産業技術総合研究所(産総研)は2月27日、フランス、イタリア、オーストラリア、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国、欧州委員会の計量標準研究機関との国際研究協力(アボガドロ国際プロジェクト)により、「アボガドロ定数」の高精度化に成功したと発表した。これを受け、2011年10月に開催されたメートル条約の最高議決機関である国際度量衡総会において、国際キログラム原器を将来は廃止し、基礎物理定数によるキログラムの再定義を実施する方向性を示す決議が採択された。

成果は、産総研計測標準研究部門流体標準研究室の倉本直樹主任研究員らによるもので、詳細な内容は米科学論文誌「Physical Review Letters」の2011年第106巻にて掲載済みだ。

国際単位系(SI)は、長さ、質量、時間、電流、温度、光度、物質量に対応する7つの基本単位(m、kg、s、A、K、cd、mol)と、その組立単位(角度の単位であるラジアン(rd)、圧力の単位であるパスカル(Pa)など)からなる世界共通の単位系である。その始まりは、近代度量衡の礎となる1875年の「メートル条約」(画像1)の成立にまで遡ることが可能だ。

画像1。メートル条約の組織

1889年の記念すべき第1回国際度量衡総会では、白金イリジウム合金製のメートル原器とキログラム原器がそれぞれ長さと質量の単位として承認されている。その後は、整備拡充と共に定義改定も進められ、長さの単位メートルにおいては、これまでに2度の大きな改定が行われた。1960年のクリプトンランプの波長への定義移行と国際メートル原器の廃止、並びに1983年の光が真空中を伝わる行程の長さを基準とする新定義への移行の2度である。

一方、キログラムの定義においては、その誕生から120年以上経過した現在でも、世界に1つしかない国際キログラム原器(International Prototype of the Kilogram)が未だにその基準として用いられている状況だ。

国際キログラム原器はパリ郊外にある国際度量衡局(BIPM)に保管され、世界の質量標準は国際キログラム原器との定期的な「校正」(計量器が示す値と標準によって実現される値の間の関係を確定する作業のことで、各国のキログラム原器は定期的に国際度量衡局に運ばれ、国際キログラム原器との質量比較測定によりその質量と不確かさが決定される)によって値付けされた各国のキログラム原器との比較の連鎖によって維持・管理されている。

しかし、表面汚染や損耗などの影響により、国際キログラム原器の質量の長期安定性は50μg程度であると推定されている。これは1kgに対して相対的に5×10-8のわずかな変動幅に相当するが、近年の計測技術の進展においては無視しえない大きさとなりつつあり、キログラムの定義もメートルのようにその基準を基礎物理定数へと移行させることが国際度量衡委員会(CIPM)などで検討されてきた。

キログラムの基礎物理定数を用いた再定義案としては、原子数から質量を決めるアボガドロ定数に基づくもののほかにも、相対論と光電効果から光子のエネルギーと質量を関連づける「プランク定数」に基づくものが検討されている。このため、この2つの定数を国際キログラム原器の長期安定性(5×10-8)を上回る精度で決定することがキログラムの再定義のために切望されていた。

なおアボガドロ定数とは、物質1モル(mol)に含まれる構成要素(原子や分子)の数のことであり、物理学や化学の分野で用いられる重要な基礎物理定数の1つだ。科学技術データ委員会によるアボガドロ定数の推奨値はNA=6.02214129(27)×1023mol-1だ。2010年現在、括弧内の数値は最後の桁の標準不確かさ(標準偏差で表した測定結果の不確かさ)を表す。

またモルとは、「物質量」(amount of substance)を表す単位であり、現行の定義では、「0.012kgの12C(質量数12の炭素原子)の中に存在する原子の数に等しい数の要素粒子を含む系の物質量である」と定められている。質量数とは、原子を構成する中性子と陽子の数の和である。

さらに、プランク定数とは、マックス・プランク(1858-1947)が黒体からの熱放射を研究する過程で導入した定数のことだ。量子論における最も重要な定数の1つである。科学技術データ委員会によるプランク定数の最も新しい推奨値はh=6.62606957(29)×10-34Jsである。括弧内の数値は最後の桁の標準不確かさ(標準偏差で表した測定結果の不確かさ)を表す。

日常生活では、基礎物理定数によるキログラム再定義の影響を直接感ずることはほとんどないと考えられる。ただし、レーザーによるメートルの再定義が、ナノメートルオーダーでの正確な長さ測定を可能とし、原子レベルで物質を制御する「ナノテクノロジー」の土台を築いた例もあり、科学や技術の発展のためには無視できないところだ。

基礎物理定数(アボガドロ定数、プランク定数、光速度など、物理法則を支配する普遍的な定数のことで、ほかの多くの物理定数がこれらの定数に依存しているので波及高も高いことから、科学技術データ委員会によって世界中で得られた実験データが評価され、4年に一度、約200の基礎物理定数が改訂され推奨値として公表されている)による正確な質量標準の実現も、原子レベルでの正確な質量測定の基盤技術などを通して、「ナノテクノロジー」を含む先端科学や産業技術に大きなブレークスルーやイノベーションをもたらす可能性を秘めているのである。

