京都大学は6月26日、生理学研究所(生理研)、福島県立医科大学との共同研究により、サルで特定の神経回路だけを除去できる「遺伝子導入法」の開発に成功したと発表した。

成果は、京大 霊長類研究所の高田昌彦教授、同井上謙一特定助教、生理研の南部篤教授、同纐纈大輔特任助教、福島県立医科大の小林和人教授らの共同研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、6月25日付けで米オンライン科学誌「PLoS ONE」電子版に掲載された。

ヒトやサルの脳は、1000億を超える神経細胞が複雑に絡み合った神経回路を作り、高次脳機能を生み出している。例えば、パーキンソン病などの神経疾患の遺伝子治療を行う際には、こうした複雑な神経回路の中から特定の働きをしている神経回路を見つけ出し、それを標的にする必要があるが、特定の神経回路だけを標的にして遺伝子を導入することはこれまで困難だった。

研究グループは、細胞死を誘導する物質として知られる「イムノトキシン」の受容体である「ヒトインターロイキンタイプ2受容体」を発現する特殊なウイルスベクター「NeuRet-IL-2Rα-GFP」を開発。このウイルスベクターに感染した神経細胞は、イムノトキシンと結合することによって細胞死を引き起こすのである。

研究グループでは、まずこのウイルスベクターを「大脳基底核」の一部である「視床下核」に注入した。次に、運動を制御する大脳皮質の領域である「運動野」にイムノトキシンを注入することによって、運動野から大脳基底核に至る神経回路の内「ハイパー直接路」と呼ばれる神経回路だけを選択的に除去することに成功した。

その結果、大脳皮質から大脳基底核に運動情報が入る際に、早いタイミングで見られる神経細胞の興奮活動が、このハイパー直接路を経由して起こることが発見されたのである。

画像1は、今回開発された特定の神経回路を「除去」する遺伝子導入法(概念図)。領域A、B、Cに分布する3つの神経細胞がそれぞれ入力(刺激)を受け、共通の1つの神経細胞に連絡し、そこから出力する神経回路の模式図だ。

このような神経回路の神経連絡のつなぎ目の「シナプス」の部分に、NeuRet-IL-2Rα-GFPウイルスベクターを注入すると(1)、これによって導入された遺伝子が神経線維を逆行性(神経伝達とは逆向き)に輸送され(2)、領域A、B、Cの神経細胞(細胞体)で、細胞死を誘導する物質として知られるイムノトキシンの受容体であるヒトインターロイキンタイプ2受容体が発現する仕組みだ(3)。この時、領域Cの神経細胞にだけイムノトキシンを作用させると(4)、領域Cの神経細胞だけを選択的に死滅させることができる。

画像1。今回開発された特定の神経回路を「除去」する遺伝子導入法(概念図)

画像2は、パーキンソン病などに関わる脳部位である大脳基底核に遺伝子導入する際の模式図。画像1の原理に基づいて、ウイルスベクターを大脳基底核(視床下核)に注入。さらにイムノトキシンを大脳皮質(運動野)に注入することによって、運動野から視床下核に至る神経回路(「ハイパー直接路」と呼ばれている)だけを選択的に「除去」することが可能だ。その際、大脳基底核の神経回路の働きがどのように変化したかを、運動野の電気刺激に対する神経細胞の反応を淡層球内節(GPi)から記録して確かめる。

画像2。パーキンソン病などに関わる脳部位である大脳基底核に遺伝子導入

画像3は、イムノトキシンを大脳皮質(運動野)に注入すると、早いタイミングで起こる大脳基底核(淡蒼球内節)の神経細胞の興奮活動が消失。大脳皮質(運動野)にイムノトキシンを注入して、運動野から視床下核に至る神経回路(大脳基底核の「ハイパー直接路」)だけを選択的に「除去」すると、淡層球内節(GPi)の神経細胞で見られる運動野刺激に対する早いタイミングの興奮活動がなくなった。

画像3。イムノトキシンを大脳皮質(運動野)に注入すると、早いタイミングで起こる大脳基底核(淡蒼球内節)の神経細胞の興奮活動が消失

画像4は、「ハイパー直接路」が大脳基底核(淡蒼球内節)で見られる早いタイミングの興奮活動を引き起こすことを発見。パーキンソン病などの運動疾患に関わる大脳基底核の神経回路の模式図。大脳皮質(運動野)から大脳基底核に至る神経回路の内「ハイパー直接路」と呼ばれる神経回路だけを選択的に除去すると、淡蒼球内節の神経細胞で早いタイミングの興奮活動だけが見られなくなったことから、この神経回路が早い興奮を引き起こす働きをしていることが明らかになった(略称は以下の通り。Cx:大脳皮質、GPe:淡蒼球内節、GPi:淡蒼球外節、SNr:黒質網様部、STN:視床下核、Str:線条体、Th:視床)。

画像4。「ハイパー直接路」が大脳基底核(淡蒼球内節)で見られる早いタイミングの興奮活動を引き起こすことを発見

この方法をパーキンソン病など、さまざまな運動疾患に関わる脳部位である大脳基底核の神経細胞に適用したところ、特定の神経回路の除去に成功、その神経回路の働きが明らかになった次第だ。今後、ヒトの神経疾患の遺伝子治療にも応用できる技術だ。

今回の方法は、霊長類の高次脳機能の解明、さらにはさまざまな精神・神経疾患の霊長類モデルの開発やこれらの疾患を克服するための遺伝子治療研究など、脳科学研究に日本発の新展開を与えることが期待できると研究グループはコメントしている。