東日本大震災が発生したのに伴い、現在、BCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)があらためて注目を集めている。社員の安否に手間取ったり、地震発生後の企業運営の方針の決定に時間がかかったり、企業はさまざまな経験をしただろう。今回、SAS Institute Japanの代表取締役社長の吉田仁志氏に、企業のトップとして、東日本大震災にどう向き合ってきたのか話を聞いた。

SAS Institute Japan 代表取締役社長 吉田仁志氏

震災後1週間続いた1日2回の安否確認

同氏は3月11日に東日本大震災が発生した時、六本木ヒルズの11階にあるオフィスにいた。社内にいた社員に対して初めに出した指示は「見えるところに集まること」だった。その後、ビルの外に出るか、中にとどまるか迷ったが、ビル運営会社の指示に従い待機しているうちに余震が収まったとのだという。「アメリカの9.11では、ビル側の『外に出るな』という指示に従って多くの人が死んだので、外に出たほうが安全だと思った」と同氏。

次に、社外にいた社員の安否確認が行われた。電話が通じなかったので、主にWebメールが使われたそうだ。すぐに、米国本社から状態を確認する電話が入り、「地震時でも海外からの電話が通じることを知った」と同氏はいう。地震発生の当日の夜中にはすべての社員の安否を確認することができた。

交通の混乱により、帰宅できない社員が社内に残っていたため、同氏は最後の1人が帰宅するのを見送ってからやっと帰途に着いたそうだ。

同社では、地震発生から2週間にわたり、「オフィス外勤務」という勤務形態を実施した。「オフィス外勤務では、在宅勤務と違って勤務場所を自宅に限定したものではなく、客先など会社以外の場所で働くことを認めた。それまで管理部門の社員はデスクトップPCを使っていたので、急遽ノートPCに変更した」

加えて、同氏は震災が発生してから1週間にわたり、1日2回社員の安否確認を行った。日がたつと、「1日2回も安否確認を受けるのは面倒」「上司から安否確認のための電話がかかってくると驚く」といった意見も出たそうだが、それに対し、同氏は「連絡がくるのが煩わしいなら、自分から報告をすればよい」と答え、安否確認は継続したそうだ。

米国本社から送られてきた水は3万リットル以上

震災が発生して以来、米国本社とは常に密なコミュニケーションがとられ、海の向こうからさまざまな救いの手が差し伸べられた。

例えば、米国本社では、電子メールが使えなくなった日本の社員のためにWebサイトとメーリングリストを即座に作成し、日本からの脱出に備えて、400名は搭乗可能なチャーター機が用意された。このチャーター機、実際に使われることはなかったのだが、予定なら台湾か韓国に飛ぶはずだったとのこと。

原子力発電所の事故によって水道水から放射線が検出されて、関東で取水制限が行われたことを受け、米国から3万3,600リットルの水が船便で送られてきた。これらの水は現在、倉庫で保管されている。また、日本でもミネラルウォーターを購入し、乳幼児のいる家庭に配布したそうだ。

また、「被災者援助プログラム」も実施された。このプログラムは、被災した社員、その家族が避難する際に必要な費用をサポートするというもの。液状化現象が起こった浦安に住んでいた社員がホテルに宿泊するためにこのプログラムを利用したりと、4分の1の社員が利用したという。「避難する際にネックとなるのが仕事とお金。会社としては、不安要素を取り除く必要があると思った」と吉田氏。

リーダーは人の意見に惑わされず決めるべき

未曾有の大地震が発生したなか、どうして短期間でこれほど手厚い社員のサポートができたのだろうか。この質問に対し、吉田氏からは「カントリーマネージャーに全権が任されていたから」という答えが返ってきた。新たなことをやろうとするたびに、米国本社にお伺いを立てていては、タイミングを逸してしまうこともある。

こうした方針にこたえ、同氏は米国本社に対し「俺は逃げない」と宣言し、「米国人だったらそんなことはしない。あなたは『Great Leader』だ」と言われたそうだ。全権を任されたとしても、ちゃんと行使できる人でなければ意味がない。

加えて、「リーダーとして、自分で考えて決めること、信じてやりぬくことが大事」と、教えてくれた。社員から1日2回の安否確認に対するクレームを受けた時も、同氏は社員の言い分には耳を貸したけれど、それに従ったわけではない。震災発生後、同社は全社ミーティングを開催し、大勢の前で意見を言えない人のためにメールで匿名による意見も受け付けて、社員から幅広く意見を募った。

会社のトップが、社員を守るべく、ここまで実際に行動を起こしてくれたら、社員も心を動かさないはずはないだろう。

米SAS Instituteは、米の経済誌『Fortune』が行った「2010 FORTUNE 100 Best Companies to Work」でトップを獲得しており、いわゆる「世界で最も働き甲斐がある会社」というわけだ。同社は顧客満足度以上に、社員満足度の向上に力を入れている。その考え方は当然、SAS Institute Japanにも流れており、チャーター機や水など、さまざまな形で具現化された。

現在は放射線対策を計画中

東日本大震災が発生して3ヵ月以上たった今、企業による自社の社員支援という点では沈静化してきた感がある。しかし、吉田氏は「まだ終わっていない」という。同氏は、社内の家族に向けて、放射線について正しく知るためのセミナーを企画している。

「国は子どもの被爆線量の基準を年間20ミリシーベルト以下と引き上げたが、決して安全な数値とは言えない。また、被爆には外部被曝と内部被曝があり、たとえ外部被爆の数値が当初の基準である1ミリシーベルト未満だったとしても内部被爆を含めるとオーバーしてしまう可能性がある。情報を知り理解することが大切」

さらに、同氏は「放射線から100%逃げることはできないけれど、やり方次第で、大部分は避けることが可能」と続けた。

同社は独自に異なる種類の放射線線量計を購入し、定期的に六本木周りの放射線量を計測するとともに、社員にも貸し出している。「社員、社員の後ろに控えるその家族を守る」という同氏の使命はまだ終わっていないというわけだ。

原子力発電の問題が解決していない日本に済む私たちはこれからも難しい場面に出くわすだろう。そんな時、同氏の言葉を思い出し、よりよい選択をしたいものだ。