「読むのが得意であるにもかかわらず、私は字を書く、つまり手書きするのがいたく苦手であった」――東京都出身、2010年生まれの朝野幸一さんは「書き障害」を持つ男子学生。小学校入学時からいくら努力をしても漢字が書けるようにはならず、暗闇の中にいたという朝野さんですが、小学校5年生の時にある転機が訪れます。

書き障害の当事者としての経験を主軸に、執筆時の朝野さんの年齢と近い15歳前後までの年齢層における読み書き障害に焦点を当てて書かれた『14歳、字を書けない私が「書く」喜びを手にするまで』(新潮社)。今回は、同著より朝野さんの14年間の記録の一部をお届けします。

小学四年生で漢字を書くことを諦めた朝野さん(前編)。そんな彼に、突然転機が訪れることに……。

小学五年生の冬、「KIKUTA」プログラムに出会う

  • 【イメージ画像】教室の扉を開ける男子小学生

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転機というモノはいつも急に訪れて、人を困惑させたまま引っ張ってゆくものである。そんなことを私が学んだのは、この世に生を受けて一一年ちょっと経過したころであった。

というのも、小学五年生の冬のある日、母が私に「ICT(Information and Communication Technology)」を活用して読み書きをサポートする団体があるから、そこのレッスンに行かないか」と聞いてきたのである。そのころには私も漢字を覚えることは気がくさくさして放棄していたので、「一般社団法人読み書き配慮」が提供するプログラム、KIKUTAに入塾する運びになった。

KIKUTAは、障害者差別解消法に基づく合理的配慮を学校に申請し、必要な配慮を受けることで、学校での学習を円滑に進めることを目標とするプログラムを作成している。

週一回、全九回で、日曜日の午後に小学四年生から中学二年生までの子どもたち十数人が集まり、様々なアプローチから読み書き障害者に解決策を教えるというものだ。

まず、KIKUTAのざっくりとした内容を述べると、①ICT機器の使い方、②特性理解、③交渉テクニックの三つに分けられる。

①手段 ICTを利用した教育機関での学習法:
タブレット端末などのデバイスやインターネットを使用した学校での授業やテストの受け方などを学習する。

②自己理解 自分の特性を理解し、今後に役立てる:
自分がどういう特性を持っているのか、何をすればそれを埋め合わせられるのかを正しく理解する。

③交渉 教育機関等に対し学習時のICT機器の使用許可を求める際の交渉テクニック:
教育機関に対して、学習上なぜICT機器によるアシストが必要なのかを、写真やプレゼンテーション、法律を引用して説明・交渉し、在籍する小・中学校での配慮、ひいては高校受験でのICT機器の使用の実現を目指す。

これらの要素を活用して、配慮の実績を積みつつ高校入試に向けて学力などを高め、入試や高校での合理的配慮によって、読み書き障害者が本来の能力を十分に発揮できるようにするのがKIKUTAの究極的な目的である。この具体的なノウハウの提供という意味合いで、私はこのプログラムに大いにお世話になった。

私にとって、この教室の価値は主に二つある。

一つ目は私が知らない情報を現場の人々から色々教えてもらえたことである。私はまだ当時、ネットを満足に使いこなせないような年で情報収集ができなかった。なので余計、専門家や当事者(チューターといって、読み書き障害者を含む大学生たちが授業の補佐をしていることがある)からの情報には重みがあった。彼らの経験や助言は、私が自らの状態に確信を持ち、自己理解を深めるうえで極めて重要な要素として働いたのである。

二つ目は同じ悩みを持つ他人との交流ができた、という点である。読み書き障害は最も一般的な発達障害のひとつだが、世の中に広く認知されていないから、同じ悩みを持つ人々を探すのは当然難しい。しかしながら、KIKUTAというコミュニティは、必然的に仲間の存在を顕在化し、体験に共感することを容易にした。人間はもともと、集まり、群れることによってその能力を発揮するという、社会的な生物である。コミュニティの存在は自信と精神的余裕に直結するのだ。

「書ける、書けるぞ!」――IT機器を使い始め、芽生えた感情

  • 【イメージ画像】タブレットの前で笑顔の男児

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かくして無事にカリキュラムを修了した私は、ありがたいことに特に滞りなく初めて合理的配慮を受けることができた。

最初は夏休みの課題や一行日記などの提出物からはじめ、学校に自前のIT機器(型落ちのiPadだった)を持って行ったのは小学六年生の時だった。私がどういう児童なのかという予備知識が十分蓄積されていたから、その必要性を教師陣も十分に理解してくれていたらしい。

最初に学校でIT機器を使い始めて感じたのは「愉しさ」だった。「書けない」が当たり前であった私には手書きしなくても文章を書けるということ自体が新鮮であって、まるで新しいおもちゃを手にした子どものようにそれで遊びまわったのである。

周りの児童生徒のそれとは少々違うとはいえ、「書ける」ようになった影響はすさまじかった。たった数十字を手書きするだけで息切れするような私である。そのハンデを解消してようやくクラスメイトと同じくらいの速度と正確性で「書ける」ようになったおかげで、いつのまにか「書けない」という劣等感は消えていて、代わりに他の児童と渡り合える自信が芽生えていた。これは極めて大きなターニングポイントだった。

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著者:朝野 幸一
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※本記事は、書籍の一部を抜粋し、編集のうえ掲載しています。