「読むのが得意であるにもかかわらず、私は字を書く、つまり手書きするのがいたく苦手であった」――東京都出身、2010年生まれの朝野幸一さんは「書き障害」を持つ男子学生。小学校入学時からいくら努力をしても漢字が書けるようにはならず、暗闇の中にいたという朝野さんですが、小学校5年生の時にある転機が訪れます。
書き障害の当事者としての経験を主軸に、執筆時の朝野さんの年齢と近い15歳前後までの年齢層における読み書き障害に焦点を当てて書かれた『14歳、字を書けない私が「書く」喜びを手にするまで』(新潮社)。今回は、同著より朝野さんの14年間の記録の一部をお届けします。
絵本に夢中だった保育園時代
物心がついた四歳のころには、保育園で四六時中絵本をむさぼり読んでいたことをぼんやり記憶している。なぜだか、本が異常なまでに好きだったのだ。今ならば知識欲やら好奇心やらが主な原動力とはっきり言えるのだが、はたしてそのころはどういう理由で本を読んでいたのかはわからない。
母いわく、年長のころ(五~六歳ごろ)に、私はクラスメイトの保護者などに「保育園でなんの時間が好きなの?」と聞かれると「おひるね!」といつも回答していたらしい。おそらく保護者は「あら~、おねんねが好きなのね~」と言うだろうが、ここで私はその言葉を遮り、こう続ける。「うん! 本読むの、大好きなの~!」
そう、私は三歳ごろから昼寝を全くしなくなり、終始フトンの中でゴロゴロしてイライラしながら暇な時間を過ごすか、ばたばた暴れて先生に叱られていた。
母はこれはまずいと考えたらしく、年長のころ、先生の内職部屋でフトンを広げ、他の子どもたちが昼寝をしているあいだ、本をずっと読めるように取り計らってくれた。
こんな具合で本をむさぼり読んだおかげで読字能力は大変上がってしまった。小学校に上がって読んだ国語の教科書で「なんでこんなに簡単な字にルビがふってあるのだろう」と首を傾げた記憶がある。
実際、後日知能検査を受けてみたら言語理解だけが異様に発達していた。
国語は得意だと自負していたのに…「漢字が書けない?」
漢字を学習するのは小学校の国語の授業である。カナ文字は曲がりなりにもおぼえることができたが、漢字がなかなかできない。どうしても思い出せない。
頭の文字像は抽象化され、ぼやぼやしていて、そこにピントを合わせようとしてもどうしても合わない、というような感覚だ。読んでいる文字が何なのかはわかるのだが、不思議なことに白紙から文字を作り出すことはできない、という感覚である。
漢字を簡略化していったカナ文字、カナ文字と同じく表音文字で単純な形のアルファベットなど、複雑ではない形の文字だと、記憶からでも簡単に復元できるようなのだが(ただし、英語だけに対する読み書き障害のある人もいる。英語では文字に対する読み方、発音が不規則であるため読み書き障害が多くなるらしい)、漢字はどうにもならない。
その字の用例、ありとあらゆる読み方、どういう意味なのかなど、それら諸々は見ればアタマの中で漢字が「認識」され、一通りのことがわかるのだが、なにもないところに書くのは全くと言っていいほどできなかった。
私は努力家であると自認している。であるから、人の数倍の時間をかけて漢字を練習してみたことだってある。結果は惨憺たるもので、全くとは言わずとも、まわりの半分くらいしかできなかった。
唯一点が取れるのは漢字の読み取りだったが、解答のカナも大変見苦しい形で、漢字のテストでは読み方があっているにもかかわらず、文字が汚くてバツになることもあった。
小学二年生で「文字を書くのが苦手」だと悟る
他人との差が明確につき始めたのはだいたい小学二年生からだった。実際、小学一年生の通信簿の返信欄に母が書いた内容には「文字を覚えることに喜びを示し、漢字によって自信を得ている」等の記述がある。
考えてみれば、小学一年生のやることは、ひらがなをまず覚え、次にカタカナを学習して、最後に基本的な漢字を学習することである。当然ながらひらがな、カタカナは漢字に比べて易しいし、文字数も少ない。仮に現代ではまず常用されない「ゐ(わ行イ段のwi)」「ゑ(わ行エ段のwe)」を含めても全四十八字であり、ひらがな・カタカナの両方を合わせても九六字になる。さらに、漢数字を始めとする八〇文字を合わせても全一七六文字であるから、他学年とくらべて文字数が少ない方だと言えるだろう。
小学二年生になると学習する漢字の数は一六〇字になる。単純に数では少なくなったといえど、すべてがすべてかな文字のように簡単なわけではない。私はこの少量の文字を覚えるだけでいっぱいいっぱいだったようで、今ぱっと書けるのは小学一年生分と二年生の初頭で学習した漢字ぐらいである。つまり、小学一年生分の一七六文字+αが私の覚えられる文字数の限界だったのだろう。
小学四年生で「漢字を書くのを諦める」
あなたが漢字の学習をするときに、まずやることはなんだろうか。ほとんどの人は復習からだろうが、私の場合はそれすらもままならない。母に「えッ、昨日やったじゃん」と驚かれるし、なぜ昨日やったばかりの漢字がわからないのかもわからない。何気ない一言でも、これがなかなかストレスになる。
なぜなのか聞かれてもどうしようもないことで、叱られようと改善できないのだから困る。意味なく叱られても自己肯定感が下がるだけでメリットがない。言い返してもどうにもなるわけでもないし、できない自分にも落ち度があるのではないかと思うわけで、言い返すだけエネルギーの無駄だから言い返さない。昨日練習した漢字すら忘れているからだ。
しかし、母は私がまだ漢字が書けると思い込んでいたため、かなり苦労をしてカードを作ったり、サイトを作ったり協力してくれていた※。期待の眼差しがあったゆえ、自分が「漢字を書くなんてもう無理だ」と思っても母の期待に応えるために学習し続けていたのである。
結局、母が「この子はいくら練習しても漢字が書けるようにはならない」と納得したのは小学四年生のころであった。思えば母が「ちょっとこれは尋常じゃない」と思ったのがこの時だったのだろう。
※漢字の書き方を覚えるための手作りのフラッシュカードと、そのカードの写真を掲載したブログのこと
※本記事は、書籍の一部を抜粋し、編集のうえ掲載しています