産総研がアボガドロ定数の精密測定に着手したのは約40年前のことで、シリコンを用いているのが特徴だ。シリコンは高純度、無欠陥の大型単結晶を比較的容易に得られること、これまでの半導体研究などによってその物理的性質がよく知られているといった利点があっての選択だ。

現行のモルは、質量数12の炭素原子(12C)によって定義されているが、12Cとシリコン原子との質量比は高い精度で測定されており、シリコン結晶を用いても1モルの物質に含まれる原子や分子などの数であるアボガドロ定数を高精度に決定することは可能だ。

当初は、シリコン結晶の格子定数を測る実験からスタート。1987年、シリコン結晶を極めて真球に近い球体に研磨する技術が開発され、シリコン結晶の密度を高い精度で測ることが可能となった。

産総研では、数10nmの「真球度」(球体形状の完全な球体からのずれを示す指標で、球体の真球度が大きい場合、平均直径から精度良く体積を求めることができない)で超精密研磨された質量1kgのシリコン球体の形状を測定するレーザー干渉計(レーザー光を使って長さや変位を測る装置で、光の1波長をさらに分割することにより、1nmよりも短い長さを測定することも可能)を開発。1994年には世界で最初に真空中でシリコン球体の密度を測ることに成功し、空気の屈折率の影響を受けることなく密度を測定することで固体密度の世界最高測定精度を達成した。

また、シリコンには質量数の異なる3種類の安定同位体28Si、29Si、30Siが存在するため、そのモル質量(平均原子量)を決めるためには同位体存在比を精密に測定する必要がある。

2003年には欧州委員会の標準物質計測研究所(IRMM)と協力してシリコンのモル質量を測定し、アボガドロ定数を2×10-7という当時最小の相対「不確かさ」で測定することに成功した。しかし、その後はモル質量の測定精度が制約となり、これ以上の精度向上は望めなかった。

なお不確かさとは、1993年に国際標準化機構(ISO)から出版された「計測における不確かさの表現のガイド(Guide to the Expression of Uncertainty in Measurement)」によって定義された測定値の信頼性を表す指標。従来は計測の信頼性を表すのに「誤差」が用いられてきたが、その大きさを見積もる方法が統一されていなかった。このガイドによって「不確かさ」を見積もる方法が国際的に統一されたというわけだ。「標準不確かさ」(standard uncertainty)は標準偏差で表した測定結果の「不確かさ」を表す。

これ以上の精度向上を望めないという問題を解決するため、7つの計量標準研究機関と協力して、28Siだけを濃縮したシリコン単結晶からアボガドロ定数を決めるためのアボガドロ国際プロジェクトを2004年から開始した。アボガドロ国際プロジェクトには、産総研のほかに、BIPM、イタリア計量研究所(INRIM)、IRMM、オーストラリア計量研究所(NMIA)、英国物理研究所(NPL)、米国標準技術研究所(NIST)、ドイツ物理工学研究所(PTB)が参加し、それぞれの機関が得意とする分野を担当する国際分業によりプロジェクトが遂行されたのである。

アボガドロ国際プロジェクトでは、まず2年をかけて原料となる四フッ化ケイ素(28SiF4)をロシアの遠心分離技術で99.99%まで濃縮し、2007年に5kgの28Si単結晶が完成した。この結晶から直径94mm、真球度7nm、質量1kgの球体が2個研磨されたという具合だ。

この球体の密度を決定するために、産総研では新たに光の波長の精密制御によりシリコン球体の形状を1nmの精度で測定するレーザー干渉計を開発した(画像2)。この干渉計は、正確な球体形状測定のためにシリコン球体温度を0.001℃より良い精度で制御・計測するシステムを備えた真空チャンバに格納される(画像3)。

画像2。産総研で開発した光の波長の精密制御によりシリコン球体の形状をナノメートルの精度で計測するレーザー干渉計

画像3。シリコン球体形状を計測するレーザー干渉計を格納する真空チャンバ。正確な形状測定のために、0.001℃より良い精度で球体温度を制御・計測するシステムを備える

さらに、正確な体積測定のために、「X線反射率法」と「分光エリプソメトリー」を組み合わせた表面分析法を開発し、球体表面上の酸化膜の厚さを精密測定した(画像4・5)。

X線反射率法とは、物質の表面を覆う薄膜と、薄膜と物質そのものの表面の2面で反射するX線の干渉を利用した薄膜の厚みを測定する方法だ。X線を物質の表面に入射させた場合、一部は表面で反射するが、残りは物質の深部に侵入し、物質の表面に電子密度の異なる薄膜が存在する場合、薄膜と物質との界面でも反射する。その2つの反射X線の干渉により、反射強度は入射角度により周期的に変化するので、この変化の解析により薄膜の厚さを測定できるという仕組みだ。

分光エリプソメトリーは、試料に光を照射し、反射の際の光の偏光状態の変化より試料表面上の薄膜の厚さを測定する方法。照射光の波長を変化させることで、正確な膜厚測定が可能だ。

