JR大船渡線は、東北本線一ノ関駅を起点とし、北上山地を横断して盛駅を結ぶ路線。東日本大震災で沿岸区間が被災したため、気仙沼~盛間はBRTによる運行となっている。路線名になった大船渡駅もBRT区間にある。大船渡という地名の地名の由来は諸説あって、文字通りに解釈すれば大きな港があったという説が素直だろう。しかし「ウナ・ト」という「畝のように盛り上がった処」を示す言葉に「舟戸」「舟渡」「船渡」という字をあてたとする説もあるらしい。

大船渡線。黒い線が鉄道区間、赤い線がBRT区間(略図) (国土地理院地図を加工)

時刻表の索引地図を見ると、大船渡線には「ドラゴンレール大船渡線」という愛称が付いている。この「ドラゴンレール」は路線全体の形に由来するといわれる。地図で大船渡線を見ると曲がりくねって、まるで竜が飛翔しているように見える。

大船渡線沿線には竜の伝説もある。ひとつは気仙沼の安波山。この付近の山並みは古くから竜の姿に例えられたという。竜の背の稜線が海に沈み、大島として盛り上がり、その南端は「龍舞崎」という地名になった。BRT区間の陸前高田には大蛇の伝説がある。京の都から蝦夷征伐に来た将軍が討ち死にし、埋葬された場所から大蛇が現れ、賊を征伐したという。この将軍と大蛇を祀った神社が蛇ヶ崎神社、その地の名は蛇ヶ崎。大蛇と竜は「竜蛇」としてまとめることもあるそうだ。

「ドラゴンレール」の愛称は公募による。1992年、JR東日本は地域に密着したサービスを実施するため、気仙沼駅に大船渡線営業所を設立した。担当する路線は大船渡線全線と気仙沼線本吉~気仙沼間。この大船渡線営業所の設立を記念し、大船渡線の愛称が募集され、小学生などから「ドラゴンレール」という票が集まった。大船渡線の曲がりくねった姿が竜に例えられたことも理由のひとつだけど、当時は「週刊少年ジャンプ」で連載された鳥山明氏の漫画『ドラゴンボール』と、そのアニメ版『ドラゴンボールZ』が大人気。そこに沿線の竜の伝説も加わり、「ドラゴンレール」と決まったようだ。

現在の愛称は、竜の伝説よりも特徴的な路線の姿と大人気アニメが決め手になったといえるかもしれない。そもそもなぜ、大船渡線はこんなに曲がりくねった路線となったのか。それは開業当時の政治家らによる駆け引きが一因といわれている。

大船渡線の当初の計画はこんな路線だった? (国土地理院地図を加工)

大船渡線は1918(大正7)年に計画されたという。当初は一ノ関~気仙沼間を直線的に結び、大船渡へ北上するルートだった。しかし1920年の選挙で、予定ルートの北側にある摺沢を出自とする立憲政友会の候補者が当選する。立憲政友会は当時の与党で、総裁・総理大臣は岩手県出身の原敬だった。その権力を背景に、大船渡線のルートを摺沢経由とし、そのまま気仙沼を通らず、大船渡へ直通するルートに変えてしまう。

摺沢経由ルートに変更されたが… (国土地理院地図を加工)

これに対し、計画当初は大船渡線の経由地だった千厩の人々は黙っていなかった。立憲政友会のライバル、憲政会を支援し、4年後の選挙で当選させた。そして大船渡線のルートは再び千厩・気仙沼を経由することになり、現在の姿となる。これが後に、政治家の公約として鉄道誘致を掲げる「我田引鉄」の象徴的な事例と呼ばれるようになった。

千厩経由に引き戻され、現在のルートになった (国土地理院地図を加工)

政治家のわがままで曲がりくねった路線となったため、一ノ関~気仙沼間が遠回りになってしまった。結果として、大船渡線は一ノ関~気仙沼間を直行するバス路線にシェアを奪われているという。その一方で、沿線にあった石灰石を産出する鉱山付近を経由できたため、貨物輸送という意味では利点もあったようだ。

いまもアニメが放映中で、子供たちに人気の『ドラゴンボール』が愛称の由来のひとつだった点も興味深い。そして現在、一ノ関~気仙沼間では「POKEMON with YOU トレイン」が走っている。昔もいまも子供たちに愛される「ドラゴンレール大船渡線」である。