8月に66歳になったヴィム・ヴェンダース監督。『パリ、テキサス』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などで知られる

東京・六本木ヒルズで開催中の第24回東京国際映画祭。25日、特別招待作品『 Pina/ ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』の上映前に監督を務めたヴィム・ヴェンダースが舞台挨拶を行った。

ヴェンダースはまず「これから皆さんを、このお天気の東京から連れ出して、ピナ・バウシュの本拠地があるドイツの小さな街にお連れします。でも安心してください。映画が終わる頃には安全に東京にお帰ししますよ」とユニークな挨拶で場内を和ませた。

本作はドイツの舞踏家ピナ・バウシュと、彼女が率いるヴッパタール舞踏団を映像に収めたアート作品。なぜ映画を作ろうと思ったのか、そのきっかけについて聞かれると、「なぜ、と考えたこともありません。僕が心から撮りたい、と思ったから。1985年にピナの舞踏を見て、こんなに美しい舞台は見たことがない、と感動しました。翌日彼女に会うことができたのですが、僕も若くて興奮していたのでしょうね。『あなたの映画を一緒に作らせてください!』といきなりお願いしたのです」。

数年後、バウシュは映画作りを快諾するが、反対にヴェンダースが長い悩みの期間に突入してしまう。「彼女の”美しさが蔓延していくような”舞踏をどう映画にすればいいのかわからなかったのです。僕も映画監督ですから映像作りのノウハウも、演出力もある。でもそれをもってしても表現方法が見つかりませんでした」。

解決策が潜んでいるのではと何本ものダンス映画を観たが徒労に終わり、パウシュと会うたびに「準備できた?」と訊かれ、「まだだよ」と答えることが約束事のようになっていった。やがてそれはパウシュが眉を上げて見せ、ヴェンダースが肩をすくめるというジェスチャーに簡略化され、手法を模索しながらなんと20年の歳月が過ぎた。

そして2007年。ヴェンダースはU2のライブフィルム『U2 3D』を観てついに天啓を得る。「観ている最中からこれが答えだ! 秘密兵器だ! と思いました。舞踏を映像化するにはその周りの空間も映像化しなくてはいけない。エンドクレジットの途中でしたが、いてもたってもいられずピナに電話をかけて『やり方がわかったよ』と伝えたんです」。

準備は順調に進められた。ヴェンダースとバウシュは何度も話し合い、最高のものを作り上げるために2人は動き、周囲もそれが実現すると信じて疑わなかった。しかし撮影開始まであと2カ月となった2009年6月30日。突如、ピナ・バウシュがこの世を去ってしまう。「ピナは元気だったんです。だから彼女の死など誰も予想できなかったし、心の準備もできていませんでした。団員、彼女の友人、家族、フィルムクルーも大きなショックを受け、私も映画制作を断念しました。これは彼女の映画だったから」。

だが、映画は完成した。「ダンサーのおかげです。私は映画作りを中断しましたが、彼らは踊り続けた。ピナが亡くなったその晩でさえ、泣きながら踊り続けていたのです。そんな彼らに触発され、撮影を開始しました。ピナは亡くなる前に映画に収録すべき作品を4つ選んでくれていた。彼女と一緒に作ることはできないけど、彼女のために作ることはできると考えました」。

日本が好きだというヴェンダースはこの来日中に福島を訪問する予定だという

「テレビカメラに手を振ってください」と言われ望遠鏡で探すふり

映画にはその制作過程にも物語がある。 20年に及ぶ暗中模索、かけがえのないパートナーの死を乗り越えて完成した『 Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』。本作の公開は2012年2月25日(土)。ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9ほかにて全国順次3Dロードショーを予定している。

(C)NEUE ROAD MOVIES GmbH photograph by Donata Wenders

(C)2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH,EUROWIDE FILM PRODUCTION