産業技術総合研究所(産総研)は11月28日、光によって発熱可能なカーボンナノチューブ(CNT)と特定の温度で内包分子を放出する温度感受性リポソームを組み合せて、電圧をかけることによって目的位置まで正確に分子を運び、レーザ光照射によって分子を放出できる分子複合体(ナノ電車)を開発したと発表した。開発したナノ電車を用いると、酵素反応の開始を遠隔制御できるという。

同成果は、産総研 健康工学研究部門 ストレスシグナル研究グループの都英次郎 研究員らによるもの。大阪府立大学 大学院工学研究科 河野健司教授らと協力して開発された。詳細は、英国の科学誌「Nature Communications」に掲載された。

人間をはじめとする多細胞生物は、個々の細胞間でホルモンなどのシグナル伝達分子を授受することで、恒常性の維持や成長の調節、運動制御や記憶・学習など様々な生命活動を行っている。このような生体機能からヒントを得て、DNAやタンパク質などの分子を伝達し、目的とする化学・生化学反応を誘発する分子伝送システムが開発できれば、化学、医療などの様々な分野での革新的な応用につながる。これまでにも、このような分子伝送システムの研究が行われてきたが、分子伝送システムをより効果的に機能させるのに向け、(1)出発点から送出された分子を目的の場所まで伝送する指向性をもった分子伝送技術、(2)目的の場所で分子を位置選択的に放出させる技術、(3)目的の場所で目的の化学・生化学反応を誘発させる技術、の3点の主要技術の開発が立ち遅れている。

産総研ではこれまでに、レーザ光により容易に発熱するCNTの光発熱特性に注目し、体の中で発電できる光熱発電素子や生体内で標的とする生理活性物質を生み出す遺伝子発現制御技術を開発してきており今回の研究では、光発熱特性を持つCNTを、特定の温度で内包する分子を放出できる温度感受性リポソームと組み合せることで、生体機能を模倣した新しい分子伝送システムの開発に取り組んだ。

CNTは、そのまま水中に分散させようとすると、強い分子間の相互作用により、束状、粒状に凝集してしまう。CNTの光発熱特性を最大限に利用するためには、この凝集状態を解消し、CNTを水中に分子レベルで分散させる必要がある。今回、アビジン、ポリエチレングリコール(PEG)、リン脂質(PL)からなる分子(アビジン-PEG-PL)を単層CNT(SWCNT)の表面にコーティングさせることで水中へ分散させた。一方、リポソームに温度感受性(42℃付近で構造変化)を与えるため、各種リン脂質とコレステロールの配合量を調整のうえ、ビオチンと蛍光分子(ニトロベンゾオキサジアゾール(NBD))を表面に結合。アビジンとビオチンの結合を利用した自己組織化によりCNTとリポソームからなる分子複合体(ナノ電車)を作製したという。

同分子複合体は、NBDによって緑色蛍光を有する粒子状会合体であるが(図1のb)、図1(a)のようなCNTの表面にいくつかのリポソームが結合した構造を形成することがわかった(図1(c))。なお、CNTとリポソームからなる同分子複合体は、電気エネルギーによって乗客となる分子を最短ルートで運び、目的位置で降ろすことが可能であるため、今回、この分子複合体のことをナノスケールの電車に例えて「ナノ電車」と命名したという。

図1 CNT-リポソーム分子複合体(ナノ電車)の構造解析。(a)ナノ電車の概念図、(b)蛍光顕微鏡写真、(c)透過型電子顕微鏡写真

作製されたナノ電車をポリジメチルシロキサン(PDMS)とガラス基板からなる直線状のマイクロ流体デバイス(幅100μm、深さ50μm)のスタート地点に入れ、電圧を加えてナノ電車の運動機能を解析したところ(図2のa)、マイナス電荷を持つ分子複合体はマイナス極からプラス極に向かって最高速度約700μm/sで進むことがわかった(図2のb)。さらに、迷路状のマイクロ流体デバイスのスタート地点に入れ、電圧をかけたところ、電位勾配に従い、スタートからゴール地点に向かって最短ルートで進むことが確認された(図2のcおよびd)。

図2 ナノ電車の運動解析。(a)ナノ電車の速度解析のための実験装置、(b)速度解析結果、(c)迷路状マイクロ流体デバイスの仕様(緑:最短ルート、ピンク:最長ルート、黒いピン部分:最短ルートではないがゴールになり得る出口、注意:ナノ電車は、図中の白抜きの部分ではなく線上を動く)、(d)ナノ電車による最短ルートでの迷路解読(この場合は1分30秒でゴールに到達した)

今回開発したCNT-リポソームからなるナノ電車を用いて、目的位置まで分子を運んだ後、放出させることで酵素反応の遠隔制御を試みた(図3のa)。なお、このケースのナノ電車では、図1に示したものとは異なり、温度解析を実施するために温度応答性色素ローダミンBを結合させたリポソームが用いられている。

目的位置には酵素(β-ガラクトシダーゼ:β-Gal)を配置。温度感受性リポソームには、β-Galの基質となるフルオレセイン-ジ-β-D-ガラクトピラノシド(FDG)を内包させた。このFDGはβ-Galによって加水分解されるとフルオレセインとなり緑色の蛍光を発する(図3のb)。

目的位置にレーザ光を照射したところ、FDGの加水分解を示す緑色の蛍光を観測できた(図3のc)とのことで、この結果は、CNTの光発熱特性のためレーザ光照射によって、CNT近くの温度が急激に上昇(最大で約53℃)して、温度感受性リポソームの構造が変化し、内部のFDGが放出され、β-Galによってフルオレセインに変換されたことを示唆するものだという。なお、CNTがない場合は、いずれのレーザ出力でもFDGの放出や温度上昇が起こらない。

図3 ナノ電車の機能解析。(a)目的場所における分子運搬および放出による酵素反応の誘発(リポソーム中の赤い粒子:ローダミンBを結合したリン脂質(温度解析に利用))、(b)β-GalによるFDGの加水分解反応の模式図、(c)酵素反応誘発の蛍光顕微鏡による観察

今回開発した分子伝送システムは、マイクロメートルスケールにおける極微小で微量のナノ物質の輸送・分離や解析を利用した病気の発生・進行を未然に防ぐ予防医療のための高性能マイクロ流体デバイスの開発などへ応用が期待されるという。そのため研究グループでは今後、基板上で高度に運動・構造制御できる機能化分子複合体を開発し、微小パターン内で分子(薬物、DNA、RNA、タンパク質、糖など)を目的の位置まで高速運搬し、運搬先で化学反応などを誘発できるマイクロ流体デバイスを開発する計画としている。