米国の10PFlops級スーパーコンピュータ(スパコン)の1番乗りと見られていた「Blue Watersプロジェクト」からIBMが撤退するという衝撃の発表が8月6日(米国時間)なされた。

日本の「京」スパコンが2011年6月に8.162PFlopsを達成してTop500の1位になったのは記憶に新しい。米国でもいくつかの10~20PFlops級のスパコンのプロジェクトが走っているが、その中で、「京」と完成予定が近くトップを争うと考えられていたのが、イリノイ大学の構内にあるNational Center for Computing Applications(NCSA)に設置される「Blue Waters」である。Blue Watersスパコンのピーク性能の目標値は公表されていないが、一般には「京」と同程度の10PFlopsと見られていた。

NCSAのNational Petascale Computing Facilityという計算機を入れる建物は1年以上前に完成しており、2010年6月には近隣の住民に対する見学会を開催している。この様子を紹介した見学会のビデオには、一部の機器が既に設置されている様子が映し出されており、この時点では「京」より早く完成すると見られていた。

動画
見学会の様子(wmv形式 8.6MB 2分6秒)

NCSAのBlue Waters用の建屋と見学会に集まった人の列(NCSAの見学会ビデオより)

NCSAの見学会の様子。左側に特徴的な形状のCPU筐体らしきものが見える(NCSAの見学会ビデオより)

ところが、8月6日付でIBMがBlue WatersプロジェクトのスパコンをNCSAに納入するという契約を打ち切ったという発表がされた。打ち切りに伴い、NCSAは納入済みの機器をIBMに返却し、IBMは受け取ったお金をNCSAに返すという。

発表文では、2007年にイリノイ大学とNCSAはIBMを開発者として選択したが、結果として開発されたテクノロジは契約当時に予想していたものよりもより複雑でコストも技術サポート費用も見込みより大幅に増えてしまった。NCSAとIBMは色々な方策を検討したが、協力を続けていく計画に合意できなかったと述べられている。

このBlue Watersに使用される「POWER7 IH」と呼ぶサーバは8コアのPOWER7チップを4個搭載するMCM(Multi-Chip-Module)を8個搭載し、ノード間の接続を行う8個のインタコネクトMCMと専用の128枚のDRAM DIMMメモリを搭載している。このサーバのマザーボード基板はたたみ一畳程度の大きさがあり、通常の19インチラックの2倍くらいの大きなラックを必要とするが、それでも2Uの厚みに4GHz(製品は3.84GHz)クロックのコアを32個収容するという高密度である。また、インタコネクトチップを搭載するMCMは56個の光電気変換チップを搭載し、これらのチップから直接、光ファイバを出すという先進的な構造となっている。さらに、CPUとインタコネクトMCM、そしてメモリDIMMも水冷されており、室内の空調には熱負荷が掛らない構造となっている。

2009のSCで展示されたPOWER7 IH計算ノード

2010年のSCで展示されたPOWER7 IHの筐体。オレンジ色のケーブルはノード間を接続する光ファイバケーブル

このように、技術的には素晴らしい構造であるが、現在の汎用サーバのレベルを超えるハイエンド技術でサーバを作っているので、非常に高価についていることは想像に難くない。

2007年のプロジェクト開始時点でのNSF(National Science Foundation:米国国立科学財団)のBlue Watersプロジェクトの予算は2億800万ドルと言われており、建屋も新設しているので、IBMのスパコン本体に払うお金は1億5000万ドルを超えることはないと思われる。

一方、IBMは7月にこのBlue Watersの計算筐体と同じと思われるものをPOWER7 775という名称で正式発表し、8月26日から出荷することになっている。ここで発表された正価ベースで計算すると、10PFlopsのBlue Watersスパコンの値段は15億ドル程度となる。このような大規模なシステムが正価で売られることは殆どないが、それでも原価割れで売るのは企業として問題である。IBMの原価がどの程度であるかは分からないが、非常に複雑なシステムであることから、これは筆者の勝手な見積もりであるが、正価の50%を超えているということも考えられる。仮に原価率50%とすると、原価が7億5000万ドルに対して受け取るお金が1億5000万ドルでは6億ドルが持ち出しで、企業としてはやっていられないという経営判断だと思われる。しかし、IBMが評判を落としたことは間違いなく、今後のスパコン商売にも少なからず影響が出てくると思われ、思い切った決断である。

「京」の開発の過程でも、概要設計を終わって詳細設計の契約を行う時点でNEC(と共同開発を行っていた日立製作所)が撤退するという事件があったが、富士通単独で予定通りの開発を行ったので事なきを得た。しかし、Blue Watersの場合はIBMが単独のサプライヤであり、本来、完成していても良いという最後の時期になって供給を止めるというのは異常である。色々と検証や交渉を続けていてこの時点になって契約打ち切りとなってしまったのであろうが、もっと早い時点で大幅なコストオーバランが分かってもよさそうなものである。

これで、当初の計画のPOWER7ベースのBlue Watersという話は無くなったのであるが、この声明の中でNCSAは実アプリで1PFlopsの性能(Top500のLINPACKではピークの80~93%という性能が得られているが、実アプリでは10~15%という程度が一般的)を達成するスパコンの導入という当初の目標は達成可能と述べており、別のベンダからのシステムを新Blue Watersとして選択するものと考えられる。