日本中のインターネット回線が日食の映像に占領された22日、東京小金井市の情報通信研究機構(以下、NICT)展示室には大勢の親子連れが詰めかけていた。ここではインターネット中継により、中国の武漢・上海、奄美大島、そして硫黄島からの映像が上映された。天候に恵まれないエリアが多かった中、硫黄島では直前まで豪雨だったものの、日食直前には天候が回復。美しい皆既日食の映像が現地から送られた。この映像、実は超高速インターネット衛星「きずな」を経由して映像を伝送する実験によって届けられた。実験の内容について、NICT 次世代ワイヤレス研究センター推進室長の中島潤一氏に話を伺った。

皆既日食を中継! その映像は宇宙から

この実験は、技術試験衛星の利用実験として総務省が公募、国立天文台がこれに応募し採用されたもの。国立天文台は防衛省や文部科学省との協力の上、硫黄島の使用許可を取り、NICTの車載地球局(アンテナ車)ときずな衛星を使った通信回線を通してハイビジョンの映像を伝送するという内容だ。この実験風景を撮影するため、NHKが同行した。

今回の実験の概要図。各地から皆既日食が中継されたが、きずなを使った実験が行われたのは硫黄島だけ(NICT提供)

現地に置かれた車載地球局。屋根に約2.4mのアンテナを搭載し、車両の後部には発電機、送信機、衛星用モデムなどの機材が衛星用ギッシリ(NICT提供)

送信されたデータは、映像用として10Mbps×4回線(※)、IP電話5回線、この他にTV会議も行われた。普段は民間人のいない離島との間に、これだけの超高速ブロードバンド通信が実現したのだ。衛星を利用したデータ通信実験として、ここまで高速なのはこれが初めてだという。

※記事掲載当初は「16Mbps×5回線」としておりましたが、以下の理由により訂正いたしました。……7月23日夜、現地部隊(国立天文台、NHK、NICT)が無事に帰ってきた。その報告によると、直前の天候など技術的理由から、万一回線が切れぬよう、皆既日食中継本番時には10Mbps×4回線に伝送レートを抑えたとのことだ。実は直前に島が豪雨に見舞われており、日食の始まる少し前まで中継が途絶えていたという。

NICTとJAXA(宇宙航空研究開発機構)では、アンテナ車からきずな、そして小金井(バックアップとして鹿島)の地球局までの通信部分を担当。予備実験は4月に開始し、アンテナ車は5月に硫黄島へ配置。硫黄島は民間人の上陸が禁止されており、交通機関がないため、防衛省協力のもと海上自衛隊の船舶で輸送された。6月には現地との1回目の伝送試験を実施。そして7月15日から今回の中継に備えた通信テストが開始された。

島への上陸を許可されたのは計10名ほどで、今回の実験で通信に割り当てられたのは1人のみ。6月の予備実験では2名だったが、その際に通信は確認できたとして今回は撮影・観測要員に割り振られたという。しかし話はそう簡単ではない。

きずなの通信で利用される電波は上り28GHz/下り18GHzと高い周波数帯で、雨の影響をうけやすい。撮影を行う国立天文台とNHKが伝送された画像をチェックし、現地の通信担当者が最適な通信状態にセッティングしていくが、「それが毎回毎回変わるんですね。テストしたときにベストでも、気象条件が変わるとまた変わる」(中島氏)。刻々と天候が変化する中で常にブロードバンド通信を確保することが最大の技術課題であったという。

一方、データを受信する小金井のNICT本部屋上には、JAXAが直径1.2mほどのアンテナを設置。既存のアンテナもあるが、新たに持ち込んだ可搬型のアンテナの方が実験において良い結果が得られたため、中継ではこちらを使用した。

中継終了後も通信を継続中。パラボラの部分は分解可能な構造になっている

屋上に設けられたきずな衛星のモデムでは、電波/パケットの変換を行い、JGN2plus回線(NICTの超高速実験用ネットワーク)に繋ぐ。送受信中のデータの中身(映像)を見ることはできないが、ここから国立天文台のサーバ(NTTコミュニケーションズ大手町ビルに設置)にデータが送られ、インターネット配信されたのだ。

担当はJAXAの方。きずな衛星経由で硫黄島へPINGを通すと返ってくるのに約2秒かかるという。このタイムラグが、画像伝送において意外とクセモノになるそうだ

接続の状況をモニタリング。画面には衛星へのログインの状況やパケット数などが表示されている

「きずな」とその技術に期待されていること

昨年2月に打ち上げられたきずなは、基本的な機能を確認する実験を経て、昨年10月頃から今回のような公募による利用実験に提供されている。これまでにタイの大学との講義中継(ハイビジョンで板書までよく見える!)や、災害時を想定した通信回線確立の実験などが行われており、現在は運用時間の約2割がこうした実証目的の実験だという。

大きな特徴は、2種類の通信アンテナを搭載していることだ。丸いパラボラの「マルチビームアンテナ」は、日本およびアジア主要都市の計19エリアとのスポットビーム通信が可能。もう一つの「アクティブフェーズドアレイアンテナ(APAA)」は、送受信電波の放射方向を自在に変えることが可能で、地球上の約1/3のエリアを通信可能領域に設定することができる。今回の実験では、硫黄島とはAPAA、小金井および鹿島とはマルチビームアンテナを使って通信が行われた。

きずなの模型。上のパラボラが「マルチビームアンテナ」、下の格子状のものが「APAA」。両側には太陽電池パネルが伸びている

APAAのプロトタイプ。より周波数の高い受信用の方が、アンテナ部のマス目が小さい

きずなは、太平洋の孤島など物理的に光ファイバー回線を引くことが難しい地域でインターネットを利用するためのインフラとして期待されている。今回の実験は「何十Mbpsものデータを送れることを示すのに有効な実験だった」(同)という。また、災害時には現地にアンテナ車を設置することで、既存のファイバー回線が途絶えた地域にも即時にWi-Fiなどのネットワーク環境を提供することが可能だ。

今回は皆既日食の映像の伝送という形でその機能が利用されたが、その先を見据えた実験は継続的に行われている。いずれ実用化される際には、皆既日食中継実験で蓄積された技術が活用されることになるだろう。

今回の実験で伝送された映像は、7月24日・25日にNICT本部で開催される施設一般公開イベントにおいても上映される。またイベントでは、パネル展示や実験などを通じ、NICTで研究されている未来の情報通信ネットワーク技術を見学することが可能だ。