大阪環状線から103系が引退した。103系にちなんで10月3日とは粋な計らいだ。103系は1960年代に山手線でデビューし、大阪環状線への投入は1969年。山手線の活躍は1988年までの25年間で、大阪環状線はその2倍近い48年間の活躍だった。JR西日本は古い車両を大切に扱う傾向があり、延命工事と称して車体各部の部品交換、素材、仕様の変更を重ねていた。登場当時の面影は残っていても、新品に交換された部分も多かった。

大阪環状線・JRゆめ咲線(桜島線)で活躍したオレンジ色の103系(2013年撮影)

今回の引退のニュースはテレビ・新聞でも報じられた。関東に住む人は「えっ、まだ走っていたの?」と思ったかもしれない。ニュースの映像を見ながら「あの色は中央線だったな」と懐かしく感じた人もいただろう。

103系は山手線などの首都圏や関西圏を中心に通勤形電車として活躍した。路線別に色分けされたから、103系の色と思い出は路線ごとに違う。特別仕様の車両(ラッピング車両など)を除くと、筆者が調べただけでも17種類の色分けがあった。

黄緑色 (ウグイス)

国鉄が定めた色名称は「黄緑6号」。山手線の色としておなじみ。他に首都圏の埼京線、川越線、八高線電化区間、横浜線でも使われた。関西では車体前面に白帯を入れた姿で、大和路線(関西本線)JR難波~加茂間、和歌山線王寺~高田間、おおさか東線、奈良線などで走っている。大阪環状線からは引退したけれど、関西の103系はまだまだ現役。

奈良線の103系(2015年撮影)。車体前面のみ白帯が入る

青色 (スカイブルー)

国鉄名称では「青22号」。首都圏では京浜東北線の色として定着。後に京葉線でも使われた。関西では東海道本線・山陽本線複々線区間の各駅停車としてなじみ深い色となり、他に阪和線などの路線でも使用された。仙石線も導入当初はこの色だった。関西の使用範囲が広く、大阪環状線のオレンジよりなじみ深い人も多いだろう。現在は羽衣線(阪和線支線)・和田岬線(山陽本線支線)で見られる。

橙色 (オレンジバーミリオン)

国鉄名称では「朱色1号」。関西では10月3日をもって引退した大阪環状線の他に、片町線や関西本線でも使われた。首都圏では中央線快速の定番色。その系統として五日市線、青梅線でも使われた。武蔵野線への転出時も同じ色のままだった。筆者にとって、武蔵野線の長い地下区間を疾走する走行音が印象的。窓が開く103系ならではの体験だった。

黄色 (カナリアイエロー)

国鉄名称では「黄色5号」。首都圏では中央線・総武線各駅停車や南武線、鶴見線などで使用された。中央線快速のオレンジと各駅停車のイエローのおかげで、乗り間違いを防ぐ効果は大きかった。早朝・深夜にオレンジ色の電車が各駅停車として走ると、ちょっと戸惑ったりする。それは車両が置き換えられたいまも同じ。関西では福知山線で使われていた。ちなみに、広島地区にも一時期、黄色1色の103系が存在した。しかしカナリアイエローとは色合いが異なる濃黄色だった。山陰本線や伯備線では、いまも103系にそっくりな運転台の電車を見かけるけれど、あれは115系の先頭車化改造車だ。

青緑色 (エメラルドグリーン)

国鉄名称では「青緑1号」。常磐線快速と成田線などで使われた。常磐線快速は最大15両編成で運行された時期もある。これが103系の最長編成だった。

青緑色(明るめ) (エメラルドグリーン)

JR西日本の加古川線で採用された。筆者は常磐線のエメラルドグリーンよりは明るかったと記憶しているため、まとめずに別の色に数える。103系自体も中間車に貫通扉付き運転台を取り付けて改造しており、どちらかといえば105系に似ている。現役で活躍中。

加古川線の103系。車体前面も従来の103系とは異なるデザイン

ワインレッド (播但色)

