まつもとゆきひろ氏。いただいた名刺の肩書きは「ネットワーク応用通信研究所 フェロー」だが、ほかにもRubyアソシエーション理事長、楽天技術研究所フェローなども兼任する

いまや開発者の間だけではなく、"世界で活躍する日本人"として一般メディアでも紹介される機会が多い、ご存じ"Matz"ことRuby開発者のまつもとゆきひろ氏。家族と暮らす松江を拠点にしながらも、Rubyカンファレンスやセミナー、産学連携プロジェクトへの参加など、日本と世界を駆けめぐる忙しい毎日を送っている。今回、その多忙なスケジュールの合間を縫ってまつもと氏に直接お話を伺う機会を得た。最近の活動、OSSプロジェクト、Ruby生みの親としての思いなど、開発者・まつもとゆきひろの一面をお伝えできればと思う。

なお、今回のインタビューはヒューマンアカデミーの協力で実現した。同社はまつもと氏、およびまつもと氏がフェローを務めるネットワーク通信研究所(NaCl)の協力の下、通信講座の「入門Ruby講座」を10月から開講している。同講座ではNaCl作成のテキストをベースにDVDで教材が提供されており、まつもと氏のコメントも同DVDに収録されている。

--相変わらずお忙しい毎日のようで……。

今日(11/26)は東京で会議と取材が2件です。この取材のあと、すぐ楽天に行かないといけなくて(まつもと氏は楽天技術研究所のフェローを務めている)。昨日は福岡にいました。今月は米国でRuby Conferenceがあったので、いつもより慌ただしかったかも。来週も札幌での札幌Ruby会議や山梨での講演と出張が入ってます。

--日本だけじゃなく、海外にもよく出張されていますよね。それだけ忙しくても、変わらず松江を拠点にしていらっしゃいますが、不便を感じることはないですか。

出張はたしかに多いですが、東京に用事があるのは週に1、2日くらいですし、とくに不便なことはありません。何より、家族が松江をベースにした生活をしているので、自分だけ家族と離れて暮らすのはイヤなので。海外出張は年に5回くらいかな。3月に行われたインド・バンガロールの「RubyConf India 2010」はさすがに行けなかったのでSkypeで基調講演を行いました。

--Ruby本体の開発以外に、現在どんなことに取り組まれているのでしょうか。

大きなものでは2つあります。ひとつは東京大学の平木敬先生(東京大学 大学院情報理工学系研究科 教授)の研究室で行っているHPCをRubyで動かすプロジェクトで、3年間の予定で研究が行われています。まだ大きな成果といえるほどのものは挙げられていないんですが、なかなか面白いデータが集まっています。

--HPCとRubyというのは意外な感じの組み合わせのような気もしますが。

HPCを使う研究者の方々は、たとえば天文学のシミュレーションだったり、ゲノム解析を行ったりするわけです。そういう方はプログラミングが専門というわけではないので、CやFortranよりももっと手軽な言語で数値計算を行いたいんですね。Rubyは言語仕様としてはそれらの言語に比べるとたしかに遅いです。ですが一般への普及率や習得の容易さ、生産性の高さを考えると、RubyをHPCで動かしてみるのもアリなのでは…という仮説が出てきてもおかしくない。すべてをRubyで動かすのは現実的ではないにしろ、Rubyの良さを活かせる局面はHPCコンピューティングにも存在すると思います。現在はいろいろなデータを集めているところですが、諸処の条件に左右されるものの、同じ計算をC言語で行った場合の約8割程度のパフォーマンスをRubyでも得られた、という実験結果も出ているようです。

--今後の成果にも十分期待がもてそうですね。もうひとつのプロジェクトとは?

九州で行っている産学連携のプロジェクトです。経済産業省、九州工業大学と地元のソフトウェア企業が参加しています。九州、とくに福岡周辺は組込みコンピュータを扱う企業が多く、そういった技術のノウハウが非常に豊富です。小さなコンピュータを意識したソフトウェアをRubyで組む - 実際にはRubyのサブセットになりますが、今までのRubyとは違った処理系なので新鮮に感じるところが多いです。このプロジェクトでは、これまで培ったノウハウをRubyでさらに高め、地元の産業を振興させたいという目標も掲げられています。

出張のお伴にはLenovo ThinkPad X61とHTC Desireがいつも欠かせないとのこと。ThinkPadに入っているOSはDebian(sid)のみ、多用するアプリはOpenOffice.orgだそう

--最近、Ruby開発の時間はどれくらい取れていますか?

それが悩みのタネです(苦笑)。開発に時間が割けないのは正直つらいですね。Rubyの開発はメーリングリストによる議論を中心に行われているんですが、バグつぶしのコードなんかは基本的に"早い者勝ち"で採用されます。僕は最近、この"早い者勝ち"から脱落することが多くて(笑)。コミット数も少なくなってきましたね……。

--まつもとさんがいらっしゃる影響が大きいんでしょうけど、RubyはOSSプロジェクトにしては日本人コミッターが多い組織ですよね。

日本語の情報量は多いと思います。海外のコミッターにも"日本リスペクト"な傾向はたしかにありますね。そういう意味では英語によるコミュニケーションが主体のOSSプロジェクトよりは日本人にやさしいかもしれません。

--英語でのコミュニケーションといえば、まつもとさんの英語力はかなりのレベルと伺っています。

いや、普通ですね。読むのも話すのも聞くのも書くのも、普通にこなしている感じです。僕、あんまり英語好きじゃないんですが、それでも英語でのコミュニケーションに臆したりすることはないですね。大学時代、2年間休学して、米国人の宣教師と布教活動をしたことがあるんですが、そのときの経験が大きいからかもしれません。

--開発者を含め、日本人があまり英語での情報発信が得意ではない理由はどのあたりにあると思われますか?

英語が話せない、ではなく、英語に対する抵抗感の問題のような気がします。一度コミュニケーションに失敗してしまうと、もうできない、ダメだ、と思いこんでしまって拒否反応を示すというか。僕も「お前の英語は何言ってるかわからない」と言われてしまうこともありますが(笑)、わからないところを説明しようとすることでコミュニケーションが深まることもあります。(日本人は)もう少し、英語への抵抗感を克服して、外に出てみるようにしたほうがいいのかな、とは思います。