理化学研究所(理研)は、磁場を発生するコイルの中に、異なる材料でできた2つの半導体人工原子(量子ドット)を電極間に並べて設置し、一定磁場の下で電圧を変化させると、電子スピンの向きに応じて、人工原子内を電流が流れたり(電子が透過)、流れなかったり(電子が捕獲)するという現象を発見した。

理研基幹研究所河野低温物理研究室の大野圭司専任研究員、台湾交通大学物理学部の林志忠教授、東京大学工学部および科学技術振興機構国際共同研究量子スピン情報プロジェクトの樽茶清悟教授、NTT物性基礎研究所の都倉康弘研究員らによる共同研究の成果。

電子は上向きスピン、下向きスピンと呼ばれる2つの内部状態を持っているが、そのエネルギー差は磁場の強さに比例して大きくなることが知られており、この比例定数をg因子と呼び、固体中の電子スピンのg因子の値は、構成する母体材料の種類で決定される。

III-V族化合物半導体の合金は、その組成を変えることで、合金中の電子スピンのg因子が変化する特徴を持っており、研究グループは、電子1個しか占有できないデバイスとして、InGaAsでできた人工原子1つと、GaAsでできた人工原子1つを考案、「ソース電極-絶縁体-InGaAs人工原子-絶縁体-GaAs人工原子-ドレイン電極」のサンドイッチ構造を、直径約500nmの円柱状に加工した。それぞれの人工原子の厚さは約10nmで、g因子はInGaAsが-0.89、GaAsが-0.33で、円柱の周囲にゲート電極を設置、負電圧を加えることで電子を円柱の中心付近に閉じ込めるようにした。

積層構造の模式図(ドレイン電極から順に各素子を積層し、ソース電極まで蒸着したところで500nmの円柱状に加工した)

同円柱にゲート電極に-1V程度の電圧を加えると、人工原子中の電子の居場所を、直径約30nm、高さ10nmの領域に限定でき、そこに1個の電子だけを閉じ込めることができることが確認された。この半導体人工分子素子を、0.1Kの低温環境下で、最大15テスラの磁場を発生するコイルの中に設置、一定磁場の条件のもと、ソース・ドレイン電極間に数十mVの電圧を加えて、ソース電極から透過した電子が、2つの人工原子の上向きスピン準位や下向きスピン準位を透過して、ドレイン電極まで到達する電流の様子を測定した。

積層構造を円柱状に切り出し、ゲート電極をつけた人工分子素子(上が試料の光学顕微鏡写真(左)と電子顕微鏡写真(右)、中央に見えるのが直径500nmの円柱。実際にはそこから幅200nmの補強梁が2方向(右上と左下方向)に伸びている。図右の左上から右下に伸びる明るい部分はゲート電極。下の画像が人工分子素子の模式図)

2つの人工原子には、それぞれ1つのエネルギー軌道準位があり、ソース・ドレイン電極間に加える電圧を変化させて、各人工原子の軌道準位のエネルギーを相対的に調整することが可能で、磁場の無い状態では、ある特定のソース・ドレイン電圧で、各人工原子の軌道準位のエネルギーが一致するため、電流のピークを1つだけ測定することができる。これはソース電極から絶縁膜を通ってInGaAs人工原子へ透過した電子が、そのスピンの向きに関係なく、次のGaAs人工原子へ透過し、最後はドレイン電極へ到達したことを意味しているという。

磁場がない場合の素子のエネルギー図と電流・電圧特性の模式図(2つの人工原子の軌道準位がちょうどそろうbの時、電子がソース電極からドレイン電極に移動できる。この時、素子の電流・電圧特性に電流のピークが現れる)

一方、磁場を印加した状態でこの測定を行うと、このような電流が流れないことも判明した。そこで、電流の磁場依存性の測定や、数値シミュレーションとの比較を行うことで、現象の解析を実施した。

磁場を加えた場合の素子のエネルギー図と電流・電圧特性の模式図。磁場を印加すると、人工原子の軌道準位は上向きスピン準位(下側)と下向きスピン準位(上側)に分裂する。ソース・ドレイン電圧を変化させて下向きスピン準位をそろえても(a)、上向き準位がそろわないため、下向きスピンの電子しかドレイン電極まで到達できない。一度上向きスピンの電子がInGaAs人工原子内に捕獲されると、その後の電流は流れなくなる。同様に、上向きスピン準位をそろえても(b)、下向き準位がそろわないため、上向きスピンの電子しかドレイン電極まで到達できない。一度下向きスピンの電子がInGaAs人工原子内に捕獲されると、その後の電流は流れなくなる

磁場を加えると、人工原子の各軌道準位が異なる大きさに分裂して、上向きスピン準位、下向きスピン準位を持つ。この時、各人工原子のg因子の値が違うため、ソース・ドレイン電極間に加える電圧を変化させて、例えば下向きスピン準位を一致させても上向きスピン準位は一致しない。同様に上向きスピン準位を一致させても、下向きスピン準位は一致しない。すなわち、電子が持つ上下2つの向きのスピンのうち、前者は下向きスピンの電子だけ、後者は上向きスピンの電子だけしか通り抜けることができない。しかし、ソース電極からは、上下どちらかの向きのスピンを持つ電子がランダムに透過する。下向きスピン準位が一致した状態で、もし下向きスピンの電子が透過すれば、その電子は透過してドレイン電極まで到達するが、一度向きスピンの電子が透過すると、上向きスピン準位の不一致により、その電子は次のGaAs人工原子へ透過することができず、InGaAs人工原子内に捕獲されてしまうこととなる。人工原子内には1個の電子しか占有できないため、次の電子がソース電極から透過しようとしても、電子間のクーロン反発により透過することができなくなる。

したがって、その後の電子の流れは遮断されたままとなる。また、同様に、上向きスピン準位が一致した状態では、ソース電極から下向きスピンの電子が透過すると、その電子はInGaAs人工原子内に捕獲され、電流の流れは遮断される。つまり、透過する電子のスピンの向きに依存して、電子の透過・捕獲が行われるという新しい電流制御現象が現れることが発見された。

なお、理研では、電子1個しか占有できないほどの大きさで、異なるg因子を持った個々の人工原子を、空間的に複数並べた系を作ることができ、同半導体人工分子素子の電子輸送が明らかにされたことは、将来の半導体スピントロニクスや電子スピンを用いた量子情報処理への応用へとつながるとの期待を述べている。