JR西日本の播但線専用色で「播但色」とも呼ばれるそうだ。同じく播但線で非電化区間を走ったキハ40形と同じ色で、やや紫がかった赤色。ちなみに「播但色」で検索すると、模型鉄の方々のブログがたくさん出てくる。再現に苦労する人が多いかもしれない。

ワインレッドの塗装で播但線を走る103系(2014年撮影)

ここまでが、車体全体で1色、または一部アクセントカラー入りの塗装7種類。続いて車体色プラス帯色の塗り分けを数える。

灰色地に青緑の帯

シルバーグレーの車体にエメラルドグリーンの帯を巻く。国鉄名称では「灰色8号」「青緑1号」。地下鉄千代田線へ乗り入れる常磐線各駅停車の車両に使われた。シルバーグレーは地下鉄乗入れ車の共通色で、ラインカラーの帯を配置した。地下鉄乗入れ対応のため、運転台に非常口用の扉が付いた。それでも103系の面影を残す表情だった。

灰色地に黄色の帯

シルバーグレーの車体にカナリアイエローの帯。カナリアイエローのラインカラーは総武線各駅停車で、地下鉄東西線に乗り入れる車両に使われた。ただし、次に紹介するスカイブルー帯に塗り替えられたため、短命に終わった。

灰色地に青色の帯

シルバーグレーの車体にスカイブルーの帯。スカイブルーといえば京浜東北線の色だけど、この車両の場合は地下鉄東西線のラインカラーだった。中央線・総武線各駅停車に導入された205系がステンレス車体にカナリアイエローの帯で、地下鉄乗入れ車と似ていた。誤乗防止のため、地下鉄乗入れ車のカナリアイエローをスカイブルーに変更した。

青地に白帯

スカイブルーの車体に白帯。この白は国鉄名称では「クリーム1号」。九州を走る筑肥線と福岡市営地下鉄の直通運転に対応する車両に使用された。運転台に貫通路があり、105系に似た表情。貫通扉を挟む左右の窓周りも白く、後に渋谷でブームになった「ヤマンバメイク」のような愛嬌があったと思う。

銀色に赤扉

筑肥線の103系はその後、1995年頃からシルバー地に変更。車体前面と扉が赤という大胆な色使いになった。その色使いは303系にも踏襲された。九州の103系も現役。

筑肥線の103系(2015年撮影)。現在は筑前前原~西唐津間で運行される

白地に青・水色

東北地方の国鉄・JR線では珍しく直流電化された仙石線の色。車体上側が白、窓から下が水色で、境目に濃い青の帯が入った。「仙石色」と呼ばれたけれど、こちらは初代。

白地に青扉

2台目「仙石色」。車体は白で、運転台回りと扉を青とした。

白地にオレンジと緑の帯

クリーム色に湘南色を連想する帯。JR東海が国鉄から継承し、おもに中央本線(中央西線)で活躍した103系にこの色が使われた。「東海色」と呼ばれた。

黄緑に白帯

山陽本線の岡山地区に投入された。岡山県の名産、ぶどうのマスカットを連想する黄緑の車体。そこに上から太い帯1本、白い帯2本をあしらった。シンプルだけど手間のかかる色使いに見えた。黄緑色の車体は山手線を連想する。

白地に青帯

クリーム1号の車体に青20号の帯。この青はスカイブルーより濃く、東海道新幹線0系の窓回りなどに採用された色だった。車体がもっと白かったら新幹線を連想できたけど、筆者が見た記憶では、バニラアイスクリームのような乳白色だった。黄色(濃黄色)1色になる前の呉線・可部線などで運用されていた。

「103系の車体色」でのGoogle画像検索結果。おもちゃ箱のような彩りに

2色以上の塗り分けはここまでで10種類。単色系の7色と合わせ、筆者が調べただけでも103系は17種類の車体色があった。JRの最近の通勤電車はステンレス車体にカッティングシートの帯を巻く。103系は車体全体を塗装していたから、色の記憶が鮮明だ。路線別に塗られた103系。あなたの思い出の中の103系は何色だった?