佐藤浩市、西村雅彦、吉瀬美智子らが出演し、成島出監督が手掛けた映画『草原の椅子』が2月23日に公開を迎えた。50歳で親友となった2人の男、つらい過去を胸に秘め陶器店を営む女性、育児放棄により心を閉ざしてしまった4歳の少年が運命に導かれるように出会い、世界最後の桃源郷といわれるパキスタン・フンザの旅を通して、新たな一歩を踏み出していく姿を生き生きと映し出している。

映像化不可能とも言われていた宮本輝の同名小説を映像化するにあたり、どのような思いがあったのか。『八日目の蝉』(2011年)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011年)など、数多くの名作を世に送り出してきた監督・成島出に話を聞いた。

成島出 監督
1961年生まれ。山梨県出身。初の監督作品『油断大敵』(2004年)で第23回藤本賞新人賞、第26回ヨコハマ映画祭新人監督賞を受賞。その後、『ミッドナイトイーグル』(2007年)、『ラブファイト』(2008年)、『孤高のメス』(2010年)などを手掛け、『八日目の蝉』(2011年)で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した。

――本作の映画化は『戦場のクリスマス』(1983年)、『失楽園』(1997年)など数多くの名作を手掛けたプロデューサー・原正人氏が温め続けた企画だったそうですね。

宮本輝さんの小説は、心の機微の繊細なところを描いているので、それをダイジェストでやろうとすると持っている味みたいなものが全く無くなってしまうので、映像化不可能と言われてしまっていた1つはそこにあるんじゃないかなと思います。また、旅をする場所は原作ではタクラマカン砂漠でしたが、ロケ地としてパキスタンの砂漠とフンザに行くというのが必須のお話ですから、なかなかハードルが高いものがありますよね。

――原プロデューサーは数人に脚本を依頼したものの結局は断念し、その後の成島監督との出会いが転機となったそうですね。

ええ、話せば長くなりますが(笑)。阪神淡路大震災とオウム事件は、当時の自分にとっては大きな事件だったんです。だからこそ、その2つに関する話は読まないようにしていました。人の言葉で意味付けをしたくなかったんですよね。ただ、今回は東日本大震災があってから原さんからこの話を頂いたので、原作を読んでみようかなと思ったんです。

――原作の魅力に突き動かされたわけですね。

読んでみたら、さすがですね。面白かったです。宮本さんは阪神淡路大震災に被災し、自宅が潰れかけ、自分も死にかけ、ご近所の方が大勢亡くなったという状況を経て、ある種の絶望と目の前で人が死んでいくという怒りを感じたまま旅に出て、それから50歳になった時にこの作品を書いたそうです。だから、原作のベースとなった怒りや悲しみ、時代背景なども含めて、原作のまま映像化すると、観客はそのすべてを抱えてしまうことになり、作品は結果として説教臭くなってしまいますし、そういう映画は僕も見たくないので、最初はこの話をお断りしたんです。

――そこからどのような心変わりを?

原さんから「『八日目の蝉』『孤高のメス』とかここ最近全力投球で作ってこられたんで、ここらへんでちょっと肩の力を抜いてユーモアで行かれたらどうですか」と言われて、なるほどなと思いました。考えてみれば、背景に重いものがあってもユーモアによって説教臭さを和らげている作品はたくさんあるので、その言葉がヒントとなってやってみようと思いました。ただ、即答はせず「一度、フンザに行かせてください」とお願いしました。もう…フンザの砂漠に立ってしまうとね、監督の悲しい性でラストシーンはこうなるかなとか画が浮かんできました。それから日本に戻ってきて、正式にやりますと返事をしました。

――キャストもすばらしい方々が揃っていますね。

佐藤さんと西村さんとは初めてだったんですけど、以前から一緒にお仕事をしたかった俳優さんでした。学年でいうと僕が1つ下になるんですけど、3人とも51歳の時にこの映画を撮影したんです。予算のことや現地でのことなど大変な部分はたくさんありましたけど、スタッフ含めみんなで力を合わせてなんとかやれたという感じです。

――50歳にして親友になった2人ですが、酒を酌み交わすシーンが度々登場します。あの雰囲気、憧れますよね。

渋いですね(笑)。宮本さんの原作からシナリオを作っていく時に、大人の寓話になればいいなと思っていました。原さんの「ユーモア」をヒントに、50歳で親友ができたり、淡い恋心を抱いたり、幼児虐待を受け両親から見放された4歳の子どもの未来であるとか、こうなればいいなという思いを込めました。……続きを読む。