世の中にはあらゆるものに対する愛好家が存在するが、その中で静かに、しかし確実に認知を拡大しているのが「団地愛好家」である。昨年、団地写真集や団地DVD『団地日和』などの相次ぐ発売で一般にも認知の進んだ団地趣味であるが、そんな団地好きによる団地好きのためのイベント「ダンパク」が、千葉県の大型団地・花見川団地の一角で開催された。

公園なども多くゆとりある住環境の花見川団地

商店街の一角に設けられた会場は終始満員

「ダンパク」の開催自体は今回が3回目ということだが、団地の中で行うのは今回が初の試み。団地好きや花見川団地の住民など100名近くが参加し、会場は終始満員だった。

日本の集合住宅の基礎となった公団住宅

イベントでは最初に、公団住宅をテーマとしたWebサイト「公団ウォーカー」を主宰する照井啓太さんが、総論として「公団住宅とは何か」を解説した。

戦後、高度経済成長期を迎えた日本では、都市への人口集中が急速に進み、住宅不足が深刻な問題となっていた。1955年、当時の鳩山一郎内閣は住宅難解消のための「住宅建設10カ年計画」を策定し、これを受けて設立されたのが日本住宅公団(現在の都市再生機構、略称UR)である。公団に与えられた使命は、良質な住宅を低コストで、しかも大量に供給すること。その数、10年で30万戸。「街を美しい国土にふさわしい新しい日本人のふるさとにする」との崇高な目標の下、都市部の郊外で団地の開発が始まった。

しかし当時の日本には、本格的な集合住宅を設計するノウハウがなかったため、団地の建設は試行錯誤の連続だった。先進的な洋風生活を日本に根付かせるべくさまざまな新機軸が採り入れられたが、中でも代表的な取り組みとしてよく知られるのがダイニングキッチンである。人造石研ぎ出し(いわゆる"ジントギ")の流し台が清潔なステンレスに代わり、調理と食事の場が一体となったことで、家事効率が大幅に改善された。ひいては女性の地位向上につながったという見方もある。

試行錯誤の時代だったことが分かる一例。限られた面積の有効活用を狙ったものを思われるが、茶の間に洗面台はやはり無理があった

テーブルとイスで食事をするという生活が一般的ではなかったということを伝えるエピソードとして照井さんが紹介したのが、当時の間取り図では、ダイニングキッチンにテーブルの位置が描かれていたこと。和室のちゃぶ台ではなくキッチンで食事をするというスタイルを定着させるため、当時の公団住宅ではテーブルだけは最初から用意されていたのだという(しかも、退去時に持ち出されないよう鎖で固定されていた)。しかし、イスは入居者が用意する必要があったので、結局テーブルを食事に使わず、居間にちゃぶ台を持ち込んでいた家庭もあったようだ。

初めからテーブルが備え付けられているダイニングキッチン