駅のホームで「列車が到着します。黄色い線の内側に下がってお待ちください」というアナウンスをよく聞く。もちろん理由は「ホームの端にいては危険だから」だ。

それでも、ホームの端に立ったり歩いたりする人を見かけることは多い。電車の警笛が鳴ると、たいていの人は黄色い線の内側に移動するけれど、中には運転士を睨み付けるような人もいる。その人は、ひょっとしたらこう思っているのではないか。「そもそもホームと電車だってぶつからないじゃないか。ホームの上にいれば電車には当たらない。酔ってふらついているわけではないんだぞ」と。

通過列車に近づくと、引き寄せられる危険がある!?

たしかに列車はホームと接触しない。鉄道施設は車両の通行を邪魔しない範囲に作られている。トンネル、鉄橋、信号機や標識の位置、プラットホームの位置まで、線路からどれだけ離して設置するか決められている。その境界線を「建築限界」という。カーブの外側は車両がはみ出すから、建築限界の範囲も大きい。曲がったホームで列車とホームの間が広く空いている理由も、建築限界を守っているからだ。逆に、鉄道車両を設計するときも建築限界内に収めている。

しかし、列車に当たらなくても、列車が起こす風に煽られ、吹き飛ばされるかもしれない。しっかり固定された鉄道施設と、人や稼働物では条件が違う。列車が通過するときに起きる風の影響を受けるからだ。地下鉄の駅で、列車が近づくと強い風を感じる。トンネル内の空気を列車が押すため、ホームにいる人は吹き飛ばされそうになる。この現象は地上のホームでも起きる。吹き飛ばされるといっても強く押される程度だし、転んだとしても列車から離れた方向だ。

ところが、この風の問題は意外と厄介だ。本当に怖い理由は「列車に引き寄せられるおそれがあるから」との説がある。列車と人の間に風が吹くと、人や稼働物を列車に引き寄せる力も起きる。引き寄せられて列車に接触すれば、もちろん命に関わる人身事故だ。なぜ列車に引き寄せられてしまうのか。その理由は飛行機が飛ぶ理由と似ている。

翼の形状と空気の流れ

物理学の「位置エネルギー保存の法則」から導き出された「ベルヌーイの定理」によると、「気体や液体などの流体の速度が増すと圧力が下がる」という。この定理で飛行機を上昇させる揚力の発生も説明できる。飛行機の翼の上は空気が速く流れる。翼の下は空気の流れが遅い。その結果、翼の上は気圧が低くなり、翼の下は気圧が高くなる。その気圧の差が、翼を上へ持ち上げる揚力になる。

ちなみに、翼の上下で空気の流れる速度が変わる理由は、翼の形状によって「循環渦」が発生するから。流体の中に物体を置き、回転させると、その流れと同じ向きと逆の向きが生まれる。流れと同じ向きになる側と比べて、逆向きになる側の流速は遅い。すると、流速の差が圧力の差になり、流速の速いほうが動く力が生まれる。野球のカーブボールが曲がる理由もこの定理で説明できる。これを「マグヌス効果」という。

「マグヌス効果」の考え方。回転する物体によって空気の流れる速度が変わり、物体は圧力の低いほうへ動く

循環渦が揚力を発生させる。翼が平らの場合も仰角を付けることで循環渦ができる

飛行機の翼の断面を見ると、前方の上側が膨らみ、後方に向かって薄くなり、尖っている。この形状によって、マグヌス効果と同様に翼を囲む循環渦ができる。翼の上部から後方へ向かう流れが速く、尖った部分に沿って下側へ回り込み、前へ行こうとする。しかし、翼の下部も後ろへ向かう空気の流れがあるから、打ち消し合って空気の流れが遅くなる。こうして空気の流れる速さが変化し、気圧差が生まれ、揚力となる。この循環渦と揚力の関係を「クッタ=ジューコフスキーの定理」という。

これ以上の話は筆者にも難しいし、「飛行機トリビア」になってしまうのでここまでにするけれども、要するに「風が強い場所は気圧が低くなる」ということだ。飛行機の翼の断面をそのまま駅ホーム上の人に当てはめると、人から見て列車側に空気の流れができ、圧力が下がり、人の反対側は空気が流れていないため、圧力が高い。翼が揚力を得て上昇するように、人も列車に引き寄せられていく。ホームの端をしっかりした足取りで歩いたつもりでも、列車が起こす風の影響で気圧の変化が起き、不意に列車に引き込まれるかもしれない。だから「走行中の列車に近づくと危険」となる。

電車と人の間の空気が流れ、気圧が下がり、人は電車に引き寄せられる

「ベルヌーイの定理」に当てはめれば、遅い列車より速い列車のほうが起こす風も速く、引き寄せる力がより強いことになる。速い列車ほど引き込む力が強い。特急・急行などの速達列車が通過する駅では、全列車が停まる駅のホームよりさらに内側に黄色い線を引いたほうがいいといえるかもしれない。

ホームの端に立ったり、歩いたりしてはいけない。その理由は、電車にぶつからなくても引き込まれるおそれがあるから。これはしっかり認識しておきたい。黄色い線の内側に立ったとしても、人より軽い荷物を置けば引き寄せられ、跳ね飛ばされるかもしれない。ましてや、駅のホームに三脚を立てるなどもってのほかだ。マナーを問う以前に、物理の知識として危険を認識しよう。