映画を"音"の面からサポートする映画音楽。登場人物の心情などを表現し、作品を盛り上げるため、映画には欠かせないパーツのひとつだ。そんな音楽に12歳で魅了された作曲家がいる。国立音楽大学大学院を首席で卒業した作曲家・富貴晴美だ。26歳という若さで、これまでに映画『京都太秦物語』(2010年)や『余命』(2009年)、ドラマ『日曜劇場SCANDAL』、『明日の光をつかめ』、『花嫁のれん』などの様々な作品の音楽を担当してきた富貴本人に話を伺った。

富貴晴美(ふうきはるみ)
国立音楽大学作曲専攻、同大学院を首席で卒業。在学中より映画、ドラマ、ミュージカル、CM音楽の作曲やアーティストへの楽曲提供など精力的に活動している。第26回現音作曲新人賞第1位。第16回室内楽国際作曲コンクール入選。パーカッションミュージアムコンクール第2位等、数々の賞を受賞している。主な作品は、映画『わが母の記』、『京都太秦物語』、『余命』やドラマ『日曜劇場SCANDAL』、『明日の光をつかめ』、『花嫁のれん』など。映画『わが母の記』が最新作となる

デモ音源を送るも反応はゼロ

――最初に、いつ頃から映画音楽の作曲家になりたいと思ったのですか。

富貴晴美(以下、富貴)「小学生のとき、友達と映画『タイタニック』(1997年)を見に行ったんですが、映画開始10~15分のまだ船が出港していない段階で、号泣してしまったんです。音楽に圧倒されてしまって。それが初めて映画音楽と向き合った瞬間でしたね。帰りにサウンドトラックを買って、絶対に将来、映画音楽の作曲家になると決めました」

――元々映画が好きだったと。

富貴「はい。元々、映画が凄く好きで、小学校、中学校とほとんど学校に行かず、家で1日8本映画を見る生活をしていました(笑)」

――作品はどういったものを選んで見ていたのですか。

富貴「新しい作品を見つつ、映画『チップス先生さようなら』(1969年)などの昔の作品も見ていましたね。母親も映画が好きだったので、母親に薦められて、小学生のときから黒澤映画なども見ていました」

――映画音楽として影響を受けた作品を教えて下さい。

富貴「映画『風と共に去りぬ』(1939年)や『愛と哀しみのボレロ』(1981年)などですね。『愛と哀しみのボレロ』では、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルの「ボレロ」という楽曲を使っているんですが、映画とクラシック音楽がうまく融合していて、凄い作品だなと思いましたね。あと『アラビアのロレンス』(1962年)の音楽も好きですね」

――邦画でも何かありますか。

富貴「黒澤映画の音楽は現代音楽なんですよ。ただ、小学生のときはまだ現代音楽を習っていなかったので、なんでこんな音楽を作るんだろうと不思議に思っていたくらいでした。でも、大学に入って現代音楽を学ぶようになってからは大好きになりました」

――映画も音楽も好きでこの職業を選んだということですね。

富貴「そうですね。幸せです」

――作曲家になるプロセスというのはあまり表に出てこないものだと思うのですが、富貴さんの場合はどのようにして作曲家という職業に就くことができたのですか。

富貴「私も"どうやって作曲家になるんだろう? "と、大学時代ずっと考えていたんです。就職欄に作曲家募集なんてないですよね(笑)。映画やドラマの音楽を制作する会社にデモテープを送ってみたりはしたのですが、まったく返事はありませんでしたし。それで、半分諦めかけていたんですが、今、現役で活躍されている菅野よう子さんなどの有名な作曲家の経歴をひたすら印刷して並べて見ていったんです。そうしたら、皆さん最初にCM音楽からキャリアをスタートされていることに気づいたんです。そこで、大学生の私でもCM音楽であればチャンスがあるかもしれないと思い、3カ月間、家に引きこもってCM音楽をひたすら聴いて勉強して、10曲のデモ音源を作りました」

――なるほど。そのデモ音源をCM制作の音楽出版社に送ったと。

富貴「はい、そうしたら1社から返事がきて、"君の音楽を気に入った。最初から作曲の依頼は来ないだろうから、事務としてうちの会社に入らないか"という打診を受けたんです。それが大学3年生のときですね。それで、その会社に入ってから1カ月後に"コンペに出してみないか"と言われ、それが選ばれてテレビで放映されたんです」

――晴れて、作曲家デビューということですね。

富貴「その後、私が作ったCM音楽が数十曲放映された頃に、その実績をもって、ドラマや映画の音楽出版社にデモ音源を送ったんです。そこからドラマの音楽の話が来るようになり、その後、映画の話が来るようになりました」

