分子科学研究所(IMS)は10月9日、光を化学エネルギーに変換する「光駆動イオン輸送タンパク質」が塩化物イオンを輸送する過程において、「水素結合」を形成していない"ぶらぶら"した水分子が関わっていることを明らかにしたと発表した。

成果は、IMSの古谷祐詞准教授、北海道大学大学院 先端生命科学研究院の出村誠教授、同・菊川峰志助教、名古屋工業大学大学院 工学研究科の神取秀樹教授らの研究グループによるもの。研究はJSTの戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「光エネルギーと物質変換」研究領域における課題の一環として行われ、詳細な内容は9月25日付けで米化学会発行の物理化学専門速報誌「The Journal of Physical Chemistry Letters」オンライン版に掲載された。

細胞は、「脂質二重膜」と呼ばれる膜に包まれている。この膜は脂肪でできているので水を通さず、イオンなどの電荷を含む物質が細胞から出たり入ったりすることを阻む役割を持つ。

イオン輸送タンパク質は、脂質二重膜中を貫く形で存在し、外部からエネルギーを取り入れてイオンを能動的に輸送することで、細胞の内と外に電位差を作り出す。この電位差を利用して、細胞は生体エネルギーの源である「アデノシン三リン酸(ATP)」を合成したり、生体電気信号を発生したりするのだ。

イオン輸送タンパク質は、外部からのエネルギーを利用してイオンを輸送する際に、巧妙に構造変化することが知られている。今回の研究では、タンパク質の構造変化だけでなく、内部に存在する水分子もイオン輸送過程で動的に変化していることを明らかにした形だ。

ヒトの体重の60%を水が占めているように、生命にとって水は不可欠な存在だ。多種多様なタンパク質も生命にとってはなくてはならないものだが、タンパク質の機能にとって、水がどのような役割を果たしているのかは実はあまりよくわかっていない。

イオン輸送タンパク質においても、タンパク質周辺やその内部に水分子が存在することは明らかにされてきたが、水分子が実際にイオンを輸送する過程でどのような役割を果たしているのかはよくわかっていなかったのである。

これはイオン輸送タンパク質がイオンを取り込んでから放出するまでの1サイクル中の動作が10~100ms程度と早く、なおかつ水分子そのものを観測する手法自体も未熟であるためだ。

そこで研究グループは今回、赤外線を利用する赤外分光法で水分子の「O-H伸縮振動」を10μs程度の時分割で計測し、イオン輸送タンパク質の1種である「ハロロドプシン」(画像1)が動作する過程での水分子の動きをとらえることを目指した。

画像1。光駆動塩化物イオンポンプであるハロロドプシンのX線結晶構造。光を受け取る部位であるレチナール分子を緑色、塩化物イオンを黄色、水分子を水色で示している

水分子は2つの「O-H基」を持ち、それらがほかの水分子やアミノ酸残基と手をつなぐように水素結合を形成する。タンパク質内部では、狭い空間の中で手をつなぐ相手がいないために、そのような水素結合が切れてO-H基が"ぶらぶら"した状態になった水分子も存在する(画像2)。

このようなO-H基は、ほかの水素結合を形成した水分子よりも高い振動数で振動しているのが特徴だ。幅の狭い信号を与えるため、タンパク質内部の水分子の動きをとらえるプローブとして適しているのである。

今回、微細な構造変化を時分割で観測することを可能とする「時間分解フーリエ変換赤外分光法」をハロロドプシンに適用することで、タンパク質内部に存在する水分子の変化をとらえることに成功した。

画像2。タンパク質内部で水素結合相手がいない"ぶらぶら"した状態の水分子

ハロロドプシンは、塩湖などの高塩濃度の環境下で生息する細菌から見つかったイオン輸送タンパク質であり、光のエネルギーを利用して塩化物イオンを輸送する。

光が「レチナール」に吸収されると、「トランス-シス異性化反応」という分子が折れ曲がる反応が起こり、それによって生じた歪みによりタンパク質の構造を変化させる。

塩化物イオンは構造の異なる一連の中間体が形成されることで、細胞の内側から外側へと輸送される仕組みだ。時間分解赤外分光計測の結果から、塩化物イオンが放出され、取り込まれる過程で生じる中間体において、"ぶらぶら"した状態の水分子の信号が大きくなることが見出された(画像3)。

このことは、タンパク質の内部からイオンが放出されたり取り込まれたりする際に、水分子がそれまでつないでいた手を離すかのように、水素結合を切断することで状態を大きく変化させていることを意味している。

つまり、塩化物イオンを輸送する過程で、タンパク質そのものの構造変化だけでなく、イオンの負電荷を中和するために水分子が積極的に関与していることを示唆しているというわけだ。

画像3。ハロロドプシンのイオン輸送過程で変化する"ぶらぶら"した状態の水分子。赤外線で観測した信号の変化から、イオンが放出されるとタンパク質内部に存在する水分子の水素結合が外れて、"ぶらぶら"した水分子が増えることが判明

今回の成果は、タンパク質がイオンを輸送する際に水分子が動的に関わっていることを実験的に示したもので、研究グループでは今後、光でイオンを透過するような人工膜の開発に役立つものと期待しているとコメントしている。