の大学1年生が10歳を迎える2005年ともなれば、FTTHの普及率向上に加えて公衆無線LANサービスが躍進を遂げている。

こうした一般家庭での急速なIT化が進む中、現在大学で勉強を教える側、企業で人材を採用する側の世代は、自身の"経験"としてネットワークやパソコンに関する知識を手に入れてきた。つまり知識と経験がシンクロしている状態だ。

一方で、現在の大学生側はこうした経験を持ち合わせていない。物心ついた時には家庭にパソコンとネットワーク環境が存在し、一人暮らしを始める際もアパートやマンションによっては"インターネット完備"を売り文句に、全部屋に回線が引いてあることすら珍しくない。壁にLANジャックにケーブルを挿し、LANケーブルの引き回しに悩むことなく無線LANで簡単に接続できてしまうわけだ。OS自体も設定が容易に行えるよう改善されている。彼らにとってそれが"当たり前の環境"なのである。

文系と理系の違いや評価の仕組みも重要

もちろん、パソコンを使う上でプログラミング言語やCPUの内部構造まで理解する必要はない。しかし、今まで比較的ベーシックとされていた知識および経験は養っておくべきだろう。これらは、たとえば就職後に企業で簡単なネットワークトラブルが発生した際の原因究明などにも役立ってくる。

高度なレベルのトラブルはシステム管理者の担当領域だが、少なくともシステム管理者からの指示くらいは理解できるICTスキルが求められるのだ。ましてICTに関係した企業や部署への就職を希望するならば必須といえる。

逆に、人材を採用する企業側にも想定するICTスキルのレベルがあるわけだが、実際に採用してみると「理系大学出身で、パソコンも使えると聞いていたので安心していたら予想以上にICTスキルがなかった」というケースは多いもの。特にIT系企業ならば、MS-DOSの頃からパソコンを使っていたり、自分でネットワーク環境を構築した経験のある人が多く、「アプリケーションが使えれば基礎の部分は当然知っているだろう」と思い込んでしまうのだ。こうした結果、企業としては途中でドロップアウトされても困るため、人材育成にかける期間を延ばしたり、研修のレベルを変えるといった対策が必要になってしまう。

このようなギャップを埋めるためにも、大学のICT教育における"知識と実践の融合"は重要な役割を担う。これが実現できれば、大学側では就職に有利な人材を輩出し、企業側は即戦力に少しでも近い人材を確保することができ、、なおかつICTスキルの底上げを図ることが可能になる。

ただし、永野氏は「知識と実践の融合は、厳しい課題ですね。特に文系の学生に、それをどのようにして教育するかが、教える側にとっての難問だと思います。そしてもうひとつ、学生に対する評価をどうするのかという仕組みも欲しいところです」と語ってくれた。

民間資格試験をカリキュラムに導入

こうした中、ICT教育において先進的な取り組みを行っている大学がある。2000年から学生に対してノートPCを貸与するなど、早くからIT教育に注力してきた足利工業大学だ。

同大学では2012年度後期より、NTTコミュニケーションズが提供するインターネット検定「ドットコムマスター」をカリキュラムに導入している。ドットコムマスターとは、インターネットの利用拡大を目的にスタートした民間資格試験で、1・2年生のクラス約280名の学生が「ドットコムマスター ベーシック」を教材とした授業を受講。最終的には「ベーシック」検定資格を受検し、知識と資格の両方を得ることができる。

足利工業大学 工学部 創生工学科 機械・電気工学系 教授 教務委員会委員長の荘司和男氏は「当大学は工学単科大学ですが、専門的知識を身に付けるためにも最低限、インターネットやパソコンの設定に関するスキルは必要です。また、地元の技術系企業やICTに関係した部署への就職を希望する学生が多いことから、地元企業に貢献できる人材の育成が課題になります」と、ドットコムマスターのカリキュラム導入背景を語る。

足利工業大学 工学部 非常勤講師 二宮千佐加氏

もっともICTの資格試験としては、ドットコムマスター ベーシック以外にもさまざまなものがある。導入の際には問題の特性のみならず、学習用教材なども併せて多数検討したという。

「ITエンジニアを意識した資格試験は、情報系学科以外の学生にとって内容が高度すぎるという印象があったと伺っています。一方で、Microsoft Office Specialist Masterなどのアプリケーションに特化した試験では、大学のカリキュラムとして採用するのが難しいですよね。ドットコムマスター ベーシックは、ICTの基本を学ぶ試験としてちょうどよいレベルだったうえ、企業の社員教育でも採用が進んでいることから選ばれたそうです。講師という立場から見ても、教材がよくまとまっている印象です」(足利工業大学 工学部 非常勤講師 二宮千佐加氏)

二宮氏によると、ドットコムマスターは留学生の間で特に喜ばれているという。足利工業大学では、アジア圏を中心に各クラス5、6名の留学生を受け入れているが、日本での就職を希望する学生は、就職活動におけるアピールポイントとして利用できる資格であることから、特に熱心に授業を聞き入っていたという。

ドットコムマスターの教材

以上のようなドットコムマスターについて、前述の永野氏は、「英語におけるTOEICのような役割をICTにおいて担ってほしい」と強い期待を寄せる。

「現在、TOEICは、履歴書にもスコアを書き込む欄があるほど、英語スキルを測る指標として社会に定着しています。ICTに関してもこれと同じような指標が必要と言えますが、それには企業からも広く支持されなければならないなど課題も多く、残念ながら、教育機関だけで環境を整えるのは難しいというのが実情です。ドットコムマスターには、こうした課題を解決する試験として期待しています」(永野氏)

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ここまで大学におけるICT教育の課題や現状を見てきたが、いかがだっただろうか。次回はこの内容を踏まえ、足利工業大学が導入しているドットコムマスターを提供するNTTコミュニケーションズにドットコムマスターの詳細や、将来的なインターネット検定の在り方などを聞いていくことにしよう。