28Si同位体濃縮球体表面分析に用いた分光エリプソメーター(画像4・左)と、X線反射率法による膜厚測定装置(画像5・右)。産総研での薄膜標準物質の供給に用いているX線反射率法による膜厚測定装置で値付けした標準物質で分光エリプソメーターを校正することで、国家計量標準にトレーサブルな球体表面分析が可能

シリコン球体の密度値は、表面酸化膜の影響を補正した体積と質量の測定結果から決定された。また、結晶評価として、高エネルギー加速器研究機構の施設を利用し、「格子定数」の結晶中での均一性の確認を実施。格子定数とは、結晶の最小単位である単位胞の寸法を表す数値のことである。シリコン結晶の格子定数は温度20℃、圧力0Paにおいて約543pm(ピコメートル)だ。

なお、産総研のレーザー干渉計による産総研の方法に対し、アボガドロ国際プロジェクトでは「X線結晶密度法」によりアボガドロ定数を決定した。X線結晶密度法とは、アボガドロ定数をシリコン結晶の密度ρ格子定数a、モル質量Mの測定から決定する方法だ。シリコン結晶の単位胞には8個の原子が存在するため、アボガドロ定数はNA=8M/(ρa3)として求められる。

最終的に産総研を含むプロジェクト参加研究機関による密度、格子定数およびモル質量の測定値から、アボガドロ定数をこれまでよりも一桁良い精度である3.0×10-8で決定した。国際アボガドロプロジェクトは、この結果を米国の科学論文誌に発表。決定したアボガドロ定数は、2011年6月に公開された科学技術データ委員会(CODATA)による基礎物理定数調整のためのデータとして採用された。

また、2007年にNISTは、「ジョセフソン効果」と「量子ホール効果」から決められる電圧と電気抵抗の測定から、プランク定数を「ワットバランス法」により直接実験的に測定し、3.6×10-8の精度で決定している。

なおジョセフソン効果とは、厚さ2nm程度の絶縁膜を挟んだ2つの超伝導体の間(トンネル接合)を超伝導電子対のトンネル効果によってトンネル電流が流れる現象のことをいう。特に、交流ジョセフソン効果は電圧の単位であるボルトを設定するのに広く用いられている。トンネル接合された素子(ジョセフソン素子)にマイクロ波を照射すると電流-電圧特性に不連続なステップが誘起されるので、この時にn番目のステップの電圧はジョセフソン電圧と呼ばれUJ=nν/(2e/h)で表される形だ。νはマイクロ波の周波数、eは電荷素量、hはプランク定数を表す。特にKJ=2e/hは「ジョセフソン定数」と呼ばれる。

そして量子ホール効果だが、こちらは強磁場下の二次元電子系において、電気抵抗が(h/e2)/i(iは整数)となる現象のことをいう。この時の「量子化ホール抵抗」はRH=(h/e2)/iで表され、特にRK=h/e2は「フォン・クリッツィング定数」と呼ばれる。この効果は電気抵抗の標準を設定するためにも用いられているという具合だ。

さらにワットバランス法についてだが、プランク定数を測定する方法の1つで、ジョセフソン効果と量子ホール効果によって実現される電圧と抵抗を基準にしている。1975年にNPLで開発された。現在ではNIST、BIPM、LNE、NRCなどで開発が進んでいるところだ。

今回のアボガドロ定数の高精度化により、アボガドロ定数とプランク定数の双方の測定精度が5×10-8を上回ったことになる。これを受け、2011年10月に開催されたメートル条約の最高議決機関である国際度量衡総会において、国際キログラム原器を将来は廃止し、基礎物理定数によるキログラムの再定義を実施する方向性を示す決議が採択された。これにより、歴史上初めて人工物ではなくアボガドロ定数やプランク定数といった普遍的な物理定数による質量標準の確立が現実のものとなりつつある。

国際度量衡総会でのキログラムの再定義の議論においては、シリコン結晶から得られたアボガドロ定数と、ジョセフソン効果や量子ホール効果に基づく電気標準から得られたプランク定数を介して導かれたアボガドロ定数とが比較された(画像6)。

画像6。異なる測定原理によって決定されたアボガドロ定数の比較。各データ上のバーは実験データの標準不確かさを表す。NIST-07:NISTのワットバランス法によるプランク定数の測定(2007年)、NPL-10:NPLのワットバランス法によるプランク定数の測定(2010年)、METAS-11:スイス連邦計量研究所(METAS)のワットバランス法による測定(2011年)、IAC-11:アボガドロ国際プロジェクトによる測定(2011年)

アボガドロ国際プロジェクトの測定値は、誤差の範囲でNPLおよびスイス連邦計量研究所(METAS)によって得られたデータとは一致するが、ワットバランス法によって決定された最も精度の良いデータであるNISTのデータとは一致せず、7桁目で異なる。この不一致が2011年10月の国際度量衡総会でキログラム再定義が実施されなかった最大の原因であり、今後それぞれの方法を高精度化し、この差の原因を究明するための複数の国際研究協力が実施される予定だ。