映画『わが母の記』の音楽作り

映画『わが母の記』

小説家・伊上洪作(役所広司)は、父親の死をきっかけに疎遠になっていた母親である八重(樹木希林)との交流が多くなる。しかし、洪作は幼少期に両親と離れて暮らした過去から素直に八重と向き合うことができない。歳をとるごとに記憶をなくしていく八重。だが、息子・洪作の対し、忘れることないある想いがあった……

――富貴さんの手がけた最新作が映画『わが母の記』ですよね。どういった経緯でこのお話を受けられたのですか。

富貴「今回の場合はこれまでに松竹の映画作品を携わらせてもらっていた経緯で、音楽プロデューサーの方から映画『わが母の記』の台本が送られてきて。それで、1度台本を読んでみて、デモ音源を出してもらいたいという依頼を受けたんです」

――では、台本だけでイメージを膨らませて作曲するという流れだったんですね。特に監督からの指示はなかったのですか?

富貴「そうですね。台本をひたすら読んで、どういう音楽が合うんだろうと考えました。通常、デモ音源を出す前に監督から指示をもらうことはないんですが、今回は原田眞人監督から"バッハのバイオリン協奏曲イ短調の第二楽章が頭のなかにある"というヒントをもらい、私自身、台本を読んだときにピッタリだなと思ったので、監督のイメージと自分がイメージした音楽とが合致していたので作りやすかったですね」

――台本をもらってからデモ音源を提出するまでの期間はどの程度なのでしょうか。

富貴「私の場合、あまり提出期限を言われないのですが、台本を読んで理解するのに2~3日、曲を書くのに3日と大抵1週間以内に出しますね」

――デモ音源として制作する楽曲は本番のものに比べてショートなものですか。

富貴「いえ、メインテーマを約4分ほどのフル音源で作ります。制作には、DAWソフト「Logic Pro」を用いており、デモ音源を提出する段階でオーケストラが鳴るようにしています」

――そこから実際の制作が始まるわけですね。作品内で使う楽曲数は最初に決まっているものなのですか?

富貴「曲数は決まっていません。映画の場合は監督の好みや作品のテイストによって曲数が変わってきます。本作では当初9曲程度というお話だったのですが、結果的には当初よりは曲数が増えましたね。ドラマの場合は平均して50曲ほど書きます」

――原田眞人監督からは"バッハのバイオリン協奏曲イ短調の第二楽章"以外に、どのような指示がありましたか。

富貴「映画の冒頭ではクラシック音楽で、後半につれてグラデーションをつけて、最後には富貴サウンドにもっていってほしいと言われました。そのグラデーション部分が腕の見せ所だよと言われたのを覚えています(笑)。ですので、4曲でグラデーションをつけるように作りました。最初に提出したデモ音源はバッハのイメージからかなり離れていたので、その間を埋めるようにグラデーションをかけていきました」

――これまでCM、ドラマ、映画と様々なジャンルの作品を作ってきた富貴さんの考える"映画音楽"とはどのようなものですか。

富貴「少し前までは、音楽の質を高めて、どれだけ良い楽曲を書こうかとか、どれだけ聴衆が気に入ってくれるかということを考えていたのですが、最近では、考えが変わってきて、質の良さを求めるのは当然なのですが、音楽だけで確立していなくてもいいのではと思うようになりました。映画のサウンドトトラックですから、映像を活かせるように、音が完璧に埋まっていなくても、必要最低限大切な音だけを残して音楽の中に隙間を作った方が演技に合わせられるかなという点を気にして作るようになりましたね」

――映像や声など"音楽"だけではない、様々な"音"のなかで活きる音楽を作ろうと思ったわけですね。

富貴「やっぱり自然な音楽であることですね。そして、俳優の心情に合わせるとうまく音をつけられるんだなと最近感じるようになりました。映画音楽は、演技や作品内容を伝える手助けをするための音楽なんですね。本当の意味での映画音楽とはそういったものなんだろうなと思います」

――富貴さんが映画音楽の作曲家を目指したきっかけは映画『タイタニック』ということでしたが、将来的にはハリウッド作品にも携わりたいという想いはありますか。

富貴「ハリウッド作品はやってみたいですね。でも日本映画も凄く好きなので、より多くの日本映画に携わりたいなと思いますし、ドラマやCMの音楽もやっていきたいです。今はとにかくなんでもやりたいですね。あとまだアニメやゲームの音楽もやったことがないので、やってみたいです」

映画『わが母の記』は2012年4月28日より全国ロードショー。

撮影:石井健

(C)2012「わが母の記」製作委員会